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8 高井の献身
お風呂から上がると、ガウンを羽織り、高井が用意していたペットボトルの水を腰に手を当てながらグビグビと飲む。
「ぷはーっ、あーいい風呂だったな!」
「はい!」
高井はサッと着替え終えると、「安田先輩、こっちにどうぞ!」と所謂ドレッサーというんだろうか? モデルとか女優とかが使ってたら様になりそうな鏡の縁にLEDライトが付いている、何だかお洒落な鏡の前の椅子に俺を座らせた。今度は何が始まるんだ。
俺と同じガウン姿なのに、体格が違うからかこいつだけ高級ホテルでワイングラスを回してそうな雰囲気がある。首にタオルを掛けている姿も、俺だと銭湯帰りレベルなのに高井だとお洒落に見える不思議。
そんな高井が、鏡越しににっこりと笑った。
「安田先輩が風邪を引いたら、僕が嫌なので!」
「は?」
高井は横のカゴの中に入っていたドライヤーを取り出すと、なんと俺の頭を乾かし始めたじゃないか。温かい風が、首に当たる。
は? え? ちょっと待て高井、お前のサービスは大分過剰だぞ!
「高井、俺は自分で……!」
だけど高井は俺の主張はさらりと無視すると、人の襟首の毛を指で梳いて伸ばしつつ乾かし続けた。やばい、普通に気持ちよくてトロンとしてきた。
鏡に映し出されている高井の顔は、なんというか慈愛に満ちているように見える。……俺、世話をされてるな。後輩に滅茶苦茶世話を焼かれてるんだけど。一体どうなってんだこりゃ。
どうしていいか分からずただ高井の伏せ気味のまつ毛を眺めていると、高井が「ふふ」と突然笑った。次は何だ。
「安田先輩の髪、濡れると襟首の毛がクルンてしますよね。夏とか汗掻いてる時にそれを知って、毎朝頑張って伸ばしてるのかなって密かに思ってました」
「うっ、バレてたのか……」
「はい。可愛いなあって思って見てました」
それは感謝している先輩に向かっていう言葉か?
「可愛いってお前なあ……」
「だって外国人の子供みたいじゃないですか」
「うわあ、言われた……っ」
「可愛いですよ」
高井のダメ押しに、俺はハア、と溜息を吐いて項垂れた。
そうなんだよ。俺の髪の毛は普通にまっすぐだけど、何故か襟首の毛だけがすぐにくるんとしてしまうんだ。ちなみに地毛の色は焦げ茶で、真っ黒ではない。それに加えてここがクルンとするとどうしてもチャラめというか若い感じに見える気がして、俺は毎朝必死にドライヤーで伸ばしていた。短く切ると、あっちゃこっちゃに跳ねてだらしなく見えると亡き親父に言われて以来、ずっとこうしている。
それをまさかこいつが知っていたなんて……!
「いいじゃないですか。僕は安田先輩らしくて好きですよ? それにいつも前髪を後ろに流してるからキリッとして見えますけど、こうして下ろしてると大学生でも通りそうですよね」
「お前な……! 人が気にしてることを」
鏡越しに軽く睨んでみたけど、高井はくすくすと笑っただけだった。
「安田先輩の髪の毛、サラサラで気持ちいいです」
「美容師に、癖っ毛が出るのはこの髪質のせいだって言われた」
「僕は安田先輩の髪質、大好きですよ。あ、また後で頭皮マッサージもしましょうね。遠慮は禁止です」
「……うん」
ああ、俺は駄目な先輩かもしれない。後輩の甘言にひょいひょい乗ってしまうんだから。
俺の髪の毛を乾かし終わった高井は、「僕の髪の毛は短いんで」と言って物凄く雑に乾かした。さっきも思ったけど、お前ちょっと自分の扱いが雑すぎやしないか。
「安田先輩、さ!」
「お、おう」
高井に背中を押されて向かったのは、大きなベッドだった。高井はサッとシーツをめくると、「安田先輩、真ん中にどうぞ! うつ伏せからいきましょうか!」とこれ以上はないってくらいの笑顔で言った。裸の付き合いはしたことがなかったから嬉しかったのは分かる。だけどこれはどうなんだ? そこまで喜ぶことか?
