15 / 30

第15話 二度目のチャンス

「……」  しん、と静まり返った会議室の隅で、東堂の構えた携帯の向こうから電話の呼び出し音が鳴り続けている。相手は、A学園理事長秘書室。ショートメールの内容が本物なら、正面からアポが取れるはずだという判断で、二人は外部に公開されている正規のルートで理事長へ繋げてもらおうとしていた。 「……出ないな……」  当然、先方に東堂の携帯電話の番号くらいは知られているだろう。だから、このまま誰も呼び出しに応じなかったとすれば、そういうことだ。  ——まさか、本当にガセだったのか……?  祈るような気持ちで、将吾は待った。三コール、四コール……五コール目が、鳴り始めたその時だった。 「お待たせいたしました」  ——繋がった……!  将吾は思わず拳を握りしめる。 「……はい。はい。……お願いします」  東堂の言葉に答える秘書らしき女性の声が、電話口の向こうから微かに漏れ聞こえてくる。しばらく能天気な保留音が続いた後、再び女性の声が電話口に戻ってきた。 「承知いたしました。それでは二十二時に。よろしくお願いいたします」  相手の言葉までは聞き取れないが、東堂の返答から、どうやらアポが無事取れたらしいと分かった。 「行けたのか⁉︎」  東堂が耳から携帯を外したところへ、間髪入れず声をかける。前のめりな将吾に東堂は苦笑しながら、「ああ」と頷いた。 「今夜、二十二時だ。それ以外では受けないと」 「今夜⁉︎」 「会見自体が明日夕方だそうだ。明日の午前中には他社へも情報が回る。俺たちだけが独占取材だ」  静かに話す東堂の目には、ギラギラとした光が宿っている。将吾も、頭の回転数が一気に上がったような心地になり、何から考えればいいのか、思考がまとまらない。 「荻野さんのことは、理事長は何か言っていたのか」 「いや、理事長に直接繋いではもらえなかった。まあそれは予想していたがな」  あくまで、実際に会うまでは何も漏らさないという姿勢だろう。それでも、話が通ったということは、やはり背後で何かが動いたということだ。 「今夜、全部引き出してみせる」 「さっすがー!」  軽口を叩く将吾にも東堂は嫌味で返すことなく、フンと鼻で笑う。記者としてのプライドと腕を賭けた勝負に、勝つことだけを考えて挑む顔だ。  そんな東堂を、将吾は素直にかっこいい、と思った。 「お前は、そういう顔をしてる方が似合うな」  将吾の口から、勝手に言葉が転がり出る。 「は?」  眉間に皺を寄せた東堂にギロっと睨まれ、将吾は自分の不用意な発言に狼狽えた。  ——だから! 俺は! あれほど考える前に口を開くなと……!  場の空気がみるみる冷えていく気がして、来たるブリザードに備えて将吾はぎゅっと目を瞑る。だが、いつまでたっても心配したような反応は返ってこなかった。恐る恐る目を開くと、目の前の東堂が、目元を赤くして奇妙な表情を浮かべたまま、固まっている。  ——ん……? これは……照れて? いや、まさかな……。  英京新聞が誇る天下の冷血嫌味野郎に、照れるなどという純朴な機能が備わっているとは考えにくい。どう反応すればいいものか困って無言になってしまった将吾に、東堂は咳払いらしきものをひとつして、顔を引き締め口を開いた。 「とにかく。二十一時半に現地に着くように移動する。今夜がヤマだ。失敗は許されないぞ」 「わかってるって」  将吾の返事を待たずに、東堂はガタンと乱暴に立ち上がると、スタスタと会議室を出て行ってしまった。将吾もフロアに戻るべく、自分の荷物をまとめて会議室の電気を消し、廊下に出る。  歩きながら、将吾は改めて先ほどの東堂の様子を思い返した。初めて見る、表情だ。  やっぱりなんだかムズムズするような、妙なこそばゆさが込み上げてきて、将吾は思わずブンブンと頭を振った。   ◇ 「……わかりました」  二十二時五分、学校法人A学園応接室には、重苦しい空気が満ちていた。  理事長の趣味であろう、いささか派手なしつらえのソファに張られた革が、身じろいだ将吾の尻の下でギュッと音を立てる。  通されてすぐに、録音と撮影の禁止、取材時間は十五分と秘書を名乗る女性から言い渡された。人形のように整った華やかなその顔にはビジネススマイルこそ浮かんでいたが、目は笑っていない。  あまりに一方的な条件に将吾が不服を申し立てようと口を開きかけたが、有無を言わさぬ鋭い目つきで見据えられ、諾と言うほかなかった。隣の東堂はといえば、この程度は予想をしていたのか、ため息をつくと用意しかけていたレコーダーをを再びカバンの中へ放り込んで、代わりにメモとペンを取り出そうとしている。  ——引き受けたのは本当に形だけで、こりゃ全く話す気ねえな……。  そもそも指定してきた時間を考えれば、こちらを下に見ているのが明らかだった。どういう風の吹き回しで会見と取材をすることになったのかは不明だが、少なくとも理事長の心境の変化というわけではなさそうだ。  それでも、今まで一度も接触できなかった本丸に攻め込むことができたのは大きい。十五分をフルに使って、なんとしても記事にできる情報を引き出さなくてはならない。将吾もメモを取り出し、用意していた質問に頭の中で優先順位をつける。  この仕事に就いてから、おそらく最も大きなヤマに今、自分はいる、と将吾は思った。  取材前に何か軽く腹に入れておこうと思いはしたのだが、結局、緊張で何も食べる気になれなかった。今感じている胃の違和感が、緊張からなのか空腹からなのか分からない。喉もカラカラだが、出された茶には手をつけることが許されないような気がして、何度も唾を飲み込んだ。  約束の二十二時から時計の長針がゆうに半周した頃、ガチャリ、と音を立てて応接室のドアが開いた。 「英京新聞報道部、東堂です」 「同じく小野です」  将吾は東堂と共に立ち上がって名乗り、名刺を差し出す。それをちらりと一瞥しただけで、理事長はどかっと向かいのソファに腰を下ろした。

ともだちにシェアしよう!