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【9】甘い告白①

 オンエアの翌日、勇士郎は早起きをしてまずはシャワーを浴び、しっかりと朝食を取ってから、外出の支度をした。  玄関を出ようとしたら、思いがけず雪が降っていて、勇士郎は慌てて部屋に戻り、マフラーとコートをより厚手のものに変えてから、傘を持って家を出た。  夜の間から降っていたのか、すでに道路も家々の屋根も、真っ白に覆われている。 (バスとか電車、大丈夫やろか……)  勇士郎は、温人が住む埼玉の町までの道のりを考えて少し不安になった。けれど、もし電車が途中で止まってしまっても、タクシーなど他の方法で行けばいい。  勇士郎はどうしても今日、温人に逢いたかった。約束もしていないけれど、なぜだか必ず逢える気がしていた。  最寄の駅まで行くバスに乗るため、いつもの公園に足を踏み入れた。この公園を抜けるのが、バスターミナルへの近道なのだ。  すっかり葉を落とした木々が、白く雪化粧されていて、まるで水墨画の世界に迷い込んだみたいだ。  この寒さと雪のせいだろう、公園には人影がなく、積もったまっさらな雪の上を、ブーツの底でサクサクと音を立てながら歩く。  公園の中ほどまで来たとき、勇士郎はふと足を止めた。そこにあるのは屋根を白く覆われた東屋だ。その柱にもたれて行き倒れていた温人に声をかけたあの夏の日が、もう随分と前のことのように思われる。  早く温人に逢いたくて焦燥に胸が騒いだとき――。 「ユウさん」  ふいに名を呼ばれてハッと顔をあげた。懐かしい声に、胸の奥がキュウッと痛くなる。  傘をあげ、おそるおそる声のした方を見ると、そこに立っていたのは、とても背が高く、澄んだ目を持った、勇士郎が逢いたくて逢いたくてたまらなかった男だった。 「うそ……、どうして」  茫然と呟きながらも、勇士郎の足はすでに彼のもとへと歩き出していた。  夢じゃないだろうか――。  真っ白な世界に包まれていると、これがとてつもなく都合の良い夢のように思えてくる。  けれど温人はいつまでたっても消えたりせずに、勇士郎がすぐ傍に辿りつくまで、穏やかな笑みを浮かべながらそこに立っていてくれた。 「温人……、どうして……」  手を伸ばせば触れられる所まで来て、勇士郎は瞬きを忘れたように、愛しい男の顔を見上げる。 「あなたに、逢いに来ました」  黒い傘をさした温人は、最後に言葉を交わした日よりもずっと大人の男の顔をして、包み込むような眼差しで勇士郎を見つめていた。 「どうしても、あなたを忘れられなかったから」  静かに告げられた言葉に、勇士郎はちいさく唇を開き、そのまま言葉を忘れたように、潤み始めた瞳を揺らした。心臓がどきどき、どきどき、と高鳴り、それは脈打つたびにどんどん加速してゆく。 「埼玉に戻ってから、また眠れなくなりました。でもそれは悪夢のせいじゃなくて、ユウさんのことを考えてしまうから。最後の日に見たあなたの悲しそうな顔が、目に焼き付いて離れなかった。夜になるたびに、あなたが泣いてるような気がして」  勇士郎は熱く滲んだ涙を懸命に堪えながら、温人の目を見つめ続けた。 「本当はすぐにでも逢いに行きたかった。でも自信がなかったんです。俺といて一つでも、ユウさんにとっていいことがあるのか、また困らせるだけなんじゃないかって。だけど昨日のユウさんの、あのドラマを観て、やっぱり諦めたくないと思ったんです」  勇士郎がハッと目を瞠ると、温人は微笑んで頷いた。 「あの時、ユウさんが言ったでしょう。ほんとに自分の大切なもののために生きろって。俺、そのことちゃんと考えました。何度も何度も。離れてからずっと。家族のこととか、結婚のこととか、将来のこととか、ユウさんが言ってくれたことの意味を、真剣に」 「……」 「でもやっぱり何度考えても、ユウさん以上に大切なこと、俺にはないんです。だから来ました。