「早く早く!」
「わ、分かったって」
息がしやすいようにと枕と枕の間に顔を埋 めるように指示され、俺は素直に従った。うつ伏せになると、身体がベッドに沈み込んでいくような感覚に襲われる。ああ俺は疲れてたんだなっていうのが、それで分かった。
「では足裏からやっていきますね」
「うん」
何かを手でねちょねちょこねる音が聞こえてきた後、高井の温かい手が俺の左足を掴む。滑るように押されると、若干痛みはあるものの気持ちいい。
「……あー、最高」
「本当ですか!? よかった! いつかやってみたいと思って自分で練習してた甲斐がありました」
「へ?」
やってみたいと思ってた? あれかな、マッサージ職に興味があるのかもしれない。
「僕のことはいいんですよ! それより安田先輩、約束ですよ。安田先輩の話、聞かせて下さい」
俺の話。ラブホに入ってくる時に高井に「後で」と言った俺の童貞話のことだろう。
「あー、うん。本当に面白い話じゃないからな?」
「安田先輩のことは何でも知りたいので大丈夫です」
それってどうなんだとちょっと思ったけど、この熱意の高さというのが何でもこなしてしまうアルファのアルファたらん姿勢なのかもしれない。
高井の発言に深く突っ込むことはせず、話を始めることにした。
「実は俺の親父ってさ――」
内容は、忘年会で安西に語ったのと一緒だ。ただあの時は「童貞なので男のケツで童貞を捨てたくはない」という理由を伝える為に話したけど、高井に関しては違う。高井は絶対に俺を笑わないのは分かっていたので、安西の時よりももう少し細かく、俺の心情もやや交えつつ語った。
太ももまで伸びてきた高井のマッサージがあまりにも心地よかったせいで、俺の口は軽くなっていたのかもしれない。
気が付けば、俺はこれまで誰にも言っていなかった考えを喋ってしまっていた。
「正直、この先彼女ができたとしてもうまくできる自信がないんだよな……。結婚してからいざセックスっていうのもさ、相性ってあるっていうし」
「それはまあ……あるとは思いますけど」
高井が言いにくそうに返す。高井だって答えにくい内容だろう。それにしても、これってセクハラに該当しないのか? 高井、セクハラだったらセクハラだって言ってほしい。
「だってさ、全く経験のない俺で満足させられる気は全くしないし、こんなんじゃ一生童貞かなって最近思い始めてさ」
「……でも、女の人と結婚前にセックスをするのはやっぱり抵抗があるんですよね?」
高井は自然に俺のガウンを脱がせると、俺の腰の上に跨いで座り、背中をマッサージし始める。俺の腰の脇に直接触れる高井の内ももの熱に、一瞬「おわっ」と思った。人肌ってこんなに熱いものなのか。相手が信頼してる高井だからか、さっき抱き止められた時と同じような安堵が俺を包む。
……にしても、あーゴリゴリいってる。気持ちいい……。
あふ、と欠伸が出た。マジで寝ちゃいそうだ。でも話途中だから、寝たら高井に悪い。俺はとろとろと微睡みながらも、話を続けた。
「そうなんだよなあ……あーもうやだ。だけどもうその考えが染み付いちゃってるんだよ。どうすりゃいいんだろうなあ」
こんなことを相談されても、いくら俺に懐いているからといっても困るだろうっていうのは分かってた。だけどもう、相談できそうな相手は高井しかいなかった。
安西ももう知ってるから相談はしようと思えばできる。だけど、あいつに関してはさっきの件がある。どう考えたって、これ以上は相談しにくいじゃないか。ていうかじゃあ俺に突っ込めとかまた言われたくない。彼女と元サヤになったからもう言ってはこないと思うけど、あいつはその点ちょっとアホだから、何を言い出すか分からないところがあるんだよな。
高井が俺の背中をぐ、ぐ、と程よい力で指圧しながら、「うーん」と唸った。
「その……僭越ながら、安田先輩は女の人と結婚しないと駄目なんですか?」
「はい?」
高井の言葉に、思わず振り返った。
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