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第17話 お前が書け
「夜遅くまで、ありがとうございました」
声量を抑えて、東堂と将吾は深く頭を下げた。
深夜零時半。告げられていた十五分をはるかに超過して、理事長への取材が終わった。記事にするなとは言われなかったから、必死にメモを取り続けた手が痺れるように痛い。
「……今日話したことは、君たちに、託す」
その言葉に、将吾が思わず頭を上げる。理事長はその視線には何も答えず、少し疲れた足取りで応接室を出ていった。
理事長と入れ替わるように、若い男性が部屋に入ってくる。男性は大きく開いたドアを押さえ、無言で東堂と将吾に退室を促した。こんな時間まで対応する職員がいることにも驚くが、それだけの体力のある組織であることがここにも垣間見える。将吾と東堂は荷物をまとめて立ち上がると職員にも頭を下げ、促されるままに通用口から外へ出た。
梅雨を予感させる、温い風が頬を撫でていく。ずいぶん長い時間が経った気がするが、まだ日付が変わったばかりだ。それほどに、理事長から語られた話は濃く、考えさせられる内容だった。
人気のないオフィス街に、二人分の足音がコツコツと反響する。時間的に終電はもうないはずだから、大通りまで出てタクシーで帰社、明日の朝刊の最終版に滑り込ませるか……と歩きながら将吾は脳内で試算した。
——東堂なら早いから、最終には絶対間に合うな。俺もメモだけは整理したいし、今日は本社に泊まりか……。
そう思っていた将吾の横から、唐突に声がした。
「今回の記事は、お前が書け」
「……は?」
たっぷり三秒は固まったあと、将吾の口から、自分でもどうかと思うほど間抜けな声が出た。
四月から今日まで組んで仕事をしてきて、将吾も取材の中で小さな記事は書いてきたが、重要なものは全て東堂に任せてきた。それはどちらから言い出したことでもなかったが、二人の実績を考えてもそうするのが自然だと将吾は思っていたし、それに全く文句はなかった。それを東堂は今、おそらくこの一ヶ月半の中でも群を抜いて重要な、この事件をめぐる一連の流れを確実に変える分岐点となるだろう記事を、自分に書かせようとしているのか。
「お前が書くべきだ。お前がいなかったら、理事長は話してくれなかった」
淡々と、しかし奥底に揺るぎない熱を伴った言葉が、紡がれる。
「それはそうだ、けど……」
そう言われても、それだけのことでこんな重要な仕事を人に任せていいのか、という東堂の判断に対する戸惑いもあるし、何より全く心の準備ができていない。しかし、東堂の顔を見るうちに、どんな言葉も言い訳にすぎないように思えてきた。
——東堂がそう言うのなら、きっとそれが正しい。
「……わかった」
そう告げたとき、東堂の顔に浮かんだ表情に、将吾は目を奪われた。
誇らしげでもあり、嬉しそうでもあり、それでいてどこか挑戦的で。なぜか、見ているとドキドキして、反応に困った将吾が視線を逸らした先に、ちょうどタクシーが見えた。
「あ! あれつかまえようぜ!」
渡りに船とばかり、将吾はタクシーに向かって手を振る。顔が熱くて、乗り込んだ後もしばらくメモの内容の整理を装って将吾は下を向き、東堂の顔を見ることができなかった。
「……、終わった……!」
タクシーの中でメモを見返していたのが結果的に功を奏して、なんとか記事を朝刊の最終版に滑り込ませることができた。ネットの方でもトップに上がるだろうから、これは確実にスクープになる。
高山キャップにも連絡をとり、久々に労いの言葉をもらった。大袈裟に褒めたりはしない人だが、短い言葉の中にキャップの感情が詰まっていて、心の底にじわっと熱が溜まるような嬉しさがある。
「君たちなら、うまくいくと言っただろう」
確かにそんなことを言われた記憶はあった。加えて、その時は半信半疑だったことも思い出す。しかし、それでもキャップが適当なことを言うはずがないと、将吾は自分にできることを考えて必死だった。たかだかひと月半前のことが、なんだかずいぶん昔のように思える。
「ふあぁ……」
朝刊に間に合わせるために、残る全エネルギーを投入して記事を書いていた反動で、今までアドレナリンで押さえ込んでいた疲労が一気にやってきた。思い切り伸びをすると、肩や肘の関節が派手な音を立てる。
——ここのところ、ろくに運動もできてなかったしな……。
休みもあったようななかったような、佐倉と飲みに行ったのが唯一まともな休日らしい行動だった気がする。この件が落着したら、しばらくサボっているジムにでも顔を見せるか、と将吾がぼんやり考えていた時、足音がして、報道部フロア入り口のドアが開く音がした。
「終わったのか」
入ってきたのは、東堂だった。朝刊に記事を間に合わせなければならない自分と違って、東堂は最低限の後始末さえすれば帰ることもできた。だが、何も言わずに、将吾に付き合うようにこの時間まで残っている。
それをどこまで自分に都合よく解釈していいのか分からなくて、将吾は記事に集中することで一旦そのよくわからない感覚から逃げた。それが今、いつの間にか席を外していた東堂が帰ってきたことで、一気に記憶が巻き戻される。
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