あなたにそれを伝えるために」  ついに堪え切れなくなり、勇士郎の頬を涙が伝った。  温人は冷たい指先でそっとそれを拭うと、勇士郎の傘を畳み、そのちいさな身体を自分の傘の中へと引き入れた。   その瞬間、勇士郎は焦がれてならなかった広い胸に、顔を埋めて泣いた。 「……おまえに、抱かれたあと、ほんとは凄く後悔した。死ぬほど、後悔したんや。きっとオレは、おまえを、忘れられなくなる。会えなくなっても、この先ずっと。……それが判ったから」  苦しげに肩を震わせる勇士郎の背を、温人は静かに、優しく撫でてくれる。 「でも、温人がレコードくれて、……こんなに、オレのこと想ってくれる、ひ、ひとは、他に、おらんて思った。…逢いたくて、すごく逢いたくて、…でも、オレはまだ、中途半端やったから、せめて、おまえに恥じないようなもんを、書こうと思ったんや。…それで全部ちゃんと終わったら、逢いに行こうって。好きやって、伝えようって」  温人の手がふと止まって、そのあとすぐに強く抱き締められる。 「ほんとですか…、ユウさん、ほんとに俺を?」 「好きや、ほんまに、ほんまに、温人が大好きや…!」 「嬉しいです、ユウさん……!」  温人が声を上ずらせるのを聞いて、喜びが全身を駆けめぐる。キスがしたくて伸びあがるけれど届かなくて、泣きながら見上げると、温人はたまらないといった顔で勇士郎の頬を優しく包み込み、身をかがめて素早くキスをしてくれた。  そして真っ赤になった勇士郎を、東屋の屋根の下へと導き、少しだけ濡れたベンチに腰掛けると、勇士郎を自分の膝の上に横抱きに乗せてしまう。 「な、なに、温人、恥ずかしい」  すると温人は持っていた鞄から赤と緑のギフトバッグを取り出して勇士郎に渡した。 「なに?」 「プレゼントです。絶対ユウさんに似合うと思って買ったんです。クリスマスの時に。渡せないって判ってるのに」 「……開けてええ?」  「はい」  リボンを丁寧に外し、中からなにやら温かい手触りのものを取り出す。  出て来たのは、綺麗なベージュ色の、ニットキャスケットだった。 「ええー、ほんまに? ありがとう」   早速被ってみる。少しゆったりとしていたが、それが勇士郎のちいさな顔と大きな目をいっそう愛らしく引き立てた。 「やっぱり…、すごく似合う」  温人が満足そうに目を細めながら、ツバの下に前髪を入れてくれる。 「ありがとう…すごい、嬉しい」 「髪の毛、伸びましたね」 「うん。でも、温人に切ってもらった髪を、他の人に切られてしまうんがイヤやったんや。…だから、また温人が切ってくれる?」  首を傾げて訊くと、温人はいっそう甘く弛んだ眼差しで勇士郎を見つめた。 「もちろんです」  ふと沈黙が落ちて、勇士郎が恥ずかしげに目を伏せると、温人は左腕でしっかりと勇士郎の腰を抱き寄せ、細い顎を指先ですくうと、短いキスをした。 「あっ……」  勇士郎が思わず手の甲で唇を隠すと、温人は愛おしげに微笑み、その手のひらにもキスをした。 「は、温人、」 「大丈夫です。誰も来ないし、これ被ってたら、ユウさんの顔も見られません」  ここで温人が帽子をくれた意味に気付いて、勇士郎はカアッとまた赤くなった。なんだか初めて出逢った頃よりもずっと、温人が余裕のある男に見えて、悔しいような、惚れ直すような複雑な気持ちになる。  けれど、イヤですか? と甘く訊かれたら、首を横に振るしかない。  冷たい唇がまた振って来て、温人のコートに包まれるように抱き締められながら、そこだけ熱い濡れた口内を貪られる。くちゅりと恥ずかしい水音が小さく響いて、ゾクゾクッと全身が粟立った。 「ぁふっ…ん……んん…ぅ……ふ……っ」  気が付けば勇士郎も夢中で温人の胸にしがみつき、もっともっとと激しい口づけをせがんでしまう。  雪は次第に大きなぼたん雪へと変わり、熱い息を交わす恋人たちを、白いベールのなかに、静かに包んでくれた。

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