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第11話 運命の渦

 マスカード城に着いたのは夜半を過ぎたころだった。  城の真上に月がのぼって、巨大な影をつくりだしている。  俺は窓をあけてその影を見上げた。  かつて西方には強力な軍事力をもつ異国があった。  その国の攻撃より皇都を守るべく建てられたその城は、これより東方にある飾りの多い絢爛豪華な城とは違い、質実剛健といった風情で、軍事的拠点としての役割を果たすのに十分すぎるほどの広さと堅牢な城壁をもっていた。  俺は屹立する何重もの城壁を見た。  この城壁が、マスカード城を難攻不落といわしめたのだ。  ――その名城に、第一皇子の目を盗んで第二皇子が入場する。  始まる動乱の予感に、俺はぞっとした。  城壁の中から、迎えの騎兵がやってくる。彼らは鎧を身にまとい、物々しい雰囲気だ。 「本当に、皇位を狙うのか?」  疾走する馬車の中で、俺が尋ねるがしかし、ハンローレンは答えなかった。  その眉間には深いしわが刻まれて、顔は蒼白だ。  俺たちの間ではそれっきり会話はなかった。  馬車を降りるとすぐ、俺は城の奥へと連れていかれた。  ハンローレンはどこか別の場所へ消えた。    案内された部屋には5人の人物が待っていた。うち3人は揃いの黒い衣装を着て、残りの2人は腰に剣を佩いている。 「侍従頭を務めます。キリルと申します」  黒の衣装の3人のうち、ひとりが前に進み出て膝をついた。そして後ろを振り返り、あとの4人を紹介した。  3人の侍従と、護衛2人。  彼らが俺が逃げ出さないように見張る人間というわけだ。 「あの、俺、その…」 「将来の皇帝の配偶者様にお仕えできますことを光栄に思います」 「配偶者って」  慌てる俺をよそに、キリルはきっと目をつりあげた。 「ハンローレン様は慈悲深く、信心深い立派なお方です。間違いなく、この国を導いてくださいます。キフェンダル様はその伴侶様としてこちらへ入城なさったとうかがっております。皇帝と配偶者様は一翼でございますれば、我々一同、全身全霊でお仕えいたします」  俺は面食らって、息を飲むのが精いっぱいだった。 「お疲れでしょう。まずお休みください。湯を用意させています」  キリルは仕事ができる人間らしい。  彼が手際よく指示を出すと、俺はあっという間に風呂場に押し込まれ、そのまま寝室に入れられてしまった。 「では、おやすみなさいませ」  そうして彼らは寝室から退室してしまった。  ひとり残された俺は呆然とするほかになかった。 *****  翌朝、豪勢な朝食と、俺と向かい合う席にしれっと座っているハンローレンを見て、俺は脱力した。 「いっしょに食べるのか……」 「何か問題でも?」  卓の上の料理に目をやると、そこにはいたって普通の貴族の朝食が並んでいた。  それを見て、俺は席についた。  てっきり、さっそく儀式のために五穀を絶った質素な食生活を強要されると思っていただけに、食欲そそるその匂いにあらがえなかったのだ。  ハンローレンはいつもの柔和な笑みを浮かべている。  まるで昨日の会話などなかったかのようだ。 「俺ってさ、ようするにさ、お前に騙されて誘拐されてるんだよな?」  一応俺の立ち位置を確認しておく。  ハンローレンは小首をかしげて「救出と表現してください」と言った。 「そもそも、あなたの運命は決しています。ハイントル皇子と結婚するか、私と結婚するかのどちらかです」 「勝手に決めるなよ。片田舎でのんびり暮らすって選択もあるんだぞ」 「それは難しいと、このひと月弱で十分に理解されたと思っていましたが」  俺は押し黙る。  確かに、俺の立場は非常に微妙だ。  人民たちは皇帝陛下の具合が悪く、いつお亡くなりになってもおかしくないと噂をしている。  