58 / 63

第58話

「ねぇ、今晩ルリ子ママの店に行かないか?」  職場の廊下で、誰もいないことを確認し蒼空に聞いてみた。”ルリ子ママ”と聞いて、蒼空は最初キョトンとしていた。何のことか分からないようだ。 「ほら、俺たちが出会ったバーだよ」  三笠が教えると、蒼空は「あぁ」と頷いた。あれから随分たつが、ずっと行っていなかったのだ。事件も解決したことだし、久しぶりに行きたくなった。 「そういえば、俺もあれっきり行ってなかったです」 「そっか。じゃ、一緒に行こう?」  蒼空がニコリと微笑んでくれたので良かったと思う。  仕事が終わり退勤すると、三笠と蒼空は三笠の自宅に車を置いてからルリ子ママの店に向かった。前はたまに訪れていたのに行かなくなり、ママに忘れられているかもしれない。 「ルリ子ママ、俺らのこと覚えてくれてるかな」  店の最寄り駅から店までの道すがら三笠がぼやくと、蒼空がクスクスと笑う。 「ママは記憶力が良くてお客さんのこと覚えてるって言ってたんで、大丈夫ですよ」 「そうかなぁ。俺、五年くらい行ってないからな」 「でも何で、お店に行こうと思ったんですか?俺もママ、元気にしているか気にはなってましたけど」 「一息つきたいなと思って。それに、俺たちのこと報告したいからさ。どう?ダメかな?」  三笠がニコリと微笑むと、蒼空は顔を赤らめて目を泳がせた。 「まぁ、ただ“同僚”だって言ってもいいけど」 「そうですね。でも……」  蒼空が言いにくそうに呟いた。 「でも?」 「同僚同士だったら、あのお店には行かなくないですか?」 「あ……」  確かに、蒼空の言う通りだ。ルリ子ママの店に一緒に入ることは、そういう関係だと知らしめることだ。 「そうだよな……それじゃ……」  「止めようか」と言いかけたところで、蒼空に遮られた。 「俺は大丈夫です。別に、ママに知られても平気です」 「蒼空くん……」 「だから、このままお店に行きましょう」  蒼空は三笠の手を掴み歩き始めた。 「う、うん」  珍しく積極的な蒼空に、三笠は少し戸惑った。  店に着いたので中に入ると、ルリ子ママが明るい笑顔で迎えてくれた。 「いらっしゃ〜い!」 「どうも」  二人して頭を下げると、ママは目を丸くした。少なくとも、覚えていてくれたということか。 「あらやだ!三笠ちゃん?それと、後ろにいるのは蒼空ちゃんなの?」  ママはカウンターの中から入り口近くまで出てきてくれた。 二人の登場に驚きはしているが、嬉しそうだ。 「どうも」  少し恥ずかしそうに蒼空はぺこりと頭を下げた。 「覚えていてくれたんですね」 「当たり前じゃないの〜。三笠ちゃんみたいな良い男、忘れるわけないわよ」  ルリ子ママは朗らかに笑う。 「さぁ、座って」  店内にまだ客はおらず、ルリ子ママはカウンターのほぼ中央の席に案内してくれた。 「ね、何飲む?」 「じゃあ、俺はジントニック」  そう注文すると、蒼空はマティーニを頼んだ。 「あら、二人共好きよねぇ、それ」 「酒の好みも覚えてくれたんですか?」  三笠が驚くと、ルリ子ママは優しく微笑んだ。 「当たり前じゃない。それにしても、本当に全然来てくれなくて私拗ねちゃうわよ?」  作業をしつつもおどけた様子で言うので、三笠らは恐縮してしまう。三笠としては、蒼空という存在が傍にいるから寂しさはなかったのかもしれない。だから、ルリ子ママの店に足を運ばなくなっていたのだと思った。前はたまに来ていたのに、来なくなってしまったのはママに申し訳ないけれど。 「ホント、すみません」 「いいのよ。はい、どうぞ」  二人の前に注文したドリンクが置かれ、揃って「いただきます」と酒を口にした。 「ねぇ、さっきから聞きたかったんだけど。あなたたちって、一度ここで会ってたかしら」 「え?え、えぇ。かなり前ですけど……ここで初めて会いました」  二人の関係を明かすつもりで来たのだが、何だかタジタジになってしまう。 「なるほどねぇ。今日二人で来たってことは、つまりそういうこと?」  ルリ子ママがニヤリと笑うので、三笠は観念した。 「そうです……。俺たち、付き合ってます。な?」  隣の蒼空に水を向けると、彼も「はい」と頷いた。 「そうだったのね。まさかこんなことになってるとは思わなかったわ。もし良かったら、馴れ初めなんて聞いてもいい?」  ルリ子ママにそう問われ、二人は顔を見合わせた。そして、三笠が説明することにした。 「彼の、はは親のことは知っていますか?」 「えぇ。