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第6話 手がかりと不穏な影
「小野、これを見ろ」
自宅へ辿り着いた後、最後の気力を振り絞ってシャワーを浴び、泥のように数時間の仮眠を貪って昼過ぎに再集合した将吾に、東堂が社用携帯を差し出してきた。心なしか目に力が戻ってきているように見える。
東堂が指し示したのは、東堂宛に届いたらしい一通のショートメールだった。将吾は言われるまま、表示されている文面を読み始める。一行目に目を落としてすぐ、驚いて東堂の顔を見上げる将吾に、東堂は「いいから最後まで読め」と目顔で促した。
読み終わった将吾が、今見たものをどう捉えればいいか言葉に詰まっていると、将吾の戸惑いを見抜いたような顔で東堂が小さく笑う。
「吉と出るか、凶と出るか……ガセかもしれないし、現状打開の大きな一手になるかもしれない」
メールの文章は、自分は「元職員」である、という書き出しで始まり、伝えたいことがある、東堂と直接会って話がしたい、と短い文で書き綴られていた。メールでは詳しいことはお伝えできません、とも。これだけで差出人の意図を推し量るのは困難だ。
だが、あえて組織名には触れず、「元職員」とだけしか書いていないのを深読みすれば、差出人はそれだけで何のことかこちらが分かると踏んでいる。つまり、こちらが今どういう動きをしていて、どんな情報が欲しいか、水面化の動きをある程度知っている立場にいるということだ。さらには東堂の電話番号を何らかの形で知り得る人物。全くの部外者が悪戯で送ってきた、とは考えにくかった。
好意的に考えれば、この人物は本当にA学園の元職員で、報道を見て、この問題をうやむやにしてはおいてはいけないという良心から接触してきたと解釈できる。元職員であればそれなりに学園関係者に知り合いもいるだろうし、東堂が接触したうちの誰かから、東堂の電話番号を入手したと考えれば不思議ではなかった。
とはいえ、世の中そんなに善人ばかりではない。こちらの目を欺くため、ひいては世論を撹乱するために、不正疑惑の当事者側がガセネタを掴ませようとしているとも考えられた。不正の決定打が未だ出ていないこのタイミングならば、後者の可能性も十分にある。
「どうする」
東堂の考えが聞きたくて、将吾が尋ねた。
「行く」
短い即答。
「えっ」
「ここで考えていても分からない。そして俺たちには今、他に打つ手もない。それなら、行ってみるしかない。違うか?」
小馬鹿にしているようにも聞こえる東堂の口調は、以前の将吾なら「そんな言い方しなくてもいいだろ!」と噛みついていたかもしれない。だが今は、相変わらず理詰めで来る男だな、とは思ったが、不思議と腹は立たなかった。
「そうだな」
うん、と素直に頷く将吾に、東堂がまた珍獣でも見るような目つきになった。
二日後。
東堂と将吾は、ショートメールの差出人である「元職員」の指定してきた、郊外のファミリーレストランにいた。週末のお昼時の店内は、ほぼ満席でかなり騒々しい。これなら将吾たちが座っていても目立たず、また話を誰かに聞かれる心配も少なそうだった。
あえてこの時間にこの場所を指定してきた意味を、将吾は考える。これから対面する「元職員」の話が、それだけの内容であるということだろうか。
東堂がちらりと腕時計に目をやった。約束の、十二時半。もしこれも空振りだったら、と将吾の背中に嫌な汗が伝う。
その時、前方から一人の中年女性がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。振り返って案内をした店員に軽く会釈すると、立ち上がった将吾たちにも深々と頭を下げる。
「荻野 と申します」
東堂に促されて席に座った女性は、丁寧な口調で名乗った。一見おっとりした柔和な婦人に見えた荻野だが、その実非常に頭の回転の速い、慎重な性格だと話し始めてすぐ分かった。メールの文面から将吾が受けた印象そのままだ。
荻野が語ってくれた内容は、疑惑に関して非常に大きな一手となる重要な話だった。
「ということは、そこで理事長と総理との会合があったと。それも非公式の」
「そのとおりです」
新設校のプロジェクトが佳境を迎え、認可に向けての準備が毎日のように遅くまで行われていたちょうどその時期に、理事長と総理の会合がセッティングされていたことを荻野が知ったのは、ただの偶然だったという。
理事長の個人的なスケジュールは荻野のような一般職員には見られないようになっている。しかしたまたま仲の良い秘書課の職員のPCの調子が悪いというので見てあげていたとき、一瞬だけ理事長のスケジューラ画面が表示され、その予定が目に入ってしまったのだ、と荻野は話した。
「もちろん、何も気づかなかったふりをしました。ただ内心は、これはまずいのではないかという気持ちでいっぱいでした」
分かるのは、理事長が総理と会っていたというだけで、会合の内容までは分からない。それでもこのタイミングで総理と、それも非公式に会っていたという事実だけで十分に不正追求の追い風になる。報道されれば、学園側にとってかなりの打撃になるのは確定と言っていいネタだった。
将吾は荻野の話に興奮してくるのが自分でわかった。
「本日は、本当にありがとうございました」
一時間弱という短い時間だったとは信じられないほどの、濃い内容だった。
荻野は来た時と同じく、深々とお辞儀をして、去っていった。
荻野が角を曲がって見えなくなるまで見送ったあと、東堂と将吾は顔を見合わせた。東堂の目にも、静かな興奮の色が浮かんでいる。
「まずはキャップに報告するぞ」
将吾は東堂が高山に電話をかける間、道を塞がないよう端に避けて待つことにした。
報告を受ける高山の反応を想像すると、将吾も思わず顔が緩みそうになる。これといった成果を出せていなかったから、高山も喜んでくれるはず。
そこまで考えて、将吾は隣で電話をかけるはずの東堂が妙に静かであることに気づいた。不審に思って隣を見て、ギョッとする。
東堂が、電話をかけようと手に携帯を握りしめたまま歩道の先を見つめ、見たことのないような固い表情をして立ちすくんでいた。
「お前……」
聞き逃しそうなほど、低い呟き。東堂の視線をたどって将吾が首を伸ばすと、その先には明らかに自分たちに向かって歩いてくる、大柄な男の姿があった。
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