22 / 30

第22話 仕切り直して

「改めて、本当によくやってくれた」  その日の朝から、将吾は東堂ともども高山に呼び出されて会議室にいた。  A学園理事長の会見から一週間。事態はスピーディーに、かつ大きく動き、捜査の結果理事長は逮捕、起訴された。文科省も関与を認めたが、職員は全員不起訴。総理も責任を問う声が野党から多数あがったが、辞任はしない意向を明らかにした。  後味がすっきり、とはいかない結末だ。けれど誰も巻き添えにならず、誰も犠牲にならなかった。そのことが、今の将吾には一番、嬉しかった。  会見以降の記事は警察の捜査動向を追うものへとシフトしていき、将吾が最後に書いたのは、事件のあらましから、今回の事件の社会的な意味を問う総括だ。それが昨日の夕刊に掲載され、反響もかなりあったという。  それをどこから聞いてきたのか、自分のことのように誇らしげに伝えてきたのが東堂だったことが将吾には驚きだった。すました顔をしていても、その目を見れば心の底から将吾の活躍を喜んでくれていることがわかる。東堂から自分に向けられる熱量が日々少しずつだが増えていっていることが、信じられないような、地に足をつけようとしてもふわふわと浮いてしまうような、そんな心地だった。 「そういうわけで、一旦この件は幕だ。主要関係者の動向はしばらく追わなきゃいけないだろうが、もうそれは警察の発表ベースでいい。というわけで」  高山がもったいぶって間を置く。東堂と将吾は続く言葉を待った。 「君たち二人には、今回の活躍に対する労いとして、特別休暇を与える。急ぎがなければ、今日明日はゆっくり休みなさい。かなり体を張った取材を続けていたようだからね」  ——休暇⁇ え、今日? いきなり⁇  急に言われても、うまく事態が飲み込めない。そんな将吾たちに、高山はやや悪戯っぽい顔をして付け加えた。 「復帰したら、次に君たちに組んで行ってもらう先がもうあるから。十分に英気を養ってくれ」  そう言い残して、高山は先に会議室を出ていった。後にはポカンとした顔の将吾と、ポーカーフェイスを崩してはいないが明らかに戸惑っている東堂が残される。 「特別休暇、って、なんだ……? そんなの、聞いたことないけど……」  ようやく放心状態から復活した将吾が、ギギギと音がしそうなぎこちなさで隣に立つ東堂を見やる。東堂はやや難しい顔で眼鏡の位置を指先で直しながら、将吾の疑問に答えた。 「俺は聞いたことがある。職長権限で、部下に休暇を取らせることができるっていうやつだ」  そんな制度、将吾は初耳だった。それもそのはずで、東堂が言うには社全体でも取得させることがあるのは年に一度か二度、東堂がこれまで実際に見聞きしたケースは一人だけだという。 「そんな隠しコマンドみたいな休暇、俺たちがもらって大丈夫なのか……?」  おっかなびっくり確認する将吾とは対照的に、東堂は落ち着き払っていた。 「上長指示なんだ。大手を振って休めばいい」  そう言って肩をすくめると、東堂も会議室を出て行こうとする。取り残されては敵わないと、将吾も慌てて後を追いかけた。 「お前は今日このまま休めそうなのか?」  廊下で追いついて東堂の横に並び、歩きながら将吾が聞いた。ずっと一緒に組んで仕事をしてきたのだから、ある程度は状況を共有しているが、細かいところまで把握しているわけではない。将吾としてはその程度の世間話感覚で質問したのだが、東堂の反応は意外なものだった。 「……だったら、何だ」  やたらと低い声。今まで東堂と積み上げてきた関係がなければ、何か地雷を踏んだのかと縮み上がるところである。しかし、うまく言えないけれど将吾にはわかった。  ——お……?  自惚れてはいけない。そう思うけれど、この反応は意識しているようにしか見えなかった。  これまでは休日もあってないような状態だったし、そもそも互いの休みなど意識したこともなかった。しかし考えてみれば、二人が同時に、何の予定もない休暇を揃って貰ったことになる。  ——そっ、か……。  それはつまり、その気になれば一緒に過ごせるということ。そして東堂が、おそらくそう意識したということ。にやけそうになる顔を、将吾は必死で引き締め、何気ないふうを装った。そうなったら、言うべきことはただ一つだ。 「いや。まあ、高山さんもああ言ってたことだし、もし何もねえなら、飯でもどうかなって」  ちょっとだけ順番がずれてしまった気はするけれど、これはこれでいい。触れたい気持ちと同じくらい、東堂が自分のことを話すのが聞きたかったし、他愛ない話をして笑ってみたかった。 「……ひ」 「ひ?」 「昼か?」  何を聞かれているのか一瞬分からなかったが、意味が分かった途端、吹き出しそうになった。  昼か、夜か。つまりこのまま適当に仕事を切り上げて会社を出て早めの昼食にするのか、夜改めて待ち合わせてどこかへ飲みにでも行くのか。そんなことを気にする東堂は、こうした誘いにも慣れていないだろうことがありありと伝わってきて、無性に抱きしめたくなるから困る。  ——そんなの、お前がいいなら両方だけどな……。  とはいえ、あまり急に距離を詰めても困らせてしまうだろう。何となく晩飯を想定していた将吾だったが、考え直した。もう、手を伸ばせば触れられるところまで来ているのだ。ゆっくり、東堂のペースに合わせたい。 「そうだな。このあと少しだけ片付けをして、会社を出て早めの昼飯にしようか」  そう声をかけると、東堂は少しだけ間を置いて、頷いた。 「いらっしゃい」  会社から最寄り駅までの間に位置する、創作和食料理屋の暖簾をくぐって、引き戸を開ける。混雑のピークにはまだ早い店内は、それでもちらほらとサラリーマンの姿が見られた。  お互いを意識している二人が初めて食事をするにはいささか味気ない店のチョイスではあったが、それでも同僚がまず来ないだろうちょっと外れた場所を選んだ努力は評価してほしい。  ここには報道部に異動したての頃、佐倉に連れられて何回か来たことがあった。洒落すぎず汚すぎず、いい具合に落ち着いている。早い・安い・うまいを重視する将吾の持ち札には絶対入らないタイプの店だ。将吾は心の中で佐倉に感謝した。 「はー、久々に来たけどやっぱいいな。旨かった〜」  将吾が普段行くようなところに比べれば少々値が張るが、その分奥行きのある繊細な味付けや旬の具材に、心が豊かになる感覚がある。東堂も気に入ってくれたようだった。  将吾はあえて東堂にあれこれ聞いたりはせず、努めて当たり障りのない会話に終始した。一度受け入れてもらえた記憶がもたらす余裕なのかもしれない。駆け引きとまではいかないが、がっつくことなくこの絶妙な距離感を楽しめていることが我ながら新鮮で、将吾はそんな自分に少しばかり酔っていた。

ともだちにシェアしよう!