蒼空ちゃんから聞いていたわよ。ちょうど、あなたたちがここで初めて行き会った頃かしら」 「そうです。あの事件、俺たちが担当していたんです。それで彼と再会して、行くところがないと言ってたんで、住まわせてあげることにしたんですよ。一応、それがきっかけですかね」 「なるほど。めっきり来なくなったと思ったら。そういうことだったのね」 「実は今、同じ職場で仕事をしてるんですよ」 「えっ、蒼空ちゃん刑事になったの?」  ルリ子ママが蒼空の方を見ると、蒼空は恥ずかしそうに頷いた。 「はい。中央署でお世話になってます」 「まぁ~、凄いじゃない!蒼空ちゃん、今幸せ?」  そう問われた蒼空は、三笠の方を一瞬向くと「はい。とても」と頬を赤らめながら答えた。最も、薄暗い中なので赤くなったことは三笠やルリ子ママには気付かれなかったのだが。 「そう、良かったわね。三笠ちゃん、蒼空ちゃんを泣かせちゃダメよ?」  ルリ子ママがいらずらっぽく言うと、三笠はやはり尻込みしてしまう。 「分かってますよ。これからも大事にします」  三笠の言葉に、蒼空は感動したようだ。 「三笠さん……」  より感極まった様子で涙が蒼空の頬を伝ったが、その涙を彼はすぐに手の甲で拭った。 「俺も、三笠さんとずっと一緒にいたいです」  涙を拭った後の蒼空の笑顔に、三笠は思わず抱きしめたい衝動に駆られる。 「あら、どうもご馳走さま。でも、お客様の幸せを見るのは嬉しいわね」  ルリ子ママの言葉に、三笠と蒼空は顔を見合わせ微笑み合った。 その後しばらく楽しい時間を過ごした後、三笠たちは店を後にすることにした。二人が席を立とうとしたところで、入り口のドアがカウベルの音と共に開いた。 三笠たちが入り口の方に視線を向けると、そこにいたのは同僚の佐藤だった。 「さ、佐藤さん!?」  三笠と蒼空は同時に目を見開いた。 「いらっしゃい」  ルリ子ママは常連客を迎えるように声をかけた。 「お前たち、いたのかよ」  佐藤も三笠たちを見つけるなり驚いた様子だったが、すぐにバツが悪そうな顔をする。 「何してるの?早く来なさいよ」  とても親しげな言い方に、三笠は戸惑う。それは蒼空も同じようで、隣で唖然としていた。佐藤は二人の関係を知っているが、なぜ彼がここにやってきたのだろう。 「あぁ」  佐藤は観念してカウンター席の方にやってきた。 「佐藤さん、ここに来たということはもしかして......」 「そうだよ。俺もお前たちと同じゲイだ」  それを聞いて、三笠は大いに驚いた。蒼空の病室で会った時、そこまで佐藤が驚いていなかったのは、彼自身が同じゲイだったからなのだろうか。 「そうだったんですか。プライベートが謎だったんで、気付きませんでした」  佐藤は十年ほどこの店に通っている常連だそうだ。しかも週一ほどのペースで来ているらしい。ルリ子ママとも、三笠たち以上に親しいのだろう。  三笠と蒼空は帰ろうとしていたが、酒をもう一杯注文して佐藤を交え飲み直すことにした。 「佐藤さん、パートナーいるんですか?」  三笠が問うと、佐藤は「いるよ。山田」とあっけらかんと答えた。山田は、佐藤が仕事でコンビを組む相手だ。プライベートのことは話したくないということか。 「そうじゃなくて。恋人の話ですよ」 「……いるよ。一緒に住んでる」 「へぇ。どんな人なんですか?」 「素敵な人よね〜」  三笠の問いに、ルリ子ママがニコニコしながら言った。もしかしたら、相手と一緒にここに来たことがあるのかもしれない。 「え、俺も知ってる人ですか?」 「検事だよ……伊庭検事」 「え!?えぇ!?伊庭検事が彼氏?」 「そうだよ。仕事で知り合って、付き合い始めてもう五年になる」  佐藤の話を聞いて、蒼空も驚いたようだ。 「伊庭検事って、凄くダンディな方ですよね」  蒼空も、伊庭と二度ほど会ったことがある。検察のエリートで、ゆくゆくは検事長になると目されているのが伊庭だ。 「ま、まぁな」  佐藤は少し照れているようだ。 「意外でした。佐藤さんが伊庭検事と付き合ってるって」 「そうか?」 「はい。仕事とプライベートは完全に分けるタイプかと思ってました」  仕事に関係する人物と交際するようには見えないからだ。 「まぁ、昔はそうだったよ。付き合ってきたのは、仕事とは関係のない相手ばかりだった」  佐藤はウイスキーを一口飲んで、続けた。 「でも……あの人の仕事をする姿にときめいてしまったんだよ」 「へぇ……」  三笠たちにも、佐藤の幸せが伝わってくるようだ。

ともだちにシェアしよう!