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第16話 救済の陰
その年のはじめ、エドの村で病が蔓延した。エドはレニュ穀倉地帯の中心であるウガ湖の北部に位置する小さい村である。この村には医者がいない。病は一気に広がった。
その病にかかった者は手足の痛みを訴え、悪魔を見たと叫びだした。
すぐに宮城から医師団が派遣されたが、ついに治療の術をみつけることはできなかった。
人々はこれが呪いだと噂するようになった。
人々は病人を担架にのせて、湖のほとりに建てた急ごしらえの小屋に連れて行った。
小屋の中には魔除けの品を並べ、病人をその品々の間に寝かした。
隔離し、封じることで、呪いから村を守ろうとしたのである。
小屋には1日に一度だけ、病人の家族が食べるものと水とを運ぶ。しかし、誰も中には入ろうとはしない。呪われた者のまわりには悪魔が控えており、次の獲物を狙っていると信じられていたためである。
この呪いはウガ湖北からはじまって、次々と湖畔の村々を襲った。
村長たちは神殿に水を捧げ、麦を捧げ、神への帰依を誓ったが、それでも呪いから救われることはなかった。
やがて呪いは穀倉地帯全域へ、そして国中へと広がった。
この呪いは「レニュの呪い」と呼ばれた。
農民たちはなす術がなかった。
ただ平伏し、この厄災が通り過ぎるのを身を硬くして待つほかにないのだ。
夜には湖畔に死体を燃やす炎がうつった。
その炎は消えることなく燃え続けた。
「こりゃあひでぇ……」
ガラックは湖畔に目をやって、そうつぶやいた。湖畔には無数の小屋が建てられていたがしかし、そこに入りきらない者たち、または飢えと渇きで小屋を出たが、そこで力尽きた者たちが葦の茂みに折り重なるようにして倒れていた。
ガラックはゆっくりと小屋に近づいた。
湖畔はこの国でも有数の景勝地である。時はちょうど夕刻である。真っ赤に燃え上がる太陽が麦を染め、また湖畔を染めていた。
彼はエドの村の農夫である。彼には妻も子どももない。18歳になる弟と2人で麦を作って暮らしていた。
彼はその弟を探しにここにやって来た。
弟は「レニュの呪い」にかかって、この湖畔の小屋に連れて行かれたのだ。
それはちょうど彼が街へ道具類を買いに出て家を留守にしている間のことであった。
彼は家にあった薬草を持ってきていた。効果があるかどうかは誰も知らない。しかし、彼はただひとりの肉親を助けたい一心であった。
ようやく見つけた弟は、小屋の外壁にもたれかかっていた。
「おい、おい……! 大丈夫か、しっかりしろ」
声をかけるが、返事はない。
弟は肩に毛布をかけ、右手には食べかけのパンを持っている。
目は硬く閉ざされて、唇は青い。
もともとガラックの弟は病弱であった。それでも、愛嬌があり、いつもくるくると表情を変える明るい子だった。それゆえ、ガラックの亡くなった親も、またガラック自身も弟を溺愛していた。
ガラックは祈るような気持ちで弟に呼びかけ続けた。
何度目かの呼びかけに、ようやく弟は薄目を開けた。
「にい……ちゃ……」
ガラックは胸が締め付けられるようだった。
「薬を持ってきたからな。きっと良くなるからな」
まるで自分に言い聞かせるように言った。
すぐに薬を入れた水嚢の口を開く。
弟の口元に寄せたが、半分以上口の端から流れ落ちてしまった。
どうしたらいい、神よ――。
ガラックは祈った。
宮城から来た医師団は早々に皇都へと逃げ帰った。
神殿から来た神官も、この呪いは解けなかった。
学者、賢者、奇術師、賢者の弟子だという男……名のある者たちが立派な馬車に乗ってやってきては、レニュを見捨てて帰っていく。
「俺たちがなにをしたっていうんだ」
こんな理不尽はあってはならない。許してはならない。
ガラックの胸には怒りがあった。
しかしそれをぶつける先がなかった。
そして、助けを求める先すらーー。
「ちくしょう」
ようやく吐き出したその一言はしかし、湖畔の上に消えた。
*
その一団が到着したのは麦が実って首を垂れたころだった。
宮城からの使いだという彼らは、100人の兵士部隊であり、第一皇子からの勅命を受けていた。
最初、農民たちはその兵士たちの到着を喜んだ。
実った麦を刈り取ろうにも、動ける人数が足りずに稲を刈り取れないでいた。
このままでは今年の麦がだめになってしまう。
そんなときに現れた第一皇子が派遣したという兵士たち。
農民たちはほっと胸をなでおろした。
しかし、その夜、村に火があがった。
ガラックは家の窓からその火を見つけて、あわてて家から逃げ出した。
彼は善良な人間で、すぐに村の人々に避難を呼びかけた。
村をひとまわりする途中、彼は皇子の兵士が火を放つ場面を見てしまった。
「何をしている!?」
兵士に食って掛かるが、彼らはまったく意に介さない。
「皇子の命令だ」
それだけ言うと、彼らはまた手に持った松明を藁山に投げた。次いで、「湖畔の小屋も焼け」という声が聞こえた。
炎に照らされた兵士たちの顔は冷酷だ。
ガラックは震えた。
足が竦んで動けない彼を見て、ある兵士が近づき、「呪われた民は殺すべきだ」と言った。
兵士が腰に佩いた剣に手を伸ばす。
弾かれたように、ガラックは湖畔に駆け出していた。
湖畔に倒れ込む人を押しのけ、弟を見つけ出す。
「逃げるぞ!」
ガラックが言うがしかし、弟の足は黒ずみ、もう立つこともできない。
さらに、弟はもうガラックの言葉が理解できなかった。
彼はガラックに向かって意味のわからないことをぶつぶつと言ったあと、けたけたと笑った。
ガラックは唇を噛む。しかし彼は弟を見捨てることはできない。
彼は弟を背負った。どうせ死ぬのなら、よき兄として死のうと思った。
兵士たちは容赦なく湖畔の葦に火を放った。
秋の乾燥した風は火を広げた。
煙にいぶされながら、それでもガラックは足を動かし続けた。
「僕たちが何をしたっていうんだ」
ひとりのか弱い農民の言葉に耳を貸す者はいない。
「助けて」
声は見渡す限りの麦畑に溶けていく。
足をとられて、地に倒れる。
息も絶え絶えだ。
弟の体は冷たく、そして重かった。
「助けて」
もう一度言う。
歯を食いしばって立ちがろうとしたがしかし、精魂尽き果てて、もう足に力が入らない。
最後の抵抗、とばかりに爪で地面を掻く。
「……助けて」
諦めにも似たつぶやきは、ついに届く。
「助けに来たよ」
ふいに声がふってきて、手をとられた。
「あ……」
黒い目に黒い髪。目の前にいる人物に、ガラックは目を見開く。
「お待たせ」
畑の賢者、そして第二皇子ハンローレンの婚約者がそこにいた。
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