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【10】愛の讃歌①

 部屋はいつのまにか薄暗くなっていた。温人の腕の中で目を醒ました勇士郎は、いつのまにかパジャマを着せられていて、温人との激しい情交の末に、気を失うように眠ってしまったのだと気付く。  そのあと、温人が勇士郎の身体を拭いて、服を着させてくれたのだろう。  恥ずかしさに顔を火照らせながら、目の前に眠る男の顔を見つめた。美しく整った男らしい顔に見惚れながら、幸せの溜め息をつく。 (ほんまに…、ほんまにまた逢えた……)  こんなにいい男が、本当に自分の恋人になってくれたのかと思うと、喜びが後からあとから沸き上がってきて、またじんわりと目が潤んでしまう。そっと熱い涙を拭おうとしたとき、ぱちりと温人が目を開けて、涙ぐむ勇士郎を優しく見つめた。 「お……起きとったん……?」  勇士郎がうろたえてとっさに目を伏せると、温人はちいさく笑って、シャツを着た胸に勇士郎をそっと引き寄せた。 「ユウさんの眠ってる顔が可愛すぎて、寝られませんでした」 「なっ…、なんや…、それ……」   勇士郎は照れてシーツに顔を伏せたが、気障な台詞も、温人が言うと素直に信じられる。温人の言葉には嘘がない。だからこんなにも惹かれるのだろうと思う。 「お、お腹、空かへん?」 「空きました。実はユウさんに逢いに行っても、『なんで来たんや』って怒られるかもしれないと思ったら、緊張して朝から何も食べられなかったんです」 「ええー? なんやそれ~」  勇士郎が笑うと、温人も苦笑した。 「怒るワケないやん。オレやって、今日、逢いに行こうと思ってたんやもん。……だから温人が来てくれたんは、ほんま嬉しい」  勇士郎が微笑んで温人の目を見つめると、温人も優しく微笑み返してくれる。 「ご飯、食べよか?」 「はい」  勇士郎は手をついて起き上がろうとしたが、腰から下にまったく力が入らなくて、ポスンとまたシーツの上に倒れ込んでしまう。 「あ、あれ……?」 「――すみません、俺のせいです」  温人は慌てて勇士郎の肩を抱き、支えるようにして起こしてくれた。 「ユウさんに触ってると思ったら、歯止めがきかなくなって、……辛い、ですよね?」  労わるように腰や背中を撫でられて、勇士郎は真っ赤になる。温人とのあれやこれやを鮮明に思い出し、たまらずに温人の胸に顔を押し付けた。 「でも、俺、本当に幸せです。またこうやって逢えて、ユウさんと話せて、あなたに触れることが出来るなんて、夢みたいで、すごく幸せです」 「……オ、オレも…、すごい、幸せ」  勇士郎がキュッと温人のシャツの胸元を掴むと、温人はハハ、と笑って長い両腕で、しっかりと勇士郎を抱き締めてくれた。  それから二人はシャワーを浴び、温人が作った夕ご飯を一緒に食べて、久しぶりにリビングのソファで遅くまで語り合った。軽くワインを飲みながら、ゆったりとした時間を過ごす。 「ユウさんのドラマ、本当に良かったです。うちのばあちゃんたちも凄く面白かったって言ってました」 「ほんまに? すごい嬉しい」  勇士郎はホッとしながら、笑みを零した。  昨夜のオンエア以降、様々な知り合いからメールやメッセージが届き、どれも嬉しい感想ばかりでありがたかった。  母を通して、父親からの感想も届いた。辰己鏡子の魅力が余すところなく活かされていて大変良かった、とのことだ。どんな顔をしてその感想を言ってくれたのかと思うと、知らずに頬が緩んだ。  SNSなどでは、多少辛口のコメントもあったが、概ね好評で、特にマダムを演じた辰己鏡子を絶賛する声が多かった。 『マダムのダンス、やばい』『まじで泣いた』『40年ファンやってて良かった』『これが日本のアラ還』などといったコメントを見て、あの日ダンススタジオで見た彼女のタンゴを思い出し、改めて深い尊敬の念を抱いた。  英圭吾の演技もなかなか好評で、彼のそれまでと違った役柄への挑戦は、新たなファンを獲得することに繋がったようだ。 『俺マジで英ってダメだったんだけど、なんかちょっと好きになったわ』といった男性のコメントなども見つけて、勇士郎も嬉しくなった。  そして特に勇士郎が嬉しかったのは、『元気が出た』『勇気もらった』といった声があったことだ。それを見た時に、本当に書いて良かったと、勇士郎はしみじみと喜びを噛み締めた。  視聴率も二桁に乗ったようで、河合プロデューサーからも『次なにやろうか?』と早速のお誘いメールが届き、勇士郎のやる気をすでに盛り上げてくれている。  辻野からもメッセージが届いていた。『本当にいいドラマだった。感動した』という言葉を、勇士郎は素直に受け取ることが出来た。  辻野のことを思っても、もうあんな風に胸が痛むことはない。それは温人がいてくれたから。温人が勇士郎を変えてくれたのだ。  改めて自分にとっての温人の存在の大きさを思い、勇士郎は隣に座る温人をそっと見つめる。  