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第4話 らしくない?

 盗み聞きなんて、誰かが通りかかったらバツが悪いことこの上ない。だが、幸か不幸か、見渡す限り廊下には誰の姿もなかった。将吾は一瞬迷ったあと、そっとドアに近寄り、聞き耳を立てる。 「君の言いたいことは分かるよ。だけどね……」  東堂が言い争っている相手は、高山のようだった。声のトーンからは、東堂をいさめようとしているのが伺える。だが激昂しているらしい東堂とは対照的に、どこまでも穏やかな口調を崩さない高山の声はボソボソとしか聞き取れず、細かい会話内容まではドア越しでは分からない。 「ですが! 彼らに無理やり接触しなくても、情報は取れると言っているじゃないですか!」  再び東堂の叫ぶ声が聞こえた。日頃の様子からは想像もつかない、感情的なものの言い方に将吾は驚いた。   どうやら、東堂は取材対象を巡って、高山の指示に反対しているようだった。将吾はあたりを見渡し、まだ誰も近づいてきそうな気配がないのを幸いに、引き続き室内の会話に神経を集中する。 「君が彼らの心情を慮って、接触を避けようとしているのは分かっている。そうした人としての部分がいい仕事につながることもあるのは確かだよ」 「それなら……!」  更に言い募ろうとした東堂が、言いかけて黙った。高山が制したのだろう。姿は見えなくとも、いつものように手を上げて「まあまあ」というジェスチャーをしている様子が将吾の目に浮かぶ。  人がいつ来るか分からない状況でこれ以上立ち聞きを続けるのも心臓に悪く、将吾はフロアへ戻ることにした。  ——心情を慮って、ねえ。  将吾にとって、東堂の発言はとても意外だった。将吾の中の東堂は、必要と判断すれば人の個人的な感情などやすやすと無視できる男だ。間違っても取材を受ける立場の気持ちを尊重するようなタイプには思えなかった。将吾だけではない、今の話を報道部の誰に聞かせたって、東堂が言ったとは信じてもらえないだろう。  東堂らしくもない、と思いかけて、はたと将吾は気づく。自分は、日頃の行動や発言から勝手に東堂のことを分かったように思っているだけで、実際あの男がどんなことを考えて生きているかなんて、実はこれっぽっちも分かっていないんじゃないだろうか。その証拠に、今日一日で見聞きしただけでも、自分の持っていた東堂のイメージとはだいぶ違う側面を見た気がする。  見た通りの、冷徹で計算高いだけの男ではないのかもしれない。これから一緒に行動することになれば、嫌でも東堂という男の内面をより深く知ることになるのだろう。  そう思うと、将吾はなぜか妙な緊張感を覚えた。   ◇  小石が靴に引っかかり、カツン、と音を立てる。静まり返った深夜の住宅街に、その音が異様に大きく響いた気がして、将吾はしかめ面をした。  電柱の影にほぼ一体化するように立っている東堂に、買ってきた肉まんと水のペットボトルを差し出す。東堂はああ、ともおう、ともつかない声をあげ、視線は向こうに向けたまま、差し出された食料を受け取った。  昼間はもう初夏を思わせる日差しが痛いほどだが、まだ夜は少し肌寒く、コンビニで仕入れてきたホットスナックの温かみがありがたい。  将吾たちが動き始めてから、二週間が経とうとしていた。連休を目前にして世間が浮き足立つ中、東堂と将吾は思ったような証言や情報をつかめず、苛立ちを募らせていた。  周辺の住民や飲食店などから関係者の動きに関する情報を入手して回るかたわら、深夜、早朝と関係者への接触を試みていたが、不首尾が続いている。今週頭からは学園の理事長宅をマークしているが、今のところ連日連敗、空振りだ。  この事件は、学園への認可における不正を疑った議員の告発を報じた一面記事が引き金となっている。それが今月上旬のことだ。それを受けて将吾たちが動き出した直後に、当局を張っていた同じ報道部の別働隊が、総理大臣の関与をうかがわせる内部文書を入手した。このスクープによって事件は一気に注目を集め、野党も盛んに追及したが、官房長官はシラを切り通している。もっと強力な資料なり証言なりが出てこなければ、事件はうやむやのまま闇に葬られるのは明白だった。  なんとしても証拠を掴みたい。東堂の顔にはそう大きく書いてあった。苛立ちがはっきり滲む表情には、疲労の色も濃い。  空振り続きでは、キャップである高山に合わせる顔がない。学園の運営する教育機関で以前教鞭を取っていたという教授にようやく取材をとりつけ、内部方針や理事長の運営姿勢に対する疑問の声はなんとか記事にした。しかしこれだけでは、疑惑に対する働きかけとしては弱すぎる。当局班が抜いたスクープくらいのネタを掴まなければ、何にもならないのだ。  別働隊である当局班がどんな手を使って内部文書を入手したのかは、同じ報道部内でも明らかにはされていない。取材源の確保は記者にとっての生命線であり、その秘匿原則は社内であっても守られるのだ。  けれど、はっきりとは口にしないだけで、東堂には見当がついているのではないかと将吾は思っていた。更に言えば、それをあまり快く思っていない。ライバルに抜かれたのだからいい気持ちがしないのは当然だが、何気なく将吾が当局班のことを話題にのぼせた時、東堂はなんとも言えない複雑な表情をしていた。そこに浮かんでいたのは単なる僻みや悔しさではなく、おそらく、もっと東堂の根底にある何かから来ているものだ。将吾はそんな気がした。

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