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第14話 風向きが変わった

 数日後。  英京新聞本社ビルでは、バタバタとフロアを走る足音があちこちで響いていた。  社用携帯を耳に当て忙しくメモを取っているもの、外線に応じるもの。報道部の誰もが緊張と高揚を顔に浮かべ、落ち着きがない。  それもそのはずである。なんと、文科省の前事務次官が突然A学園をめぐる一連の疑惑について、会見を行うという情報が飛び込んできたのだ。  これが大きな転換点になるのは間違いなかった。前がつくとは言え、事務次官といえば大臣の直下、省庁の事務方トップだ。そのクラスが動くということを、どう読むか。会見の内容次第では、将吾たちの動きも大きく変わってくる。社内に走る緊張も、当然だった。  会見は今日の夕方らしいが、出席できない将吾たちはただそれまでの時間を待つことしかできない。空いた時間に溜まった書類仕事をしようとPCを立ち上げた将吾だったが、周りで飛び交う会話の端々に聞き耳を立ててしまい、全く捗りそうになかった。 「学園の設立に関しまして、内閣府が押し通す形で進んだのは、確かです」  はっきり言い切った前事務次官に、会場のどよめきが画面越しにこちらまで聞こえてくる。  会見が始まると同時に、中継の画面が報道部フロアのモニタに映し出され、部員たちは仕事を一旦中断してその周りに集まっていた。皆、固唾を飲んで画面を見つめている。おそらくどの新聞社でも、同じような光景が繰り広げられているだろう。  前事務次官からは衝撃の発言が続いた。英京新聞当局班が入手して大々的に報じた内部文書についても、在職中に受け取ったものであると認め、会場は報道カメラマンの焚くフラッシュの光で真っ白になる。 「こりゃあ……えらいことになったぞ」  会見の報道を食い入るように見ていた報道部員の一人が呟いた。その場にいた誰もが同じ心境だったに違いない。  会見終了後、報道部フロアは興奮に包まれた。これで形勢は一気に学園側が不利になる。この流れを見て、関係者の中には態度を変える者も出てくるはずだ。東堂と将吾もすぐに取材の計画を練り直し、アポ取りを開始した。  そこからは文字通り、寝る間も惜しんでの取材が始まった。  会見を受けて文科省が態度を一変し、文書の再調査をする旨を発表したことで、その勢いは一層加速した。今までは門前払いを受けてきた自治体のトップレベルにまで、笑いそうなほどあっさり話が通る。  世間の現金さを目の当たりにするのは何度経験しても気持ちのいいものではないが、動き始めて一ヶ月と少し、ようやく身のある記事を出すこともできて、将吾は疲労さえ心地よく感じていた。  流れがよくなれば、部内の雰囲気も自ずと明るいものになる。張り詰めていた空気が少しだけゆるみ、部員同士で雑談をする余裕も生まれる。  この日は珍しく会議室ではなく部のフロア内で軽い打合せをしていた東堂と将吾に、仕事が落ち着いている同僚たちが群がってきた。 「しばらく見ない間に、お前ら上手くやれるようになったんだなぁ」 「そうそう、最初のうちは火花バッチバチで、他人事ながら大丈夫かよって思ってたもんな」 「なんか、二人ともちょっと雰囲気変わったんじゃない?」  口々に勝手なことを言い始める先輩社員たちに、東堂が少しだけ迷惑そうな表情で顔を上げる。 「仕事ですから」  そっけなく言い放つ東堂を、先輩たちは待ってましたとばかりに冷やかした。けれど揶揄われても東堂の目つきに刺々しさはない。その微妙な変化が周りにも伝わっているのか、東堂に対する他の社員の態度はこれまでになく親しげに見えた。  先日のやりとりがあって以降、東堂との距離がぐっと縮まったことは、将吾もなんとなく感じていた。しかし改めて周りに言われると、妙に意識してしまう。  将吾の自意識過剰でなければ、どうやらそれは東堂も同じであるらしく、二人で行動していると、ふとした瞬間に微妙な空気になることが増えた。  微妙な空気、と言っても、険悪なものではない。これも将吾の自惚れでなければ、東堂も、将吾との距離感に戸惑っているような節がある。  あの時、東堂がずっと自分の中で抱えてきたものを少しでも吐き出したことで、何かが変わったのかもしれないと将吾はうっすら思っていた。それは感じたことのないくすぐったさ、若干の居心地の悪さがあったが、決して嫌なものではなかった。 「おい、小野。これを見ろ」  順調にこなしているここ数日の取材メモの整理を終え、思い切り伸びをした将吾に、東堂が横からずいっと社用携帯の画面を突きつけてきた。  なんだか、前にもよく似たシチュエーションがあった気がするが、ともあれ凝り固まった首をぼきぼきと回しながら何気なく差し出された画面を見る。しかしそこに表示されていた文言に、将吾はヒュッと息を呑んだ。 『理事長が会見を開きます。その前に、取材を』  これだけを記した、ショートメール。またしても差出人はわからない。  将吾は、無言で東堂と顔を見合わせた。予感が、確信に変わる。 「荻野さん……!」  小さく叫び声を上げてしまってから、将吾は慌てて周りを見回した。幸い報道部員の半数以上は取材などで外出中、残っている社員も自分の仕事に夢中で、こちらには誰も注目していない。ホッと胸を撫で下ろす将吾に、東堂が頷いた。 「ああ。番号は前と違うが、間違いないだろう」  どうやってかはわからない。もし危険を冒したのだとしたら、気が気ではないが、彼女が切り拓いてくれた道を無駄にするわけには行かなかった。  これが取れれば、英京の独占スクープ間違いなしだ。それに、当局班にも一矢報いることができる。東堂が高山キャップに内々に確認と許可を取るため席を外した後も、将吾はしばらく興奮で目の前の仕事に身が入らなかった。 「GOは出た。だがまだ、油断は禁物だ。これが悪意のあるガセでないとは言い切れないからな」  戻ってきた東堂は、半ば自分に言い聞かせるようにそう言った。  信じたい。その気持ちは将吾も一緒だった。  この仕事をやっていると、しばしば人の心が持つ力に驚かされる。こちらの思いが相手を動かすことも、その逆も経験した。  三ツ藤と対面した時にも強く感じたことだったが、一つの記事が生まれるまでには、本当にいろんな人の思いがそこにある。だから、荻野の思いが道を拓いてくれたのだと信じる。信じて、動く。それが今、自分にできることだと、将吾は思っていた。

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