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【8】もう一度踊るために④

 そして年が明け、一月十一日。オンエア当日となった。  勇士郎は早めに夕食と風呂を済ませ、録画準備が整っていることを再度確認してから、リビングのソファに腰を落ち着けた。  この瞬間は、何度経験しても激しく緊張する。しかも、今回は初のオリジナルということもあって、握り締めた手が強張った。  今ここに温人がいてくれたら、と強く思う。 (温人、観てくれてるやろか……) *  ホテル『夜間飛行』の一階には、広いダンスフロアがある。客席から一段高く作られたそのフロアには、ここでタンゴを踊った人々の、無数のステップの跡が刻まれている。  凍てつく冬の夜、窓の外には雪が舞っていた。その静かな夜の奥から聞こえてくるのは、官能とパッションに満ちたタンゴ音楽だ。  柔らかなスポットライトの落ちるフロアの中心で、一組の影が揺れている。  マダム・ノワールと男爵だ。  黒夫人と呼ばれるマダムは、いつも黒いドレスを身にまとっている。  男爵というのは、普段はバーカウンターの中で、客たちに酒を振舞うバーテンダーのあだ名だ。  このホテルの従業員はみな、相手のいない客たちのために、ステップを習得しなければならなかった。それはソウタも例外ではない。  初めてターンの練習をした時は、目が回って吐いてしまったこともあるが、今ではもう、そんなこともなくなった。  しかし今、マダムの相手をしている男爵のテクニックは玄人はだしで、ソウタの拙すぎるステップなどは比べるべくもない――。 〇 ホテル『夜間飛行』・ダンスフロア(夜)   廊下まで漏れ聞こえるタンゴ音楽。   制服姿のソウタ、ドアの隙間から中を   覗いている。   フロアの上ではマダムと男爵が甘美な   メロディに合わせて踊っている。   男爵、ソウタの姿に気付く。 男爵「んなとこで覗いてないで、入って来たらどうだ」   ソウタ、ビクリと肩を震わせ、   おずおずと中に入る。   二人の華麗なダンスに   目を奪われるソウタ。   曲が終わり哀愁を帯びたスローテンポ   なナンバーに変わる。   マダム、おもむろに男爵から離れ、   ソウタに向かって優雅に手を伸ばす。 ソウタ「いや、俺は――」   マダムは手を伸ばしたままソウタを   見ている。   ソウタ、ためらったのち、ぎこちない   ステップでフロアに入る。   マダムの手を取り、動きに合わせるが、   ステップが複雑すぎて間に合わない。 マダム「下を見ない」   慌てて顔をあげるソウタ。   そのままもつれるように踊る二人。   ソウタ、何度もマダムのヒールを踏む。 ソウタ「す、すみません」 マダム「(小さく笑い)吐かなくなっただけ、上等じゃないか」   ソウタ、恥ずかしさに俯くが、   すぐに慌てて顔をあげる。   少しずつ二人の息が合い始める。   マダム、乱れたソウタの髪を撫でる。   母親のような仕草に、ソウタの顔が   くしゃりと歪む。  ソウタ「――わ…分からないんです、俺、…どうして…、俺だけ、こうやって生きてるのか…、あんなに、母さんたちを苦しめて、…自分だけ逃げて。……もう、償うことも出来ないのに、…俺は、なにも、出来ないのに」 マダム「――」 ソウタ「どうやってこの先、…なんのために、生きればいいのか……分からないんです」   マダム、無言でステップを踏み続ける。 ソウタ「……す、すみません」 マダム「考えればいい」 ソウタ「え…」 マダム「いまアンタがここにいること。この世界に残されたということ。その意味を考え続ければいい」   ソウタ、ぽろりと涙を零す。 マダム「どう生きれば正解かなんて、誰に分かるんだい。アタシたちは神様じゃないんだ」    グイと涙を拭い、マダムを見るソウタ。   毅然と前を向き続けるマダムが眩しい。 マダム「もし分かってるヤツがいるとしたら、そいつはもう、人間なのさ」   マダム、ソウタを見て薄く微笑む。 マダム「あんたはどうなんだい、坊や――」 *  

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