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2 忘年会
第三営業部は、全部で三十名の大所帯だ。
当然、昭和なおじさまからイマドキの若者までいる。更には偏屈オヤジから小判鮫タイプ、お局様からお前は腰掛けに来てんのかってのや、真面目すぎる奴から仕事はサボってなんぼの奴もいる。
つまり、飲み会と言えど色々と面倒くさいのだ。
「それでは今日は無礼講ってことで! 一年間お疲れ様でした! かんぱーい!」
「かんぱーい!」
調子がいいことで有名な、俺の同期で八重歯がチャームポイントな安西が、乾杯の音頭を取る。ガヤガヤとあちこちからグラスをぶつける音と、一年を労う声が聞こえてきた。
俺はビール瓶を片手に、一番目上の部長から役職順にお酌をしていく。二列になった宴会席のもう一方を担当するのは、安西だ。
「課長、お疲れ様でした! 今年も八面六臂の活躍でしたよね!」とか、お前絶対それ本心じゃないだろうっていう褒め言葉を次々に投げかけていく。凄いよ安西、俺には絶対できない芸当だ。
いつも幹事を任せられてろくに飲食もできないまま一次会を終わることの多い俺を見かねた安西が、「こういうのは得意な奴がやればいいの。な!」と毎回自主的に手伝ってくれていた。見た目もチャラけりゃ中身もかなりちゃらんぽらんではあるけど、こいつは本当に頼りになるいい同期で、俺の中での信頼度はそこそこ高い。
ちなみに女性の同期や新人もいるけど、彼女らは基本的にお酌はしない。何年か前に部長たち肩書持ちが会社のハラスメント講習会を受けた際、「お酌を強要されたと思った時点でセクハラになる」と知った為だ。それで何故か「安田くんたちがやれば大丈夫」になった。いやおかしいだろ。ある意味セクハラだぞ、それも。ていうか、あんたらには手酌で飲むという選択肢はないのか。
だけど、俺は波風を極力立てない派なので文句は言わない。安西は「真面目なんだからー。でもそういうお前も嫌いじゃないよ?」と、可愛い女子か、百歩譲ってイケメンだったら落ちてたかもしれないセリフを言って手伝ってくれてるから、マジで有り難かった。
ちなみに俺の可愛いわんこな後輩アルファの高井も「僕もお酌やります!」と手を挙げていたけど、一度やらせたら後日「誰々の席に長くいたのにうちには少しだけだった」などといった怨嗟が吹き荒れたので、以後遠慮してもらっている。今日も来て早々安西に「高井はここな!」とお局様がいる席を指定されてしまい、「安田先輩……っ」と留守を言い渡された犬みたいな顔をしていた。悪い、高井。円滑な宴会の進行の為なんだ。頑張ってくれたまえ。
時折高井の視線を感じながらもお酌して回ると、気が付けば開始から三十分以上が過ぎていた。ほぼ同時にお酌回りが終わった安西と一緒に、一番通路に近い所謂幹事席にようやく座る。
大分ぬるくなり汗を掻いた瓶ビールを持つと、互いのグラスに注いだ。
「ほまちゃん、幹事お疲れー!」
安西は、俺のことを安田誉 の誉を取って「ほまちゃん」と呼んでいる。職場で俺のことをほまちゃんと呼ぶのは、安西だけだ。
「安西、マジでありがとな」
俺が顔の前に片手を持ってきて「ごめん」のポーズを取ると、人好きのするチャラい笑顔を浮かべて俺の頭をガシガシと撫でる。
「いいんだって! 俺たち同期だろ! にしてもほまちゃん、もう既に顔が赤いよ。大分飲まされた?」
「まあな。でも見た目ほどは酔ってないよ、多分」
安西の言う通り、俺は酒を飲むとすぐに赤くなるタイプだった。冬の日の子供みたいでちょっと嫌だったりする。
安西が顔を近付けてくる。
「ほまちゃんって実は結構色白だもんなあ。近くで見るとキメも細かいし、羨ましいよ」
「そうかあ? 地毛も茶色いからチャラく見えない?」
「ていうか顔が童顔だから高校生でも通るんじゃね? 中身は超がつくほどクソ真面目なのになあ」
否定されずにケラケラと笑われたことで、俺はがっくりと項垂れた。
