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番外編① 賢者の弟子はかく語りき

「ねえ、畑の賢者様の話をして」  春一番が吹いたその日、ギルは少年少女たちにそう乞われた。  ギルはもともと皇都で役人をしていたのだが、縁あって畑の賢者――キフェンダルを手伝ったことをきっかけに、「賢者の弟子」と呼ばれるようになった人物である。  彼は当初こそ、その呼び名を恐れ多いと思っていたが、多くの人に助けを求められ、またキフェンダルの教えの通りにしたことで次々と畑を救ったことで自信を持った。  そして、レニュの呪いに立ち向かうべく自らの意思で私財を投げうってレニュにやって来た。  もちろん、レニュの呪いの前には彼は無力であったが、そこで再会したキフェンダルの右腕としてはたらき、結果として名実ともに「賢者の弟子」となった。  今では自ら名乗ることもあるほどである。  そんな彼はキフェンダルが皇都へ去ったあともレニュに残り、キフェンダルの指示の通りに農民が動けているか確認する仕事を任されていた。  キフェンダルの指示はぶどう畑のときのpHにしても、いまの塩水選の濃度にしても、微妙な調整が必要になる。  几帳面な彼はそれを難なくこなすことができ、また昔レニュで役人をしていた彼は指示通りにできない農民に対してどのように接すればよいかもよく理解していた。  ひと冬で彼はすっかりレニュの地に馴染み、彼が休憩のために道端に腰を下ろすと、人だかりができるようになっていた。    今日も、ギルが適当な切り株に腰かけると、少年少女たちは歓声をあげて彼を囲み、まん丸の目を期待で輝かせた。  ギルは眼鏡の奥で笑った。 「では今日は畑の賢者様と私の出会いを話しましょうかね」  彼は朗々と語りだす。  それは真夏のことでした。  前皇帝は病に伏され、第一皇子の横暴に民は苦しんでいたときのことです。  もうすぐ収穫を迎えるというのに、ぶどう畑は元気がありません。  そこに現れた畑の賢者様は南天する太陽を背に、白い馬に乗っていらっしゃいました。  彼の瞳は知性をたたえ、その髪色は神に愛されていることを示しています。  彼は民の苦しみを見かねて、はるばる遠くからやって来てくださったのです。  慈悲深い彼はさっと馬から降りると、ぶどうの木の根元で泣いていた民たちに声をかけられました。  「どうして泣いているのか」  「はい、ぶどうが病なのです。もう切るしかありません。それで泣いているのです」  「切る必要などない」  「しかし、葉が白くなっているのです」  「私が来たからにはもう心配いらぬ」  畑の賢者様が知恵を絞ると、ぶどうの葉はたちまち緑をとりもどし、その実はつやつやになりました。  賢者様は言いました。  「ぶどうは民の涙で病になるのだ。民を苦しませる、第一皇子の横暴が私には許せぬ」  私はそれを聞いて、彼の足元に縋りました。  「どうか私をお連れ下さい」  畑の賢者様は答えます。   「許す――」 「……そうして、畑の賢者様は私を弟子としてくださったのです」  ギルがそう締めくくる。  生真面目な彼であるが、畑の賢者の話になると少しだけ脚色する悪い癖をもっていた。  しかし、そんなことを知らない子どもたちは両手を上げて大喜びした。 「すごい!」 「すっごーい!」  ギルはよくできる男である。  子どもたちに聞かせる話には教育的要素も忘れずに付け足す。  彼は続けた。 「みなさんも、よく勉強してよく働けば畑の賢者様の弟子になれますよ」 「本当に!?」  子どもたちは夢を見る。  勉強する、働く、そしていつかは英雄の賢者様のために……。  ギルは手を叩いた。  子どもたちは現実に戻される。 「さあ、もうそろそろ私の休憩時間が終わります。話はまた今度」 「うん! さようなら!」 「ありがとうございました!」  そうして駆けていく子どもたちを、ギルは目を細めて見送った。  そして目をつい、と横に流して、切り株の後ろ、木の陰に隠れていた2人の人物に声を掛ける。 「ケールさん、そこで何を?」  名を呼ばれ、農民の男がひとりもじもじと出てきた。  彼はマノン村から手伝いにやってきていた農民である。  もとはエド村で手伝いをしていたが、真面目な働きぶりを認められてカナン村と各村を結ぶ伝達役となった。  とはいえ、決して目立つような男ではない。  彼自身もそれを自覚していたらしく、まさか賢者の弟子に名を呼ばれるとは思ってもみなかったらしい。その顔は真っ赤になっている。 「ああ、いえ、その」  男はどぎまぎして、うまく言葉が出ない。  ギルは助け舟を出す。 「もしかして、ケールさんも、そろそろご帰宅ですか?」  春。  雪解けとともに各地から塩水選の手伝いに来ていた農民たちはそれぞれの土地に戻り始めていた。  ひとつは街道の雪が溶けたことで辻馬車が走り始めたため。そしてもうひとつは、自分たちの土地を耕し始める時期であるからだ。  ギルも、もちろんレニュの民も、その帰還を感謝とともに見送っていた。  ケールはようやく口を開いた。 「はい……。うちはレニュから近いんですけどね、もう耕す時期ですから……その、お別れにお弟子様を一目だけ見たくて……」  ギルは目を数回瞬かせた。それから、ふっと笑った。 「そうでしたか。よく働いてくれました」  ケールは恐縮する。 「いえ、そんな、当たり前のことです……」 「本当は畑の賢者様にお目通り叶えばよかったのですがね……」  ギルは残念そうに肩を落とす。  ケールは首を振ってそれを否定した。 「とんでもねぇことでごぜぇます。賢者様に、なんて……私どもは、もうそのお話を聞けただけで……!」  その言葉を聞いて、ギルは小首をかしげた。 「私の話を聞いていらっしゃった?」 「あっ、へぇ、申し訳ねぇ、盗み聞きするつもりじゃあなかったんですが、その……」 「それはとても素晴らしい」  ギルはケールの言葉を遮り、立ち上がって彼の両手を取った。 「私のこの話を、村に戻る道中の村々に伝えてくれませんか」 「ええ?」 「賢者様のぶどう畑の逸話を、もっと国中に広めたいのです」  ギルは真摯な目で訴える。  レニュで作られた賢者を讃える歌は国中に広まったが、キフェンダルの功績はこのレニュだけではない。  それを知っているギルは、ぶどう畑の逸話を広めたいとずっと願っているのである。 「へ、へぇ。私なんかでよろしければ、必ずいろんな村に伝えますとも」  ケールはギルの熱意に押されて、頷く。  彼もどこか熱に浮かされている。    彼は見たことも、会ったこともない畑の賢者様の、ほとんど誰も知らない逸話を広めるという大任を仰せつかった。  この途方もない大任を、彼は持ち前の真面目さと、そして伝達係として培った人脈で達成する。  しかし、彼の広めた話にはもともと尾ひれがたくさんついていた。  皇都にその話が届くころには、畑の賢者の小さなぶどう畑の逸話は伝説になっていた。  その話を聞き、キフェンダルが顔から火が出るほど赤くなって悶えまわるはめになったのはまた別の話。

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