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1 ベータな俺とわんこな後輩アルファ

 顧客宛のメールの最後に「来年も何卒宜しくお願い申し上げます。」と入力して、カーソルを送信ボタンに移動させる。  と、頭上からよく知った元気な男の声が降ってきた。 「安田先輩、もう終わりそうですか?」 「ああ、これを送ったらおしまい――と。待ってて、すぐにパソコン閉じるから」 「はい!」  シャットダウンしながら、真上を仰ぎ見る。後輩の高井朝陽(あさひ)が俺の真後ろに立ち、ニコニコしながら見下ろしていた。  高井はもうすでにコートを羽織り、ビジネスリュックも背負っている。支度が終わるのが早い。さすがは何でもそつなくこなす高井だ。 「高井はもう出られる感じ?」 「はい! 第一陣もさっき向かいましたよ!」  高井が、部署の出入り口の方を若干冷めた横目で見ながら答えた。俺は「あはは」、と感情が大して籠もっていない笑いを返した。 「あの人たち、本当飲み会の時だけは早いよなー」  すると高井は、ぷくっと頬を膨らませるという、爽やかな癖にちゃんと男臭い端整な顔には似合わない、幼い表情をしてぼやく。 「本当ですよ。いっつも安田先輩に幹事を押し付けて、自分たちは楽しく飲み食いするだけじゃないですか!」  なお、こんな表情をしょっちゅう見せてるくせに、童顔な俺の方が下に見られることの方が多い。解せぬ。 「まあ俺は幹事慣れしちゃってるから別にいいけどなー」 「よくないです! 次から当番制にできないか掛け合ってみますから!」 「まあまあ」  高井が「人が良すぎるんですから!」と代わりに憤ってくれているのが可愛くて、思わずクスリと笑ってしまった。  俺がパソコンをパタンと閉じたのを確認した高井が、何がそんなに嬉しいのか目を輝かせながらコート掛けの方を指差す。 「僕、安田先輩のコートを取ってきますね!」 「うん、ありがとな」  フリスビーを投げられた犬のように嬉しそうに走り去っていく高井。そのすらりとした後ろ姿を眺めながら、「随分と懐かれたもんだなあ」と苦笑してしまった。  高井は今年入社してきた新人で、百人に聞いたら百人がイケメンだと答えるであろう超イケメンだ。あまりに高井の存在が眩しすぎるせいか、平凡すぎる俺と並ぶと、俺は存在すら認識されないこともよくあった。俺だって身長は一七四センチあるし、顔だって自分的には中の上くらいはいってると思う。それでも、だ。  高井はそれくらいのイケメン度だった。  見た瞬間吸い込まれそうに感じる切れ長の瞳は、男女に関係なく相手を恍惚とさせてしまう。耳にかからない程度に整えられた黒髪に少し日に焼けた肌は、レモン炭酸水を思い起こさせる爽やかさ。更にすらりと伸びた手足に無駄が一切ない筋肉質な身体は、「お前本当に日本人?」と聞きたくなるほどのモデル体型だ。  それもその筈。高井は人類の上位種とでも呼ぶべきアルファだからだ。  この世には、男女という第一性とは別に、アルファ、オメガ、ベータという第二性が存在している。  まず、人口の七割を占めるのがベータ。所謂普通の人間ってやつで、俺もここに属してる。  それから人口の二割を占めるのがアルファ。彼らは非常に優れた存在で、頭も良けりゃ顔もよく、身体的にも頭脳もベータより遥かに優れているというとんでもなく恵まれた人たちだ。会社の社長とか富豪とかに時折見かける。イケメン俳優とかもアルファのパターンが多いかな。とにかくもてる彼、彼女らは、全ベータの羨望の的になっている。  そして残りの一割がオメガと呼ばれる『産む性』。儚そうで信じられないほど美しいのが特徴だ。オメガにも男女はあるけど、どちらも子供を産むことができる存在だった。  男が妊娠とか、正直最初に聞いた時は「うわあ……」と思った。だけど実際の男性オメガは中性的で魅力的で、ベータの女性と比べても遥かに美しい。『産む性』だと言われれば、納得しかなかった。俺が知ってる男性オメガはモデルとか俳優とかだけだけど。リアルでは出会ったことはない。  まあともかく、相手は選り取り見取り、仕事だってなんだって器用に颯爽とこなすアルファである高井が、何故ベータの中のベータと言っても過言ではない俺にこんなに懐いてるのか。  これにはちゃんとした理由があった。  うちの会社は、一応大手の部類に入る。だけど体制はちょっとばかり昭和寄りで、効率を好むアルファはあまり、いや殆ど入社してくれない。仮に入社しても、すぐにヘッドハンティングされて辞めてしまう。  そんな中、今年は新卒にアルファが二人も入った。会社としては大万歳だ。どちらも営業職希望で、ひとりは花形部署である第一営業部にいった。顧客が全部大手で、ひとつの契約の金額が桁違いな部署だ。 「どうせもうひとりも第一に取られるんだろう」と、誰もが思っていた。だけど何故か知らないけど、もうひとりのアルファは駆け込み営業も多い庶民派の第三営業部を強く希望した。  それが高井だ。  だけど、こんな弱小営業部のみんなはアルファと関わったことなんてろくにない。教育係になったら馬鹿にされるんじゃないか、成績をあっさり追い越されるんじゃないか――。そんな想像をして、誰もOJTになりたがらなかった。  で、部長の独断と偏見で任命されたのが、入社三年目で人との衝突が苦手で気が付けば面倒な作業を押し付けられてばかりの俺だった、という訳だ。  俺は素直に引き受けた。悪いが、俺はみんなほどプライドは高くない。自分の実力が実に並みなのもよく理解しているし、今更アルファに馬鹿にされたところで痛くも痒くもなかったからだ。  それに、アルファだって社会に出たことのない新人であることに変わりない。なのに会う前から避けられるなんてちょっぴり可哀想に思ったこともあり、俺は初日から高井に丁寧にひとつひとつ教えていった。  周りの同僚が「アルファ様には必要ないんじゃないか?」と呆れたように笑ってきても、俺は教え続けた。仕事で大事なのは、誰に聞けば欲しい情報を最短で得られるかだ。それぞれの癖や得意、不得意なこと。そういうことも事細かに叩き込んだ。  結果、最初は「アルファ様」と敬遠されていた高井はしっかりと馴染み、今じゃみんなから引っ張りだこ。そろそろ俺から独り立ちさせる時期にきたかなーと思っているところでもある。  だけどいかんせんこいつの懐き具合が余りにも可愛すぎて、部長に「OJTはもう必要ない」となかなか言えずにいた。  犬に懐かれると嬉しいだろ。で、隣から突然いなくなると寂しいじゃないか。正にそんな心境なんだよ。  どっちにしろ、OJTは長くて一年。春がくれば、わんこな高井は嫌でも独り立ちすることになる。  ――だから。 「安田先輩! はい、コートをどうぞ!」 「お、悪いなー」  俺の背後に回ってコートまで着させてくれる可愛い後輩と、もう少しだけ一緒にいたい。 「安田先輩、行きましょ!」 「ああ、だな!」  ずっと笑顔なままの高井に背中を押されながら、俺たちは部署の忘年会へと向かったのだった。

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