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5 一難去ってまた一難

 安西にかかってきた元カノからの電話の内容は、復縁を望むものだった。  俺はべろべろに酔っ払ってるし、元カノが何を言ってるのかまでは聞こえない。だから半分程度しか内容は分からなかったけど、安西が「お、俺もっ、自分の意見ばっかり押し付けてごめん!」とか「ふ、二人で、これからのことを考えていきたいっ、別れたくない!」と瞼を拳で拭いながら言っていたので、元サヤになれたんだと思う。  よかった……俺の貞操的にも、本当によかった。実にナイスタイミングだった、チカさん。君は俺の天使かもしれない。 「うん、うん、すぐに会いに行く。職場の忘年会、今さっき一次会が終わったばっかなところだから。うん、じゃあ後で」  嬉しそうに鼻をすすりながら頷いていた安西が、通話を切った。  そろーっとこちらを窺うようなバツの悪そうな顔をすると、俺に向かって謝る。 「ほまちゃん、ごめん! なんか俺色々血迷っちゃってさ! 頼む、さっきまでのことは忘れてくれ!」 「お、おお……分かった」  他に何と言えばいいのか分からず、相変わらず人との衝突を避ける俺は、怒りなどせずにこくこくと頷いた。安西はあからさまに安堵した様子を見せる。手に持っていたスマホを見て「わ、俺、行かなくちゃ!」と言うと、若干微妙な笑みを浮かべながら軽やかに走り去って行った。去る時は一瞬だった。 「……行った……」  ぽつり、と呟きが漏れる。途端、どっと疲れが押し寄せてきて、半ば倒れ込むようにしてその場にしゃがみ込んでしまった。 「――はあああっ、よかったあああ!」 「わっ、や、安田先輩!?」  俺の腰を軽く支えていただけの高井が、慌てて地面に膝を突いて俺の背中を高井の胸に引き寄せる。逞しい肩に頬を押し付けられて、「アルファの胸筋すげえ」と心の中で感心した。パワー不足なんてないっていう絶対的安心感がある。 「……安田先輩、相当酔ってます?」  何故か不貞腐れたように聞こえる声で、高井が尋ねてきた。頭をぐらぐらさせながらも目の前の高井を見上げると、やっぱりちょっとむくれている風な高井の端整な顔がそこにある。あはは、何だよその顔。高井ってこういう子供っぽい表情をすることが多いから、それで俺もなかなか独り立ちさせられないのかもなあ、なんてちょっと思った。  ほわりと笑いながら答える。 「うん、酔った。沢山飲んだ」 「……ちょっとカタコト気味な安田先輩……」  何故か唇を噛み締めて俯く高井。 「うん? 俺ねえ、安西に変なお願いされちゃってさ。どうしていいか分かんなくなっちゃって、沢山飲んだんだ」 「変なお願い? 何をお願いされたんですか?」  高井はいつだって俺を慕ってくれているからか、言っちゃ悪いが信頼度は安西よりも遥かに高い。俺よりひと回りでかい身体で支えられていると、大型犬に守られている感があって非常に安心感があった。  安心感に加えての泥酔に、俺の口はペラペラと余計なことを喋り始める。 「ほらーさっきの電話の相手さ、先週安西を振った元カノからだったんだよ」 「はあ……?」  不思議そうな顔をしている高井に向かって、俺は安西にとんでもない提案をされて、どうやって安西に諦めさせようかと考えた結果泥酔するまで飲んだことを伝えた。尚、童貞であることは言ってない。いやだって、ほらさ、先輩の威厳っていうのも大事だし……。  高井が、呆れ声というよりは、怒っているような声色で呟く。 「……何やってんですかあの人」  高井の肩にもたれかかりながら、俺を支えたままの高井の筋肉質な腕をパンパンと叩いた。 「だろ? 本当、高井が来てくれて助かったよ」 「本当ですよ。安田先輩の会社携帯を探せる設定にしていて本当によかったです!」 「え? そんな設定したっけ?」  やけに迷いなく探しに来たと思ったら、俺の会社携帯を検索して目指して来てたのか。 「前に僕が見つからないって探し回った時に、お互いに設定したじゃないですか! 僕が来なかったら安田先輩は今頃……っ」  今度は悔しそうに唇を噛み締める高井。お前今、俺が安西に喰われる想像をしなかったか? なんでちょっぴり恥ずかしそうなんだよ。 「お前な、恐ろしいこと言うなよ……。いやでも本当めっちゃくちゃ怖かったのは確かだから、ありがとなー、高井」 「安田先輩を助けられた自分を誇りに思います」  生真面目そうな顔でそんなことを言った高井がおかしくて「あはっ」と笑うと、高井もホッとしたように微笑み返してくれる。  