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第22話 過去
その日、俺は無心で雑草を抜いていた。
俺が好きな仕事のひとつである。
ひょこりと生えた雑草を掴んで、引き抜く。ぶちぶちと音を立てて抜けたり、土ごと豪快に抜けて地面に穴をあけたりする。
俺の仕事のおかげで、教会の庭はずいぶんときれいになった。
空には薄い雲が広がっている。
いよいよ冬が近いのだ。
広大なレニュの土地からすべての麦を刈ることはできそうもない。
しかし、やれるだけのことはした。
俺は息を深く吸い込んだ。
今日、俺はギルに休むように言い含められていた。
儀式の影響で体は痩せているし、さらに無理な移動や極限まで働いたことで、俺はひどい顔色をしていたらしい。
今朝、ギルは俺を一目見るやいなや、俺を教会の寝室に叩き込んだ。
腰の低いギルだが、このときばかりは目を吊り上げて俺に命令した。
「寝てください!」
というわけで俺はベッドに横になったのだが、どうにも暇をするのは性に合わないらしい。
一眠りすると畑の様子が気になってしまった。
しかし、さすがにギルに見つかるとまずいと思い、こうして教会の庭の隅で雑草を抜くことにしたのだった。
雑草を抜くのに頭はいらない。
手だけはしっかりと動かしながら、しかし頭は空っぽになった。
その空になったところにハンローレンの言葉が響く。
「愛しているのです」
俺は奇妙な声を上げて頭をかきむしった。
3日前、俺に衝撃の告白をしたというのに、ハンローレンはいつも通りだ。
涼しい顔で、俺のそばに来て他愛もない話をする。
俺の方といえば、彼の声が聞こえたら思わず物陰に隠れてしまったり、目を合わせられなかったりと心中穏やかではない。
もともと俺とハンローレンは幼馴染だった。
歳下の彼は純朴で、俺を見かけるとぱっと笑ってくれるかわいい奴だった。
――いつからだ? いつから、あ、愛してるって……そんな……。なんで?
俺の脳内は疑問でいっぱいだ。
そしてそれを彼にぶつけられるほど、俺の恋愛スキルは高くないようだった。
ハンローレンとの出会いは、俺が13歳、彼が11歳のときである。
俺は神殿の来賓室のソファに座っていて、彼は小さなノック音のあとに入ってきたのだ。
俺が目をやると、そこには2人の人物が立っていた。
ひとりは当時の大神官、そしてもうひとりが小さなハンローレンである。
大神官が言った。
「ご挨拶申し上げます、キフェンダル様。こちら、本日より儀式の手伝いをつとめますハンローレンでございます」
続いて神官の服を着た小さな彼が、俺の前に進み出て挨拶をした。
「ご挨拶申し上げます、キフェンダル様。ハンローレンと申します」
このときの驚きを、俺はまだ覚えている。
背丈は俺より小さかったが、それでも子どもらしくない柔和な表情、そして凛とした声。
神官見習いではなく、正式な神官の服を着た少年。
俺は上から下まで眺めて、それからまぬけな質問をした。
「君って、何歳?」
ハンローレンは生真面目に答える。
「11になります」
「うわっ、歳下だ。見えないね、すっごく大人びてる」
「そんなことはございません。キフェンダル様にお会いできると聞きまして、背伸びをしております」
謙遜までできるらしい。
俺は唸った。
前世の記憶がある俺よりも落ち着いた雰囲気のある歳下の子。
末恐ろしい。この子はきっと出世する。
「よろしく」
俺が言うと、ハンローレンは深く頭を下げた。
「精一杯つとめます」
彼は生真面目だったが、しかしあたたかい人柄でもあった。
俺が植物が好きだと知ると、彼は俺のために野花や実を持ってきてくれるようになった。
菜の花、どんぐり、栗、チューリップ…。
彼はその植物の名前をほとんど知らなかったが、俺のために懸命に集めてくれた。
それはつらい儀式と、息を付く間もないくらいに忙しい日々の中で宝物になった。
ある日、彼が松ぼっくりを持ってきた。
「大神殿で特別大きな松ぼっくりを見つけました。季節のものですから、ぜひお見せしたく…」
ハンローレンが言った。
松ぼっくりは暖炉の火起こしに使われる他に、部屋に飾ることもあった。
松ぼっくりを手渡す彼の手の冷たさで、俺はようやく季節が秋になっていることを知った。
俺はその立派に開いた松ぼっくりを眺めた。
「ありがとう、嬉しいよ。もう秋か……最近外に出てないから、忘れてたよ」
「では、次はもっと秋らしいものをお持ちしますね」
彼の言葉に俺は笑った。
気遣いの言葉が、単純に嬉しい。
彼に対して俺もなにかできればいいのに、と思った。
「そうだ、ハンローレン、松ぼっくりが動くのは見たことあるか?」
「動く、ですか?」
「そう」
この頃俺に許された飲み物は水だけだった。
俺は飲みかけのカップを持ち上げると、松ぼっくりに水をかけた。
ハンローレンは目を丸くしてこちらを見ている。
少しすると、松ぼっくりのかさがぐぐっと動き出して、きゅっと締まっていった。
「ほんとうに、松ぼっくりが動きました……!」
ハンローレンは無邪気に喜ぶ。それを見て俺も得意げに説明した。
「松ぼっくりの中には種が入ってて、雨から守るためにこういう仕組みなんだ」
「すごいです! どこで知ったんですか?」
「本に書いてあったんだよ」
半分嘘で、半分ほんとうだ。本で読んだのは間違いないが、その本はこの世界にはない。
「もっと知りたいです」
「いいよ。じゃあ次は…」
ハンローレンはキラキラした目で俺を見る。俺もそれがくすぐったくて、やめられなくなる。
俺の秘密の授業はずっと続いた。
ハンローレンは夢中になって大神殿の庭にあるものを片っ端から届けてくれた。
「ハンローレンって変わってるよな」
ある日、俺はそう言った。
「……どのへんが、でしょうか」
「11歳って、貴族の子どもでもまだ泥や花で遊んでるのにさ」
「仕方ありません。私にはお役目があるのです」
「たまには神官の仕事を休んで、田舎に行って虫でもとってきたらどうだ?」
「そうしてみたい気持ちもありますが、私は神殿から出てはいけないのです」
寂しそうに彼は言った。
俺は頷いた。
「そっか」
きっと、彼にも彼の事情があるのだろう。
俺にも俺の事情があるように。
「でも」彼は続けた。
「私はキフェンダル様にお会いできましたから、幸せです。この世界にこれほどの花があること、実があること、季節があること、すべて教えていただきました。このような神秘があることを私は知りませんでした」
「おおげさだな」
俺は苦笑する。
彼に話したことの中には、俺の異世界の知識も入っているが、こちらの世界の常識も入っている。
彼はものを知らなさ過ぎる。
「キフェンダル様のお話はまるでおとぎ話のようです。この世の不思議が全部入っているのです。私にとっては宝物庫です」
「ありがとう。俺にとってハンローレンは世界と俺をつなげてくれる存在だよ」
俺が言うと、彼はぱっと明るく笑ってくれた。
こうした何気ない時間があったから、俺はあの生活に耐えられたのだ。
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