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第21話 大事な話

 俺は今日も忙しく走り回っていた。  俺は教会のあるカナン村を拠点と定めて、そこに物資などを集めていた。  そして各村に使者をおくったり、または村からの要請に応えたりとあわただしく過ごしている。  まず、午前中は各村から戻ってきた使者たちの報告を聞いてまた指示や助言をし、昼頃には禊を行い、水浴びを済ませると午後からは各村の代表者を集めて塩水選の方法や土中の麦角菌を殺菌する方法をレクチャーした。  麦角菌は麦に感染し、増え、再び土中に潜る。感染した実を地に落とす前に刈り取ることができれば一番いいのだが、麦という生きているものを相手になかなかそうすることはできない。    つまり、土の殺菌もあわせて行う必要があるのだ。  火にも寒さにも強い麦角菌ではあるが、菌である以上紫外線には弱い。  つまり、収穫後の麦畑は深耕して土を外気に晒せばだいぶ減らすことができる。  収穫と塩水選が終了した村は土の殺菌作業に入った。  来年のことを考えるなら、これが一番重要で、気が抜けない。  俺は使者たちの報告を詳しく、神経をとがらせて聞いた。  ギルには物資の仕分けや使者とする人物の選定を任せていた。  使者は注意深くものごとを見ることができ、また報告でき、そして正確に持ち帰れる人物が望ましい。  ギルはそうした人物を見つけ出すことができた。彼は彼自身によく似た人物を選べばいいだけなのだ。  塩水選に必要になるワイン樽は国中から届けられていた。  ワイン樽を各村に輸送する部隊、またワイン樽の底の大きさに合わせたザルを作る専門の部門も作った。    俺とギルが顔をあわせられるのは昼過ぎ、俺が禊の儀式を終えたあとである。  最初、ギルは俺の髪が白くなっていることに目を丸くしていた。俺が夜にはまた黒くなるよと言えばさらに驚いていた。  しかし、それも最初だけで、いまとなってはお互いに忙しすぎて、俺の髪の色のことなど気にしていられなくなった。 「ギル、西のハナイ村の様子はどうなったかわかるか?」 「はい賢者様。その村から使者が来ました。樽が届いて塩水選をはじめたそうです」 「そっか。よかった。あとは、カナン村の病人は?」 「無事に療養所に到着したようです」 「よし。じゃあこれで重症の病人の移送は終わったな。あと食料はどれくらい届いてる?」 「まだ十分ではありませんが、西の方から届く見込みがあります」  俺たちはお互いに早口で情報を共有していく。  場所は教会の地下倉庫だ。  教会は基本的に村の代表者や使者たちの宿泊所として使っていた。  彼らはひっきりなしにやって来ては戻っていくため正確な数はわからないが、教会内のすべての部屋を寝室として使ってもまだ入りきらないくらいにまで膨れ上がっていた。  そのような状況であるため、俺たちの打ち合わせに使える部屋がもうないのである。  従って、俺たちは薄暗い地下倉庫を執務室にしていた。  ここにはギルが持ってきて使い道のなくなったビネガーも所狭しと保管されていて、机と椅子4脚を置いたら相当狭くなってしまった。  それでも、1日30分足らずの打ち合わせには十分であった。  打合せ後ギルを見送って、午後の予定を組み立てていると、ハンローレンがやって来た。  ここのところ彼も次々とやってくる脱走兵の身元を確認して配置をしたり、貴族たちの相手をして食料や物資を要求したりと忙しい。  数日前からはハンローレンの副官であるらしいフェリダムという男が配下を連れてマスカード城から追いかけてきて、仕事を手伝ってくれている。  しかし、ハンローレンは彼に無断でレニュに来たことをくどくどと責め立てられるらしく、こうして日中にたびたび俺のところへ逃げ出してきていた。  彼は言った。 「忙しそうですね」 「まあね」  俺はちらりと彼に目をやる。  彼はいつもの神官の服を脱いで、農夫たちがよく着るような軽装の上に温かそうな外套を羽織っていた。 「またフェリダムの目を盗んで来たのか?」 「まあ、そんなところです」  彼はしれっと言う。  このところ、彼はこうして農民のふりをしてふらふらと出歩いている。  悪ガキのような彼に俺は苦笑した。 「フェリダムが困ってると思うぞ」 「あれは困ったりしませんよ。逃げ回る私を見て楽しんでいるはずです」 「そんなことないだろ」  ハンローレンがため息をついた。  彼も逃げ出すことがある、というのは新発見だ。 「少し休んだら戻ります」 「まぁ……座れよ」   彼は椅子をひいて座る。それからしばらく俺が紙にペンを走らせているのを眺めていた。  ふと、まるで明日の天気のことを話すように口を開いた。 「選帝侯が新たに4人、こちらにつきました」 「ふーん。……え?」 「これで決しました。あとは皇都を奪還して戴冠式を行うだけです」  スミレ色の瞳がゆっくりとまばたきをして、こちらに向けられる。 「戴冠式の前に神殿で結婚式を行う必要があります」 「け、結婚式ぃ?」  俺は頓狂な声を上げた。  ハンローレンは続ける。 「ええ。もう近いはずです」 「近いって?」 「儀式の完了です」  そう言われて、俺は自分の髪を撫でつけた。  いまは禊終わりで脱色されているが、夜に祝詞を唱えると黒くなる。  それが、近頃ではすっかり日本人であったときと変わらないくらいに黒くなってきていた。瞳ももう黒と表現していいだろう。  俺は尋ねる。 「儀式の完了って、どうやってわかるんだ?」 「……わかるそうです」 「どうやって?」 「わかりませんが、皇族は見たらわかるそうですよ」 「へぇ……」  そんなものなのか、と思った。俺が他人事のように頷いていると、ハンローレンがおもむろに立ち上がった。  そして、「気が付いていないようですので、言っておきますが」と前置きをして話し始めた。  いつになく彼が真剣な面持ちであったため、俺は背筋を伸ばした。 「私は」彼は言う。 「結婚したら、あなたを大切にします」 「う、うん。ありがとう」  なにやら照れる。俺が俯いてもじもじとしていると、さらに彼は言った。 「愛しているのです」  俺は驚きすぎて弾かれたように顔を上げて彼を見た。  彼は肩をすくめて、天を仰ぐ。 「……あなたは純粋すぎますよ……」 「ええっと」  俺は反応に困り、目を右に左に動かした。  ハンローレンはゆっくりと説明した。 「キターニャ村にあなたが隠れ住んでいることを、第一皇子から隠すこともできました。でも、それをしませんでした。継承争いになれば、やさしいあなたが折れると、私と結婚してくださると確信していましたから」  彼はこちらの反応をうかがうように言葉を区切った。  予想だにしない話に、俺は言葉が出なかった。  彼は問う。 「軽蔑しますか?」 「いや、別に……」 「すべては、あなたを愛しているからです。あなたを愛することを認められた立場になりたい。――だから結婚したいのです。それだけ、伝えておきます。返事はまたで結構ですよ。あなたの心の準備が整ったときに」  そう一気に言うと、彼は地下倉庫から出て行ってしまった。  俺は口をあけたまま彼の背中を見送った。

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