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9 マッサージ

 振り返ると、高井は考え込んでいるのか、端整な顔を難しそうに歪めていた。  言葉を選んでいるのか、一語一語、区切りながら喋る。普段の流暢でそつない高井からすると、随分と慎重に見えた。 「ええと、なんていうか、その……ベータだって、男同士で結婚できるじゃないですか」 「ん? 何の話だ?」  女性と結婚しないといけないのかの反対語は一生独身とくるかと思っていたら、高井の中ではそうじゃなかったらしい。  俺がきょとんと見返していると、真剣な眼差しの高井が俺の目をじっと見つめてきた。高井は眼力が凄いから、これをされると蛇に睨まれた蛙みたいになる。目を逸らせないまま、ただ高井を見つめ返した。 「ですから、女の人とそうなるのが怖いなら、無理に女の人と結婚することに拘ることもないんじゃないかと」 「おお……それは斬新な考え、かも――くお、そこ気持ちいい……っ」  俺が悶えると、高井は目線を俺の背中に下げて、「ここですか?」とぐりぐりし始める。くおお、ピンポイント……! 「そ、そこ……っ」 「ふふ、了解です。……で、安田先輩は同性婚をしようと考えたことはないんですか?」 「いや……?」  それは全く考えていなかった選択肢だった。男たるものいずれは女性と結婚して家庭を作るべし、なんていう家庭で育ってきたから、結婚して子供ができないのは親不孝くらいに考えていたんだよな。 「男と結婚ねえ。でもさ、ベータだと子供はできないし」 「はい。でも、男同士でもセックスはできますよ」  高井が太鼓判を押す。正直、俺は猥談から自ら遠ざかっていたこともあり、その辺の知識は中学校レベルで止まっている認識はあった。男同士でセックス……でもオメガじゃないしなあ。  俺は素直に思っていたことを口にした。 「そりゃあアルファとオメガはできるだろうけど」  そしてあっさりと返される。 「ベータとだってできますよ、勿論」 「そうなの?」 「はい。お尻の穴を使います」  高井の目は、あくまで誠実そのものに見えた。冗談を言っているつもりはない……んだろうなあ、きっと。 「あ……やっぱりそう、なんだ」  ケツの穴は性器じゃないからセックスと呼ぶのか微妙に思っていたけど、ちゃんとセックスの部類に入るらしい。……安西よ、本気で俺とセックスするつもりだったのか? 馬鹿じゃないか、あいつ。 「オメガと違って濡れませんけど、潤滑剤使えば気持ちよくなれるそうですよ」  高井はなんだって高井に一生関係ないであろうベータ事情まで知ってるんだ。あれか? アルファたるもの、如何なる知識でも貪欲に欲するのか?  高井が、真摯な眼差しで続ける。 「子供を作るだけが結婚じゃないですよ、安田先輩。愛があれば、同性だって結婚して幸せになっていいと僕は思ってます」 「でもなあ……ベータの同性同士の結婚ってまだハードルが高くない?」 「そもそもベータ同士とは限らないと思いますけどね」 「?」  確かに、高井の言っていることは知識としては正しいんだろう。以前は男同士の結婚は認められていなかったけど、アルファ男性とオメガ男性、またはアルファ女性とオメガ女性が番になっても結婚できないのはおかしいぞという世論になった際、国は思い切って同性同士の結婚を認める方向に舵を切った。  その際、アルファとオメガだけに適用するのもおかしな話だよな、ということもあって、ベータも同性婚が認められるようになった経緯がある。だから確かに俺が望めば、俺は男性とだって結婚はできる。できるけど――。 「……考えたこともなかったなあ」  ぽつりと思ったままを答えると、背後から高井のやや焦ったような声が降ってきた。 「――だったら安田先輩。まずは前立腺マッサージをしてみて、いけそうかどうか確認してみませんか」 「うん? なにそれ」 「最初は違和感があるらしいですが、丁寧に解せば解すほど、気持ちいいそうです」  どこにあるもんだっけ? でも気持ちいいという言葉に目下完全に盲目的になっていた俺は、かなり乗り気になってきていた。 「んー、でも高井が大変じゃないか? もう夜中だし……」  すると、ギシ、と音を立てて、高井が俺の顔の横に手を突く。すぐ近くに、逆光になった高井の表情が読めない顔がきていた。 「……高井?」 「安田先輩、年末年始のご予定は?」 「え? 