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第20話 手を携える
マノン村はレニュ穀倉地帯と呼ばれる平原からやや外れた、北西の山裾にある村である。
この村では主にとうもろこしを栽培している。今年の夏は大豊作であった。
マノン村はこの秋の時期になると楽しみがない。
とうもろこしを仕入れるために次々と商隊がやって来ることも、また定期的に立つ市へとうもろこしを持って行くこともなくなる。
村人は薪を割ったり、機を織ったり、また山の実りを収穫したりと村の中で暮らす。
外の情報は、たまにやってくる旅芸人の芝居や歌から漏れ聞くだけである。
ある日、マノン村に吟遊詩人がやってきた。
いつもなら吟遊詩人が来たと知ったら村人たちは広場に集まって彼らが歌い出すのを今か今かと待っているのだが、今年の村人たちは内心うんざりしていた。
「きっとまたレニュの呪いの話に決まっている」
村人たちは恐ろしい話はもう聞きたくないと思っているのである。
広場に集まった村人の数は片手で数えられる程度であった。
しかし、吟遊詩人は観客が少ないことなど意に介さず、高らかに竪琴を鳴らしはじめた。そして、明るい声で「畑の賢者」の歌を歌った。
それはレニュに夜明けが来たことを告げる希望の歌であった。
畑の賢者は塩を溶く
レニュの麦の呪いを解く
土の民の矜持を説く
顔を伏せて往来を歩く人々の足が止まる。
希望の歌が彼らの耳に届く。
カレスとケールは去年結婚したばかりの夫婦である。
彼らはちょうど2人で畑の様子を見に行って帰ってきたところであった。
妻のカレスは吟遊詩人の歌に「レニュ」という言葉が含まれているのを聞き咎めて、顔をしかめた。
「ああ、やだねぇ、またレニュのことを歌ってるよ」
「いや、でも、なんか……」
2人も他の村人と同様に足を止めた。
歌は続く。
レニュの呪いの正体、賢者の救い、農民の団結……。
そして歌は「レニュに来たれ」と繰り返した。レニュを救うには人と食料が必要なのだ。
歌が終わった時、ケールはその場に縫い付けられたように立ち止まって動けなかった。
「ちょっと?」
カレスが夫をつつく。ケールはぐっと拳を握ってこう言った。
「レニュに行こうと思うんだ」
「なんだってそんな……」
「だって、賢者様もいらっしゃるんだ。そんな悪いことにはならねぇよ」
「畑はどうするのさ?」
「近所の連中に頼むよ」
「でも」
「俺たち農民は、困ったときはお互い様だろ」
夫の目を見て、カレスは肩を竦めた。お互い様。それは季節ごとに協力して困難を乗り越えていく農民たちの魂にしみついた言葉だ。
「……わかったよ。畑のことは私にまかせときな。どうせもう収穫は終わっているしね。ほら、あのちょっと形の悪いじゃがいも。いっぱい貰って、裏に箱ごと積んでるだろ。レニュの人たちに持っていってやんな」
「まかせときな」
レニュには各地から人がやってきた。彼らはレニュの農夫たちとともに麦を刈り、乾燥させ、脱穀し、そして選別した。
また、貴族たちは領地の食糧庫を開放し、レニュへと食料が届けられた。
代わりにレニュの倉庫に眠っていた昨年の麦類はすべて廃棄された。
農夫たちは賢者を讃える歌を歌った。
麦畑で作業するとき、夜休む前、その歌は人々とともにあり続けた。
その歌はかわるがわるやって来ては各地へ戻っていく手伝いの農夫たちによって国中に広められた。
畑の賢者の存在は国中が知るところとなった。
ケールはレニュのエド村で塩水選の仕事を任された。
指揮をとっているのはガラックという男である。そして彼に指示を出しているのは賢者の弟子だという。
用意されていたのは無数のワイン樽で、その中には塩水が入っていた。
ケールは見たことのない麦の選別方法に興奮した。
彼が「きっとこの賢者様が伴侶になられたら国がよくなるに違いない」と呟くと、ガラックは目を輝かせてケールの手をとった。
「ああ、俺もそう思ってたところだ!」
*
ある日の夕刻、ガラックとケールが任されていた仕事場を出ると、なにやら村の入り口の方が騒がしい。
「なんだ?」
ガラックが走って確認に行く。
ケールも後をついて行くと、村の入り口に何人もの男たちが座り込んでいる。
その衣服からして、兵士であると予想された。
彼らを囲むように、鍬や鋤を持ったカナン村の農夫たちが立っている。
兵士のひとりが言う。
「俺たちだってもとは農民だ」
農夫が答える。
「だからって、信用なるもんか。俺の家はお前たち第一皇子の兵士に燃やされたんだ」
農夫の言葉に数人が頷く。
「そうだ!」
「出ていけ」
という言葉が聞こえた。鍬でどんどんと地面を叩いて威嚇する。
兵士は早口で言い募る。
「それが、一番いいと信じていたんだ。国のためになると。でも、今は違う」
「騙されるもんか。そう言って、また火を放つつもりか?」
農夫たちも譲らない。
そこで、ガラックが口を開いた。
「こいつら、何だっていうんだ?」
「いや、それが、皇都から逃げ出して来た兵士だって。レニュを手伝いたいとかなんとかで……」
「へぇ」
ガラックは兵士の前に膝をついた。
「俺の弟は病気なんだ。お前たちが言うところのレニュの呪いにかかってる。――お前たち兵士に焼き殺されかけた」
兵士たちはぐっと顔をあげる。
「すまない……」
「……西のハガダン街が、領地の医者を集めて療養所をつくってくれるらしい。いまレニュは人手が足りなくて、病人の面倒をみれねぇんだ。それに、昨年の麦はだめだから、食べるものも少ねぇ……」
「……」
「お前たちが本当に心を入れ替えて、賢者様のために働くっていうんなら、弟たちをハガダンへ連れていく仕事がある」
農夫の中から「そんな!」と声が上がる。
「ただし! いまから弟に会うことが条件だ! 謝るのは俺らへじゃねぇだろ? 弟と、それから苦しんでる病人たちへだ!」
兵士はゆっくりと立ち上がる。
「会おう……会わせてくれ。それに、俺たちが責任をもってハガダンへ連れていく。国民を守るために兵士になったんだ」
「そうか。ここで待ってろ。連れてくる。ここにいろよ。まだ村に入ることは許さねえ!」
その後のことをケールは見なかった。
しかし、後日農夫の服に着替えた兵士たちが、ハガダンからやってきた護衛達といっしょに病人を運んでいく姿を見かけた。
彼らはハガダンでは医師の指示のもとで、病人の世話をまかされたという。
こうした兵士たちの行動が讃えられると、やがて皇都から兵士たちが脱走することが多くなっていった。
第一皇子によって、脱走に対する厳罰が告示されると、さらにその数は増えた。
反対にレニュを救わんとする働き手は、日に日に増えた。
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