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第27話 冬は愛の季節

 レニュ穀倉地帯には雪がよく降る。  初雪が降った翌朝には、教会の3階の窓から見える景色は一面銀世界になっていた。  俺は窓の外を見ると、ぶるりと身震いをした。  俺が起きた気配を感じて、侍従たちが暖炉に火をくべる。  この頃、侍従の中に懐かしい顔が加わった。  マスカード城で俺の侍従頭を務めていたキリルである。  彼は麦角アルカロイド中毒から回復し、俺のところに馳せ参じてくれたのだ。  彼は俺に与えられた部屋の様子を見てぷりぷりと怒って、それから部屋の内装や寝具などを一通り取り替えてしまった。  その活躍で、俺の寝室は教会の中とは思えないほどすっかり貴族の子弟風になっていた。    俺は最初、彼の貴族趣味に苦笑した。  しかし彼が献身的に支えてくれるおかげで、ずいぶんと体が回復したのは事実だ。  彼は毎日俺のために喉に刺激の少ないスープをつくり、目やにをとり、耳を消毒し、荒れた手足を湯で洗い流してくれた。感謝しかない。  侍従たちが朝食を運んで来てくれる。  あの第一皇子との抗争以来、俺の食事には穀物と肉が出されるようになった。  ハンローレンは俺の回復を優先させ、儀式を一時中断させていたのだ。  俺はゆっくりとそれらを食べた。  負傷してすぐの頃は何も食べられず、自分の唾液すら飲み込めずにいた。  無理に喉に何かを通すと血が出るほどであった。  また、鼻の奥も焼けていたため、味も匂いも感じられなかった。  しかしそれらの症状はようやく収まってきていた。  俺の回復をハンローレンは喜んだ。  彼は俺の傍を離れたがらず、たびたび副官のフェリダムに引きずられるようにして部屋から連れ出されていった。  そんな彼の姿もこの神殿ではすっかり見慣れたものになってしまった。  食事が終わると、侍従たちは退室していく。  俺はベッドに横になって、ひとりでぼうっとしていた。   薪がときおりぱちりと爆ぜる以外には何の音もない。静かな朝である。  少しすると、部屋にノックの音が落ちた。 「ど、うぞ」  俺が返事をすると、扉の向こうからハンローレンが現れた。 「お加減はいかがですか」 「いい、よ」  彼はいつものようにベッド横の椅子に腰かけた。  その椅子は彼専用になっていた。 「雪を持ってきました」  彼の手には銀皿があり、そこには白い空からの贈り物がこんもりとのっていた。 「すっかり冬ですね」  彼がそう続ける。  俺はそれに手を伸ばして、掌にのせた。  新雪はさらさらとこぼれていく。  その冷たさに、俺はうれしくなる。 「冬だ」  俺は冬が好きだ。  北海道の農家であった俺にとって、雪は休みの合図だ。  一年分、存分にゆっくりと休み、遊ぶ季節だ。  俺が笑顔をこぼすと、ハンローレンも嬉しそうだった。 「これで時間ができましたね。――雪が解けるまで」  第一皇子を捕えたあと、ハンローレンを支持していた貴族たちはすぐにハンローレンに皇都へ行くよう言い募ったらしい。  しかし、ハンローレンはレニュの後片付けや俺の体調不良を理由に首を縦に振らなかった。  あと10日、あと5日、いややはりあと20日、そうしてのらりくらりと逃げ回り、雪が降るまで粘ったのだ。  雪が降れば、もう馬を連れて移動するのは困難になる。  俺は彼の顔を覗き込む。  彼は相変わらず麗しい顔をしている。  一時期彼も目の痛みで寝込んでいたが、それでもすぐに動けるようになり、俺の代わりにレニュ復興のための指揮をとってくれていたと後から聞いた。  ――きっと、彼はいい皇帝になる。  そして、彼の救いを待っている民がこの国には大勢いる。  王城に行けば、こうしてゆっくりする時間はとれないだろう。  それを彼も俺もわかっているから、この土地にぐずぐずと留まっているのだった。  俺は膝の上に置かれた銀皿に目を落とす。  雪は暖炉のぬくもりでゆるやかに溶けていく。  俺の心も、もうすっかり溶けている。 「あのさ」 「あの」  俺が口を開くのと、彼が口を開くのは同時だった。  お互いにゆずりあって、結局どちらも目を伏せて話し始めない。  もどかしい時間のあと、彼がやっと言った。 「……第一皇子は大人しくしているそうです」  それは捕らえられている第一皇子の話だった。  皇子はあの後、一命をとりとめ、俺と同じく床についていたが、最近やっと起き上がれるほどに回復したと聞いていた。 「彼はこのまま、春になれば辺境の神殿に送ります。皇位に就かない一族は神殿で暮らす決まりですから」  彼はそこまで言って、一度言葉を区切った。  それから、低い声で言った。 「……これで、私は皇位に就けます。……我々は2人兄弟ですから、もう継承争いをする相手がいません」 「うん」 「あなたに婚約を強要する理由がなくなってしまいました」  俺は彼の顔を見た。  彼は眉尻を下げ、くちびるをへの字に曲げている。  俺は思わず噴き出した。 「わ、笑い事では……」 「ごめん、すごい情けない顔をしてたから、つい」  俺は喉に手を置く。笑ったことで痛みが走っていた。しかし、もうそんなこと気にしている場合ではない。  俺はハンローレンをまっすぐに見据えた。 「好きだよ」  俺が言うと、ハンローレンは口をあけて、それっきり身動きひとつしなくなった。 「なんか言えよ」  そう俺がせっついても、彼は石化の魔法が解けたばかりの魚のように口を開けたり閉じたりするだけだった。  俺はまた笑った。 「俺、好きだからハンローレンと結婚しようと思ったんだけど、お前はもう変わったのか? 俺のこと、好きだって聞いたんだけど?」  俺のからかい交じりの言葉に、ハンローレンは弾かれたように椅子から立ち上がった。  がたん、と椅子が倒れる音が静かな寝室によく響いた。  気が付くと、俺はハンローレンの両腕の中に収められてしまっていた。  半分ベッドに倒れ込むような形で、長い彼の髪が顔にかかる。 「――もう一度言ってください」  今度は俺が口をぱくぱくする番である。  唐突に抱きしめられて、また愛の言葉を強請られて、俺は顔どころか全身が熱くなるのを感じた。 「も、ばっ……!」    俺が言葉にならない抗議の声を上げて彼の胴体を押しのけて隙間をつくると、彼は今度は俺の顎をすくいとった。 「愛しています」  スミレ色の瞳が俺を捉える。  本当はずっと前から捉えられていた。  いつでも、あの夢の中でも、俺の瞼には彼の瞳があった。 「俺も――愛してるよハンローレン」  俺のその言葉が、合図だった。  美しいスミレ色が近づいてくる。  俺は目を閉じた。

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