残される第一皇子には配偶者がまだいない。  神の眷属となった配偶者を得なくては、皇子は皇位は継げない。  儀式には5年の時が必要だ。  いまから配偶者候補を見つけ出しても、皇帝陛下がこときれるまでに間に合うかどうか、誰にもわからない。    第一皇子は俺がはじめから儀式することになっても、ひとまず儀式を終えられる可能性が高いと踏んで俺に執着し、ハンローレンは俺があと少しで儀式を終えられることを知っていて俺に結婚を迫っている。    この状況、ふつうなら俺は第一皇子に差し出されていてもおかしくないが、幸か不幸か、第一皇子の民衆貴族からの支持はそれほど高くなかった。  第一皇子は俺を追放してからというもの、素行の悪さが露呈して貴族から反発をうけているし、民衆は続く飢饉で若者を都市にとられ疲弊している。  彼の地盤の中心であった俺の生家である伯爵家も、今となってはそれほど強く彼を守らないはずだ。  それなら、いっそ第一皇子を捨てて、第二皇子に皇位を――。  なんといっても、第二皇子は大神官になるほど優秀な人物だ。  そう人々が考えてもおかしくない。  脳内に昨晩のキリルの言葉が響いた。  俺はため息をついた。  皇子への貴族の不満。民衆の怒り。配偶者の不在。  いろいろなことが、それもハンローレンにすらあずかり知らぬところで重なり合って、いまこの状況を作り出している。  俺は言った。 「それって、お前自身の望みなのか?」 「……そういう星の下に生まれたのです。どうしようもありません。あなただって、わかるでしょう?」  言外に、望まないまま配偶者に選ばれたかつての俺の運命を引き合いにだされて、俺はとうとう言うべき言葉を失った。  ハンローレンは「それに」と続ける。 「皇位を継ぐことは私の本意ではありませんが、私が皇位を継げばあなたの望みは叶えられます。片田舎でのんびり過ごしたいとおっしゃりましたよね? 皇位を継いだあかつきには、あなたに田舎の村をひとつさしあげますよ」 「言ったけどさ……」  そういう形で、それこそハンローレンの人生を犠牲にするような形を望んだのではない。 「私は強要はしません。あなたにとって最善の選択をなさってください」  彼はそう言って、食事を始めた。  俺もつられてフォークを手に取った。  マスカード城は皇都から近く、レニュ穀倉地帯とも街道が繋がっている。  俺は白パンを手にして、このパンに使われている麦がもしかしたらレニュから来たのかもしれないと思いを馳せた。  俺はいまこの状況になってもまだ、レニュ穀倉地帯のことが気がかりだった。  それはハンローレンも同じのはずだ。  彼がレニュに送った俺の偽物とその一隊は、山ほどの食料と多くの医師を抱えていた。  神殿は呪いを破るために神官を派遣するなら慣れているが、病への対応は門外漢のはずだ。  あれほどの食料と医師をあつめるのは苦労しただろう。  しかし、宮城がやらないなら神殿がやるしかない。  彼も彼なりにレニュのことを気にしているようだった。  そして、その彼のやさしさと統率力に、人々は期待し、縋り、そして彼を祀り上げるに至ったのだろう。  自分のことは棚に上げて、俺はハンローレンの運命を憐れんだ。  食事がすんだあと、席を立った俺の背に向かって、彼が尋ねた。 「私との結婚はお嫌ですか」  俺はうなだれた。 「そういう問題じゃ……じゃあ、ハンローレンは俺と結婚したいのかよ?」 「はい」 「ええ?」  予期せぬ返答に俺は思わず素っ頓狂な声をあげて振り返った。  ハンローレンは大まじめな顔をしている。 「結婚したいです。あなたと」 「よせよ。わかってるんだ……お前も、つらい立場だよな」  俺が言うと、今度はハンローレンが押し黙った。  

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