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第十三話
薄い氷を張ったような空気は常に緊張と隣り合わせだ。
どうすればヒビが入らないで済むかを考えて行動しても、小さな傷は増えていく。
両親は海人と目が合うと落胆の色を浮かべ、海人の声に耳を塞いだ。日増しに亀裂が深くなっていき、海人にはどうすることもできなかった。
特に母親の憔悴していく様子が酷く、体重がみるみる痩せていき顔色が悪い日々が続いた。
「……いってきます」
玄関で靴を履き後ろを振り返ったが、そこに母親の姿はなかった。小学生のときから母親に見送られることが習慣になっていただけに、余計に胸が痛んだ。きっとまだ寝室で寝込んでいる。
外に出ると秋風がびゅうと頬を嬲った。空はどんよりとしたねずみ色で、いつもより低く感じる。
季節は巡り秋へと移り変わっても、家族の蟠りは変わらない。薄い氷は溶けることを知らず、家の中を冷やしていく。
駅へ着くと切符販売機の横に空の姿があった。海人と同じように空を見上げ、憂鬱そうに眉を顰めていた。
「おはよう。待たせてごめん」
「いま来たばかりだから平気」
空はいつも通りの笑顔を浮かべていたが、海人には無理していることがすぐにわかった。
でも口に出さない。二人は揃って改札口を通った。
電車に乗り学校に着いてからも、二人は言葉を交わさなかった。むしろ少し距離を空けてお互いの領域に踏み込まないようにしている、
空の顔をみると両親の悲しむ顔が重なってみえた。きっと空も同じだろう。お互い目を合わせないように俯いてばかりいた。
空との距離が遠い。一度限界まで近付いただけに、空いた距離の長さを感じた。
「じゃあ俺のクラスこっちだから」
昇降口に入ると空は左の方へ曲がった。空のクラスは新校舎の階段から昇る方が早く教室に着く。
後ろ手に手を振って空は曲がり角を曲がった。
空が消えた方をぼんやりと眺め、海人も自分の教室に向かった。
時間は淡々と流れる。
始業のベルが鳴ると授業が始まり、昼食を食べ、武田に課題を教えた。
身体に染み付いたルーチンワークをこなす時間は無意味に思え、まるで味のないガムを延々と噛み続けているようだった。
放課後になると空は昇降口で海人を待っていた。下駄箱に背を預け思案顔のまま爪先を見下ろしている。
「ごめん。待った?」
「いま来たばかりだから平気」
靴を履いて昇降口を出て行く。駅へと向かい電車に乗って、地元の駅で別れた。
こんな毎日をこれからも過ごしていく。
「少し話し合おう」と切り出したのは父親だった。疲れ切った青い顔は父親の気苦労の多さを窺わせ、海人は素直に頷いた。
窓の外で粉雪が舞っている。例年はクリスマスツリーやリースなどを盛大に飾り、家も電飾できらびやかにしていたがそんな余力は両親にはなかった。
リビングへ着くと母親はすでに座っていて、湯飲みの縁を眺めていた。海人の存在に気付くとゆっくりと顔を上げたが、目が合うことはなかった。
席につくと正面に座った父親は分厚い唇を開いた。
「そろそろ気持ちは落ち着いてきたか?」
空とのことを言っているのだろう。海人は首肯すると父親は続けた。
「父さんたちも考えてみたんだが、どうしても理解できない。実の兄弟なんだぞ。小さい頃から一緒にいるといっても、れっきとした血の繋がりがあるんだ」
「全部、わかってるよ。それでも」
空を好きだという気持ちは変わらない。
「昔から海人は空に甘いからなぁなぁな部分があるんだと思っていた。でも違うんだな」
「うん」
父親を見返し力強く頷いた。
「俺は空への気持ちを自覚した同時に怖かった。父さんたちとの関係が崩れるのは、わかってたから」
「どうせバレなきゃいいと思ってたんでしょ!」
生気を取り戻したような母親の金切り声にびくりと肩が跳ねた。父親は母親を宥め、海人に先を促した。
「空への気持ちはなくしたくない。でも父さんたちと家族でいたい。それはやっぱり無理なの?」
「無理だ」
父親の切り捨てるような言葉は重くのしかかった。
「もし空との関係を続けたいなら、父さんたちと縁を切ると思いなさい」
「そんな」
「これは警告だ」
それだけのことをしたのだと、暗に父親は責めているのだ。
父親たちと家族ではなくなる。それはつまり金銭的にも精神的にも援助をしてもらえなくなるということだ。まだ未成年の二人ではとても生活できない。
両親のお陰でいまの生活があり、常に支えてもらっている足場をなくしても空と生きていけるだろうか。
自分だけ辛い目に遭うならいくらでも我慢できる。でも空の将来を考えると、自分の気持ちだけでは決断できない。
「もちろんばあさんの手助けもない。ここで首を縦に振るなら、すぐに家を出て行ってもらう」
「あなたたちは、それだけのことをしたのよ」
両親からの視線に耐えきれずに海人は視線を落とした。
両親の望み。空の望み。海人の望み。そのすべてを叶えられる道はなく、一方を選ぶなら一方を失う。
突き抜けるような青空が浮かんだ。空と海は恋をしているから同じ色をしていると言った空の笑顔が眩しい。ただその笑顔を護りたかっただけなのに、無力な自分が情けなかった。
からからに乾いた咥内は舌が上顎にくっついて、喉が引き攣った。それでもなんとか唾を飲み込み、ゆっくりと唇を開いた。
「俺はーー」
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