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第13話 その心に届けたい

「お前、すごいんだな」  将吾は、思ったことを素直にそのまま口にした。自分だったら、そんな状態に陥ったらとっくに逃げ出していてもおかしくないと思ったから。 「は?」  東堂が面食らったような声を上げたが、構わず続ける。 「だって、仕事でもプライベートでもそういうさ、まあ行き詰まってどうしようもないような状況で、何年もやってきたわけだろ。お前見てれば、仕事に対しても、その……恋人に対しても、すげえ真面目に向き合ってきたんだろうなって分かるし。それ普通に、相当きついと思うよ」  東堂の直面してきたものが、全てわかるとは将吾も思っていない。だから細心の注意を払い、今度こそ心に届いてほしいと懸命に訴えたつもりだ。  しかし、東堂から返ってきたのは、乾いた笑いだった。 「恋人……ねえ」  ——え……。  まただ。こちらが真剣に考えてぶつかっていくほど、なんだかはぐらかされるような、どう捉えたらいいか分からない反応を返される。 「えっと、違ったのか……?」  三ツ藤は元カレ、という言い方をしていたし、すっかり二人はパートナーだったのだと思い込んでいた。そうなると、仮に自分が勘違いをしていたのだとして、そもそもこちらが踏み込んでいい領域なのかどうかも分からない。とにかく、めちゃくちゃに気まずい。  東堂は将吾を疲れたような目でちらと見たあと、ひどく醒めた声で話し始めた。 「小野のその、人を疑わないまっすぐなところが、お前の良さなんだろうな。だがな、お前が思うほど、俺は綺麗な人間じゃない。……買い被りすぎなんだよ」  東堂の声には、ささくれた苛立ちがはっきりとにじんでいて、将吾は少し動揺する。東堂の刺々しい物言いは今に始まったことではないのに、なぜこんな気持ちになるのか分からなかった。いつかの会議室前で立ち聞きした、激昂した東堂の残像が目の前の東堂と重なる。  どうやら自分が何かやらかしたらしいことは理解したが、展開に全くついていけない。 「お前にこんなことまで説明する必要もない気はするが、お前の中で俺が同情すべき被害者にされているのも不愉快だからな……。三ツ藤は、俺の〝恋人〟じゃない」  将吾は黙って項垂れたまま、続きを待つ。 「向こうはそのつもりだったかもしれないがな。というか、俺がそう勘違いするように仕向けた」  毒々しい笑みが、東堂の口の端に浮かぶ。 「そもそも、俺に恋人なんていたことはない。表面的にそう見えていたやつはいたかもしれないが、俺にとっては利用価値があるか、ないか。それだけだ。愛だの恋だの、そんなものは存在しない」  冷え冷えとしたその笑顔は、こうして共に仕事をすることになる前に将吾が思っていた東堂によく似合うもので、この男の本性を表しているように見えなくもない。けれど、今日までの間に将吾が見聞きしてきた色々な東堂の顔を思うと、その中身が印象のままの冷血人間だとはどうしても思えなかった。吐き捨てるように言うその姿に衝撃を覚えなくはないが、同時にそのどこか投げやりなところは、ひどく傷ついているようにも見える。  うまく言葉にはならないながらも、将吾の中に一つの思いが形になり始めていた。どうしたいのか、どうすればいいのか、わからず闇雲に傷つけ、自身も傷ついているような、今の東堂はそんなふうに見えた。  将吾はなぜか胸が締め付けられるような感覚を覚える。  何かを、言いたかった。  何か、気の利いた、東堂のこわばった心を少しでも和らげられるようなことを。  そんなスキルを全く持ち合わせていないことを呪わしく思いながら、かといって黙っていることもできなくて、将吾は口を開く。 「なんて、言うのかな……俺が、お前の感じたこととかを全部理解できてるとはもちろん思わねえんだけど、……俺は、そういうふうに人間関係を作ってきたのも、死ななくていい人が亡くなったり、自分のせいで傷つけられる人を思って苦しんだりするのも、全部ひっくるめてお前なんだなって思うんだよ」  ——いやー、そうじゃねえんだよな……知ったようなことを言うなって感じだな……。  口に出してみれば思ったよりも酷い拙さで、言ったそばから心が萎れそうになる。なんとか自分を鼓舞して、将吾は続けた。 「こんなことを言うとまたおめでたい奴って言われるかもしれないけど、俺は、お前のそういうところ、人間くさくていいと思うんだよ。その、三ツ藤のことがあったわけだし、あんま危ないことはしてほくないけどさ。いつか刺されそうだし。……けど、お前にもそういう迷いとかがあんだなって。いや、俺も偉そうなこと言えた立場じゃないんだけど……そうやってもがくのが必要な時ってのがあんじゃねえのかな」  最後のは、支局時代に伸び悩んでいた頃、当時の上司にかけられた言葉の受け売りだ。  自分の思い描いていたキャリアに実績が全く届かず、同期に次々と抜かされていく中で、仕事に意義を見いだせなくなっていた時期が将吾にはあった。人のネタを横取りしてでものし上がりたいとまで思えない自分に、この仕事は向いていないのではないかと真剣に悩んだ。時に報道の社会的意義や記事の向こうにある人々の心なんてものより、目の前の抜き抜かれに汲々としなければいけないことに、疑問がわいた。「小野はお人好しすぎるんだよ」と、同期から憐れみ混じりの慰めをかけられた。  記者として入社しても皆が皆、出世して本社へ行けるわけではない。さまざまな理由で競争に敗れ、あるいは自ら土俵を降り、地方支局で記者人生を終えるベテランたちの姿を将吾は目にしてきた。それを陰で揶揄する者も、少なくはない。  しかし、将吾には彼らがそんなふうに揶揄されるような負け組だとは思えなかった。そうした支局のベテラン勢がいなければ学べなかったことも、たくさんある。  何を信じればいいのか。自分はどうしたいのか。考えるのが決して得意とは言えない将吾が、そこで腐らず初心に立ちかえり、やがて自分なりの戦い方を見つけられるようになったのは、ひとえにその時将吾に目をかけてくれた上司のおかげであった。将吾は心の中で、上司に勝手に言葉を拝借したことを詫びる。  将吾がようやく言葉を切って、そろりと横目で隣を伺うと、東堂は何やら口を真一文字に引き結び、目を伏せたままじっと動かないでいる。  一体どう解釈したものか将吾が悩んでいると、不意に東堂が苦笑いをこぼした。しかしその笑いに先程のような毒々しさはない。文字通り、毒気を抜かれたような顔だった。 「お前って、思った以上に底抜けのお人好しなんだな……」  その言葉を今また言われるとは思っていなかった。けれど、同期からかけられたそれと、同じ言葉でも色合いも肌触りも違う。若干呆れ混じりの小馬鹿にした口調ではあるが、どこか、温かい。 「高山さんが、お前を俺と組ませた理由がわかった気がする」  その声に、もう自嘲は感じられなかった。

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