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第16話 いざ、本丸へ

 狡猾、という言葉がこれほど似合う風貌もない、というのが理事長と直接対面した将吾の第一印象だった。  どれだけ上等なものを身につけ雰囲気をつくろうことはできても、内面は顔に、特に目に現れる。こちらを値踏みするような鋭い視線には、目的のためなら他人を陥れ、踏みにじろうが心を痛めない残忍さと、相手の心を見抜き、自分に有利になるように計算高く動くことができるずる賢さが見てとれた。己の腕一つでのし上がってきた人間に一定数見られる、一筋縄ではいかないタイプだ。 「今日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。十五分厳守とのことですので、早速始めさせていただきます」  慇懃無礼すれすれのトーンで東堂が口上を述べ、インタビューが始まった。 「……いえ、確かに総理とは以前からお付き合いがあり、お会いしてお話しする機会はありましたが、それと今回の認可とは無関係です。あくまで我々は……」  前事務次官の会見を受けて、理事長がとうとう不正を認めるつもりになったのかと思った東堂と将吾の当ては、完全に外れた。  この調子では、明日行うという会見でも政府側の正式回答がまだ出ないのをいいことに、学園側に非はないと主張するつもりだろう。  将吾は、内心苛立ちが抑えられなかった。東堂の鋭い質問ものらりくらりとかわされ、この時間は一体なんなのかとさえ思い始めていた。ちらりと隣の横顔を盗み見る。いつものポーカーフェイスではあったが、そこには微かに諦めが浮かんでいるようにも見えて、将吾はやり場のない怒りが足元から這い上がってくるのを感じた。  ここで、絶対に引くわけにはいかない。このまま逃げ切らせてなるものか。  それは将吾なりの義憤であり、記者として、また東堂の相棒としての意地だった。  ——あと、三分しかない。  顔は動かさずに、将吾は机に置いた腕時計に素早く目線を走らせる。理事長の言葉が切れる瞬間を待って、将吾は口を開いた。 「私から最後に、お伺いしたいことがあります」  理事長は、東堂に向けていた視線を将吾に移動した。東堂との打ち合わせでは、予定していなかった質問だ。  一か、八か。将吾は大きく息を吸い込んだ。 「東堂から最初に質問させていただきましたが、今回なぜ会見を開くことになったのか、その理由についてもう一度、お答えいただけませんか」  理事長は怪訝な顔で将吾を見据えた。 「君は、私にもう一回同じことをしゃべれというのか? 時間の無駄にも程がある。それとも、もう取材はこれで終わりでいいということかな。それなら、」 「いえ」  秘書を呼ぼうと立ち上がりかけた理事長を、将吾は制した。 「理事長は、この十分余り、一つもご自身の言葉で話してくださっていないと、私は感じます」  横で東堂が小さく体をこわばらせたのが分かったが、将吾に止めるつもりはなかった。  危険すぎる賭けに出ているのは承知の上だ。それでも、東堂が見せたあの表情を、闘志を、無駄にはしたくない。自分にできることは、これしかないのだから。 「もしここから先のご発言は記事にするなとおっしゃるのであれば、それでも構いません。今回の件について、理事長が本当に思っていらっしゃることを、一言でいいので聞かせていただけませんか」  記者として、ひとりの人間として、将吾は全身で理事長に対峙していた。理事長の目が、一瞬揺れるのを将吾は見逃さなかった。ぐっと唾を飲み込み、反応を待つ。 「……それを聞いて、何になる。正義のヒーロー気取りか?」  その表情は、これまで顔に貼り付いていた愛想笑いの片隅が剥がれ落ちたような錯覚を起こさせた。人を小馬鹿にしたような嘲笑を含んだ視線が将吾に投げかけられる。  ——行ける。  それはもう言葉では言い表せない、将吾の動物的な勘だった。 「そんなんじゃありません。俺はただ、本当のことを明らかにしたいんです。もし、どこかで不正が行われたなら、その不正に加担したくなかったのにそうせざるを得なかった人たちがいるかもしれない。自分がしたことに押しつぶされそうになっている人がいるかもしれない。今回、理事長が会見を開くことを了承されたのも、そうした人たちの声に思うところがあったからなのではないですか?」  一人称に「私」を使うことすら忘れて、将吾は自分の思いをぶつける。そこには多分に、将吾自身の願いも含まれていた。  応接室に沈黙が流れる。やがて、どこか遠くを見るような目つきになった理事長が、ゆっくりと口を開く。約束の十五分が、今まさに過ぎようとしていた。 「……まだ、記者にもこういうのが残っているもんだな」  ギシ、とソファを鳴らして理事長が体を起こし、上品な茶碗に用意されていた茶を一口すする。東堂も将吾も黙ったまま、続きを待った。 「今の若い連中は皆、優等生で要領がいい。どこからも文句の出ない、そつのない記事を書ければそれでよく、他人のこと、まして社会のことは心の底ではどうでもいい。もちろん聞かれれば、耳障りのいい模範解答をすぐに返す。よくできた機械みたいな奴らばかりになったと思っていたよ」  理事長の言葉に、将吾は同期の顔を思い浮かべていた。自分を追い抜いていった彼らは皆、要領よく抜け目なく仕事をし、いちいちぶつかって疑問を呈する自分を憐れんだ。保身に長けたもの、上司へのゴマスリが得意なもの、そうした者たちがいち早くチャンスを手にし、上へ登っていく。綺麗事だけで世の中は回っていかないと分かっていても、そこに将吾はどうしても馴染めなかった。 「少しばかり、ジジイの昔話に付き合ってもらおうか」  理事長はそう言うと、固唾を飲んで自分を見つめる東堂と将吾に微かに笑って見せ、もう一度茶を口に含む。それから深くソファに座り直して、話し始めた。

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