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第19話 呪いの正体
翌日、俺は無事だったウガ村の農民を麦畑に集めた。
彼らは全員で50人ほどである。彼らの顔には疲労の色が濃い。
彼らの疲労をよそに、黄金色の麦はおだやかに揺れている。のどかな田園風景だ。美しい光景は、しばしこの地に起きた悲劇を忘れさせてくれる。
しかし、その黄金色の中にある黒の粒。
それがすべてのはじまりである。
俺は一本の麦を引き抜いた。
その麦は黄金色の実の中に、いくつかの黒い実をつけていた。
「これが、レニュの呪いの正体だよ」
俺はその麦を農民たちがよく見えるように掲げた。
ウガ村の農民たちは家を焼かれたばかりである。
しかし、麦で生計を立てている彼らは、麦をそのままにして腐らせるわけにもいかない。
収穫しなくては来年飢えてしまう。
彼らは疲れた体に鞭打って、何重もの円を描くように俺のまわりに集まり、その麦を見つめた。
その最前列を陣取っていたギルが眼鏡を押し上げて言った。
「黒い、変形した実をつけていますね」
「そう。麦角っていうんだ。麦のツノ。麦角菌っていう菌がこの中に入ってる」
俺は麦から飛び出している一粒の黒い実をつまむ。
農民たちはどこか「やっぱり」という顔をしている。
あきらかな麦の異変。農民たちも気がついていたのだ。ただ、それと呪いを結びつける知識がなかっただけだ。
ギルが尋ねる。
「菌……それが病の原因だと?」
「正確には、麦角菌が生み出す麦角アルカロイドが原因だ。中毒を引き起こして、命に関わる」
「あるか、ろいど」
「そう。ようするに毒だよ。この毒は、加熱しても消えないし、水にも溶けない。おまけに麦角菌は土の中で越冬する」
ギルがメモ帳を取り出す。農民たちは一言も聞き逃すまいと耳をそば立てている。
俺は急に照れ臭くなった。
麦角菌による麦角アルカロイド中毒。
麦角菌はその名の通り麦類に感染する菌であり、稲類には感染せず、日本ではあまり知られていない。
しかし、中世ヨーロッパではペスト、ハンセン病と並んで3大病に数えられる。その燃えるような手足の痛みから、「聖なる火に炙られる病」とも表現された。
化学的に説明するのなら、麦角アルカロイドは神経を破壊し、手足の燃えるような痛みを引き起こし、また血管を収縮させるため、手足の壊死、精神異常、幻覚などを引き起こす。
まさに、「レニュの呪い」そのものである。
現代日本であったなら、トルエンとエタノールの混合物でアルカロイドを除去することができるはずである。
トルエンは樹脂から精製できるが、いまこのとき樹脂の採取からしていたのでは間に合わない。
となると、とるべき対処法はひとつだ。
ひとりの農民が口を開いた。
「それで、ワシたちはどうすれば?」
「黒くなった実を取り除くんだよ」
ギルが驚嘆する。
「取り除くって……この穀倉地帯全域から、ですか?」
「うん。それしかない」
俺の言葉にギルは顔を青くするが、農民たちの顔色は変わらない。
彼らの覚悟はもう決まっているのだ。
いつの時代も、どの世界でも、農民には矜持がある。
俺はそう信じている。
安全な食べ物を、美味しいものをつくるという矜持だ。
特に、麦、米。主食と呼ばれるような食物供給を担う農民たちが矜持を持たなくてどうするのだ。
日本でも、主食である米は戦争中であっても食物自給料80パーセントを維持していた。それは農民たちの矜持だ。
この世界では麦がそれにあたる。
干ばつ、多雨、寒波、嵐、地震、蝗害、野生動物……。
農業はいつでもさまざまな脅威とともにある。
それでも農民はあきらめない。負けない。
国の穀物庫とまで呼ばれるこの一帯の農民が、この程度で負けるわけがない。
俺は農民たちの力強い視線に促されるようにして、説明を続ける。
「ふつう、麦は収穫して、脱穀したあとにふるいにかけるだろ? その後にもう一手間かける。塩水に入れるんだ」
「それで、菌が消えるのですか?」
「ちがう。麦角菌に感染した麦は水に浮く。健康な麦は沈む。浮いてきた麦を取り除くんだ」
俺は麦畑を出て、地面に簡単な設計図を書いた。
「まず桶を用意して、塩水を入れる。塩水の濃度は麦の比重に合わせる。濃度を調整したら、重りをつけたザルを桶の底に沈める。そして脱穀した麦を入れる。健康な麦は沈んでザルに集まって、感染した麦は水面に浮く。水面の麦を取り除いてザルを引き上げれば選別完了だ」
これは明治時代の日本で開発された方法である。
日本では主に健康な麦を選別するために使われたが、この方法で麦角菌も除去できる。
こうして健康な麦だけを選別すれば、食の安全は守られる。
また、来年も健康な麦の種だけを撒くことができる。
幸い、この地には大きな湖がある。水には困らない。
ギルは設計図をメモした後、おずおずと手をあげた。
「その……それは」
ギルが言わんとすることはわかる。
「問題は、人手だ」
俺が言ったがしかし、とある農民が力強く言った。
「でも、やるしかねぇ」
その言葉に、次々と呼応する声があがる。
「そうだ」
「おう」
「やろう」
絶望の色に打ちひしがれていた黄金の畑に、希望の小さな火がともった。
俺たちは突き抜けるような空に向かって、鍬をかかげた。
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