温人もその視線に気付いて、勇士郎を見つめ返すと、ワイングラスをテーブルに置いて、勇士郎の手を取った。 「ユウさん」 「ん?」 「俺、理容師を目指すことにしました。遅いスタートだし、これから働きながら通信制の学校で勉強して国家試験を受ける形なので、免許が取れるまでにだいぶ時間がかかってしまうと思うんですけど、やってみようと思って」 「そっか、理容師かぁ、ご両親の後を継ぐってことやな」 「はい。店は無くなってしまいましたが、両親が誇りを持ってやっていたことを、俺もやってみたいと思ったんです」 「そうか、…でも、温人、大丈夫なん?」  理容室で働くことになれば、嫌でも火事のことを思い出すことになるだろう。あれほどトラウマに苦しんでいた温人を知っているだけに、ひどく心配になる。 「思い出して辛いこともあると思いますけど、それでも自分に出来ることがあるなら、したほうがいいんじゃないかなって。……きっかけはユウさんだったんです」 「え、オレ?」  「はい。前にユウさんの髪を切らせてもらったときに、ユウさん、言ってくれたでしょう。『結婚式に出る勇気が出た』って。それ聞いたとき、ほんとに嬉しかったんです。これならもしかして俺も、誰かの役に立てるかもしれないって」  温人の言葉を聞いて、勇士郎は同じだな、と思った。自分がすることで、誰かの背中を押したり、元気を出してもらえたりしたら本当に嬉しいし、やって良かったと思えるのは、どの仕事でも一緒なんじゃないかと思う。  なにより温人が自分で恐怖や不安を克服しようとしていることが、勇士郎にはとても嬉しかった。自分が出来ることであれば、どんなことでもやってその夢を支えてあげたいと思う。 「理容師になったあと、ケア理容師っていう制度のことも勉強すれば、お年寄りや介護が必要な人が来店したときに対応出来たり、外出できない人のために、在宅や施設に訪問して施術が出来たりするらしいんです」 「へええ、すごいやん。それって温人にすごいぴったりな気ぃする」  人に対しての思いやりがあり、体力もあり、聞き上手で器用な温人なら、きっと多くの人を喜ばせることが出来るだろう。 「ユウさんにそう言って貰えると、ほんとに勇気が出ます。頑張ります」  温人は触れていた勇士郎の手を、両手でぎゅっと包んだ。 「うん、オレ、応援する。きっとうまく行くと思う」 「ありがとうございます」  温人は心底嬉しそうに笑った。勇士郎も嬉しくなって、温人の肩に額をぐりぐりと擦りつける。  すると温人は笑いながら勇士郎を軽々と持ち上げて自分の膝の上に横抱きに乗せた。ぴったりと抱き合って、ぬくもりを分け合う。  優しく肩と髪を撫でられて、勇士郎はうっとりと目を閉じた。 (温人の手って、なんでこんなに気持ちええんかな……。あ、温人が帰るまえに、髪切ってもらわな――)  そう考えて、勇士郎はぱちりと目を開いた。  まだ大事なことを訊いていないことに気付いたのだ。 「あ、…あの、働くって、どこで働くん?」  腕の中から見上げると、温人はにこりと微笑んだ。 「理容室です。あれからずっと、雇ってもらえるとこ探してて。やっと今月末から使ってもらえるとこ見つかったんです」 「ほんま? うん、そぉか、良かったやん! 勉強しながら実地でも学べるってことやろ、すごいええやん」 「はい、そうなんです」 「……、え、えと、埼玉…なん?」  おずおずとした問いに、温人はますます笑みを深くする。 「いえ。千葉です。N市にある店です」 「そ、そっかぁ」  N市ならここからそう遠くはない。  勇士郎が、ぱぁっと顔を輝かせると、温人は楽しそうに頷いた。 「最初からそのつもりでした。少しでもユウさんの近くにいたかったから。そこで頑張っていれば、いつかまたユウさんに会えるかもしれないって。埼玉の祖父母も賛成してくれました。自分の行きたい所へ行って、生きたいように生きなさいって」 「うん…、うん……」  温人が祖父母たちに本当に愛されているのだとよく判る。それが勇士郎には、とても嬉しかった。   しかし、温人はどこに住むのだろうか。出来ればまたここに一緒に住んで欲しいけれど、あんな狭い部屋じゃ申し訳ないし、でも自分は狭いのが苦手だから、部屋を代わってあげても耐えられるか判らない。  いっそ引っ越すのがいいだろうか。でも温人はもう住む所を決めているかもしれない。  なにより自分から出て行けと言ったのに、今更戻って来てほしいなんて、そんなの虫がよすぎるだろうか――。  勇士郎が温人のセーターの裾を無意識にいじりながら、俯いてぐるぐると考えていると、フ、と小さく笑う声が聞こえた。 「ユウさん可愛い」  え、と顔をあげる間もなく、ガバリと抱き締められて、愛おしげに頬にキスをされる。  温人にはもう、すべて読まれてしまっているのだろう。勇士郎は赤くなった顔で、照れ隠しのように温人の肩をカプリと噛んだ。  

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