俺? 特には……帰省もする予定ないし」  母親は、親父の死後に母親の実家に戻ってしまっている為、近くにはいない。新幹線と在来線を乗り継いで何時間もかけて行ったところで、俺の家はそこにはもうなかった。大して親しくもない叔父夫婦が祖母と一緒に住んでいることもあって、正直俺には肩身が狭くてできる限り行きたくない。  と、高井がにこーっ! と若干作ったようにも見える笑みを浮かべる。 「実は僕もなんです」 「そうなの?」 「はい。だから安田先輩、時間は気にせずリラックスして気持ちいいことだけ考えてみませんか? 是非、僕に奉仕させて下さい。お願いします!」  つまり、この後もマッサージが続くと。高井には悪いけど、俺にとっては全く悪くない提案だ。 「んー、じゃあ、お願いしちゃおっかな?」 「!! 本当ですか! うわ、やった……!」  何故そこまで俺といられることに喜びを見出すのか。余程先輩後輩の仲に憧れというものを持っていたんだと思うと、不憫で涙が出てきそうになった。 「でも、高井、本当無理はせずに、」 「しません! 先輩はゆっくりと目を閉じて、身体の力を抜いていて下さい! あ、寝ていて大丈夫ですから!」 「そ、そう? 本当に悪いな、なんか」 「いえ! 僕、幸せです!」  幸せと言い切られた日には、もうこれ以上何も言うことはない。 耳元で、高井が聞き心地のいい爽やかな声で囁く。 「僕に全部任せて下さい。絶対に天国に連れて行きますから」 「はは……頼もしいなあ」 「じゃあとりあえずさっきの続きからいきますね」 「うん」  高井は元の位置に戻ると、再び俺の背中を揉み始めた。  うーん、気持ちいい。段々本気で眠くなってきた……。  最初はウトウトしていたけど、次第に身体全体が重くなり始め。  俺は深い眠りへと落ちていったのだった。 ◇  ぐちゅ、ぐぽっ。  聞き慣れない水音が、どこからともなく聞こえてくる。  ああ、俺は寝ちゃってたのか。肩から腰にかけて温かい布団が掛けられていて、抗い難いぬくもりに再び意識を沈ませていく。 「……は、んっ、ん、」  やけに甘ったるい声がする。そういえば俺ってどこにいるんだっけ、と考えて、そういえば腰を抜かしたせいで高井にラブホに連れてこられ、何故か全身マッサージを受けることになったんだった、とぼんやりと思い出した。  じゃあこの声はあれかな。高井があのテレビを点けちゃって、その音か? 「あ、ん、」  ……その割には、すぐ近く、というか自分から響いてくるような。  と、次の瞬間、突然お腹の中に強い刺激が走った。 「――ッ!?」  身体中の筋肉が驚いたように収縮して、下腹部の全神経の感度が持っていかれるような激しい刺激。これは――え、快感?  一体何が、と身動きしようとしたら、いつの間にか剥き出しになっていた俺のお尻を誰かの手が掴み、親指でぐっと外に開かれる。えっ!?  そのまま何かがぐっぽぐっぽと俺の体内を探るように弄る感覚。これは――! 「――えっ!? なにが!?」  肘を立てて上半身を起こした。するとどうやら俺のケツの穴から中に突っ込まれている何かが、ぐいん! と奥まで挿し込まれる。 「――アッ!?」  身体全体と脳みそがビリビリと痺れる感覚に、息が止まった。 「……――っ!」 「あ、安田先輩、起きました?」 「……へっ!? 高井!?」  振り返ったけど、布団の山で見えやしない。片手で布団を押し潰すと、そこには俺の股の間に鎮座する頬を火照らせた高井の姿があった。  高井は、いつものように大型わんこな優しげな表情で微笑んでいる。だがしかし、高井の手がおかしなことになっているじゃないか。  高井の右手は俺のケツを鷲掴みして開いていて、左手は……どう考えたって俺のケツの穴の中に指を突っ込んでいる。 「――え? どういう状況?」  すると、高井がにっこりしながら答えた。 「全身マッサージ中に安田先輩が寝ちゃったので、そのまま前立腺マッサージに進みました!」 「ぜ、前立腺マッサージ? だ、だってお前の指、俺のケツの……」 「やだなあ、安田先輩。前立腺ってお腹の中にあるんですよ? さっき聞いたら、やっていいって言ってたじゃないですか!」 「へ……あ、そうなの?」 「はい!」  にっこにこの高井の言葉に、俺はそんなことしか返せなかった。

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