それでもまあ、安西が手伝ってくれるお陰で、挨拶回りが半分の時間に短縮されるようになったのは事実だ。宴会中に食事にありつけるのは、安西のお陰と言っても過言ではない。ここは素直に礼を伝えておくべきだろう。
「……お前って実はかなりいい奴だよなあ」
「はは、今更?」
グイッとグラスの中身を飲み干すと、今度はお互い手酌で飲み始める。
ちなみに、俺らの席にろくな料理はない。食べ終わった大皿が積み重ねられているだけだ。おい、隣のテーブルの女性社員たちよ。せめて取り分けておくとかさ、君たちの代わりにお酌をしてるんだから……とちょっぴり悲しくなった。
と、ここでも臆するということを知らない安西が、「何か食べ物ちょーだーい!」と隣の席に声をかける。さすがだ安西。これも俺にはできない芸当だ。
食べかけの大皿が何枚か回ってきたことで、ようやく俺たちの忘年会がスタートした。
お酌をして回る際、俺たちはすでに「まあ君も一杯」とか言われて何杯も飲んでいる。空きっ腹にビールを数杯は、あまり酒に強くない安西にとっては結構危険な量だった。
つまり、席についた時点ですでに半分以上酔っ払いになっている。
「……なあ、ほまちゃんさ。俺の話聞いてくれる?」
先ほどまでの明るさはどこにいったのか、目元が赤くなっている安西がどんよりとした雰囲気でボソボソと喋り始めた。
「なんだよ。どうした? 聞くけど」
硬くなくなった上海かた焼きそばを口に運びながら答えると、安西が俺を手招きする。椅子を安西の方に寄せて耳を近付けると、安西は俺の肩を組んで超小声で始めた。
「実は俺、先週彼女に振られてさ……」
「えっ!? だって学生の時から付き合ってるって!」
思わず驚きの声を発すると、安西は唇に人差し指を当てて辺りを警戒するように見回す。
「しっ! 声がでかい! みんなこういう話題に食いついてくるからっ」
「あ、悪い」
俺は素直に謝った。振られて一週間で上司や先輩に面白おかしく弄られるのは、そりゃ嫌だろう。そっとしておいてくれって俺なら思う。
「お前は口が堅いって分かってるから話すけどさあ……」
「うん、俺でよければ聞くぞ」
ということで、手酌で飲みつつ安西の話を聞くことになった。
「……でさ、別れたい理由が『本当に勉 でいいのかなってふと思っちゃった』なんだよ!」
勉っていうのは安西の名前だ。全く勤勉ではないので、名は体を表すっていうのは嘘だなって密かに思っている。ぐびりともう何杯目か分からなくなったぬるいビールを口に含むと、目が潤んでいる安西に尋ねた。
「あー、確か彼女って安西が初めて付き合った男だったんだっけ?」
「そうなんだよ……俺が結婚を匂わせたらさ、ある日突然思い詰めたような顔して言われて……」
「お前結婚願望あったんだ」
それは意外だ。素直に驚くと、安西が組んだままの俺の肩を揺さぶる。
「ほまちゃん、それはねーよお! 俺は子供好きだし、俺を女手一つで育ててくれた母ちゃんに早く孫のひとりでも見せてあげたくてさあ! なのに……っ」
「まさかそれも彼女に言ったのか?」
声をひそめつつも問うと、安西が不思議そうな顔をして頷いた。
「うん。何か拙かったか?」
「まあ……人によっては自分はただ産む道具じゃないって思うかもなあ……」
「えっ、そうなの!?」
俺の言葉に、安西は見るからにショックを受けた様子だった。
「そんな……俺は一生チカといたいって気持ちがあるから言ったのに……っ」
「向こうには向こうの人生プランがあるしな。お前、それはちゃんと聞いたか?」
安西が絶句する。
「……意思の疎通って難しいよな」
「……ほまちゃん!」
ガバッと抱かれて、仕方なく慰めるつもりで背中をぽんぽんと叩いてやる。
とその時。
「――ええーっ! そうだったの!?」
女性社員たちの、ワアッという華やかな声が聞こえてきた。
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