高井が俺の腰と腕を強めに掴んだ。 「さ、そろそろ立ち上がりましょ。酔っ払ってるからって地面は冷たいですよ。安田先輩は細いんだから、風邪なんか引いちゃったら大変ですから」 「俺はそんなにやわじゃないぞ」 「風邪を引いたらずっと座らせていた僕の責任なので」  これじゃどっちが先輩か分からない台詞を高井に言われたからには、先輩として立ち上がらないとならない。 「悪い高井、手え貸して」  高井の二の腕に手を乗せると、高井が真剣な眼差しをして頷いた。 「勿論です。絶対倒れないように支えますから。何が起ころうと絶対に」 「あ、うん。そこまでじゃなくても」 「いえ、絶対ですから安心して身を委ねて下さい」  高井ってこういうところがひとつひとつクソ真面目なんだよなあ。真面目だし素直だし、アルファであることを鼻にかけることもない。これだったら第一営業部だって全然いけただろうに、なんで第三営業部なんか希望したんだろ。 「じゃあせーのでいきましょうか」 「うん。せーのっ」  ムキッと力瘤を作った高井の上腕二頭筋に手を乗せ、力を込める。上半身は持ち上がったけど、何故か腰から下の力が全然入らない。まるでこんにゃくにでもなってしまったような感覚だ。 「あ、あれ?」 「安田先輩?」  可愛らしく小首を傾げる大型わんこ系後輩。うっそ、冗談じゃないぞ。後輩の前で泥酔したところを見せた上、まさか――。 「……腰、抜けてるかも」 「へ?」  俺の言葉に、高井が目を丸くした。さすがに居た堪れなくなって、高井が俺の顔を覗き込んできたけどフッと目を逸らす。これは屈辱だ。俺の先輩としてのプライドが、ガラガラと崩れていく。 「わ、悪い。安心し過ぎて腰が抜けたみたいで、立ち上がれない……」  高井がハッと息を呑んだ。 「……僕が来たら安心してくれたんですか?」 「お? お、おう」  事実なので上目遣いで高井の顔色を窺いながら返す。……何故高井はそんなに嬉しそうな顔をしてるのか。 「僕、先輩の役に立てたんですね!」 「お、おう……ま、そうだな……」  喜ぶポイントがよく理解できない。  高井は辺りをキョロキョロと見回すと、ポッと頬を赤く染めながら言った。 「僕に任せて下さい! 安田先輩の腰が治るまで、しっかりと休憩していきましょう!」 「は? いやでもどこで? それより悪いんだけどタクシーを拾って俺を放り込んでくれると――、」  人が話している最中だと言うのに、高井が突然俺の膝裏に腕を差し込んできた。もう片方の手で背中を支えると、「絶対落としませんから!」と笑顔で言った後、ぐん! と俺を抱き上げる。 「な……っ、ば、お前なにをっ」  眉をきりりとさせて、高井がほざいた。 「何って、動けない安田先輩をこのままにしておく訳にはいきませんからね」 「だ、だからって」  俺は今、後輩にお姫様抱っこをされていた。嘘だろう……俺は平均身長よりはちょっと高いし、高井にはさっき「細い」とか言われたけど、別にガリガリっていうほどじゃないぞ。それをこうもいともたやすく……! アルファのポテンシャルの高さを垣間見た気がした。 「馬鹿、俺重いからっ! お前の腰がおかしくなるから、いいから地面に下ろせって!」 「安田先輩、暴れると危ないので僕の首に腕を回していただけると」 「あ、はい」  言われた通りに行動してしまった後、ハッと我に返る。しまった! 従順に従うのが癖になっている余り、思わず素直に言うことを聞いてしまったじゃないか!  ふふ、と小さく笑った高井が、ずんずんと大股で歩き始めた。 「え、高井、ちょ」 「折角だから、リラックスできる広めなところにしましょうか。あ、ここなんかジャグジー付きですって! 安田先輩、一緒に入りましょうよ! 僕、安田先輩の背中を流してみたいです!」 「え? ちょ、ここってまさか」  俺は二十六年間こういった所に入ったことはないけど、さすがに存在くらいは知っている。一見おしゃれなカフェ風な店構えだけど、横の看板に『レスト』とか『ステイ』とか書いてあるってことは、こ、ここは――! 「大丈夫ですよ安田先輩。ここは男同士も利用可能ってありますから!」  いや、そういうことじゃないよ?  高井はニコーッ! と大きな笑みを惜しげもなく見せると、俺を横抱きにしたまま堂々とラブホテルの中へと入って行ったのだった。

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