7 / 57
7 ジャグジー
風呂には浸かる前に洗うのが俺流だ。
それを聞いた高井が、シャワーを捻り温度までしっかり確認した後、真ん中がやけに凹んだ変な形の椅子に俺を座らせた。その上で「お背中を流させて下さい」と言われてしまい、戸惑う。
「お願いします! 僕の長年の夢だったんです!」
先輩の背中を流すのが長年の夢だとアルファに言われて、戸惑わないベータはいないと思う。だって、いくら高井が天真爛漫な大型わんこ系とはいえ、天下のアルファ様であることに間違いはないんだぞ?
俺の中でアルファはほら、従わせる性な印象なんだ。大事な番に近付いてくる奴に対しては威嚇フェロモンで敵を脅すとか聞いたこともあるし、大体人の上に立ってるし、あながち間違いじゃないと思うんだけど。
ということで、一応やんわりと拒否しようという方向でいくことにした。
「夢ってまた、大袈裟な。いいよ、少し酔いも覚めてきたし、自分でできるから」
「本当ですってば! 信じて下さい! 僕にやらせて下さい!」
「ええー……」
かといって、ここまでやりたいと言うものを頑なに拒否するのも可哀想だ。俺から「背中を流せ」と言うとパワハラになりそうだけど、逆はまあ問題ないだろうし。
「安田先輩……っ」
そんな甘えた声を出すなよ。先輩心がキュンとしちゃうだろ。
俺はな、高井の俺という先輩に対する懐き具合が可愛くて仕方ないんだ。育てるのが非常に楽だったので俺が育てたとは言い難いけど、こいつの面倒を見られてよかったなあとしみじみ思うくらいには。
結論。可愛い後輩の頼みは断りたくない。
「じゃあ――頼むな」
「はい!」
高井はいそいそと俺の背中側に回ると、床に膝立ちをして俺の背中を洗い始めた。だがしかし、「身体を洗うタオルって実は肌の乾燥の原因らしいですよ」なんて言って手で直接触れてきたもんだから堪らない。
泡のぬめりと高井の手のひらの温度の高さに、思わずゾクゾクッと鳥肌が立ってしまった。身体を捩って高井の手から逃げる。
「ふはっ、ちょっと待て高井、くすぐったいからっ」
だけど高井は逃げるのを許してくれなかった。ガシッと腰を掴まれてしまい、心の中で「うおっ!」と叫ぶ。普通、そこを掴むか!?
「本当です? じゃあもっと強い方がいいですか?」
散々飲んで絶対勃たない自信があったのに、そんな触り方をされたら脳みそが勘違いしそうだ。とにかく今すぐ離してほしくて、こくこくと頷いた。
「た、頼む」
「はいっ! それにしても先輩、背中ガチガチですよ。マッサージもしましょうね」
高井はそう言うと、背骨に沿って指圧をし始めた。おお……、泡の滑らかさと相まってすっごい気持ちいいぞこれ。
「うおお……っ」
「どうです? 気持ちいいですか?」
思ったよりも首に近い場所から声が聞こえてきて一瞬びびったけど、ここでも俺はこくこくと頷く。やばい、懐いてくれる後輩最高。
俺が「ふおお」とか「うう、そこそこ」とか呟く度に、高井が小さく笑うのが妙にくすぐったく感じた。
背骨が終わった後は肩甲骨周りを押されて、俺は前傾姿勢になって悶える。
「くう~っ、いい……!」
「……よかったです」
風呂場に響く高井の声はとてもいい声なので、同性であろうとゾクッとくるからたちが悪い。
高井が泡を足し、今度は首と肩を揉み始めた。……気持ちいい。寝ちゃいそうだ。
と、高井がぽつりと呟く。
「……安田先輩」
「んー?」
「僕、本当にこれまでこういう裸の付き合いってしたことがなくて。だから今、滅茶苦茶感動してます」
「そう……なのか?」
「はい」
小さく笑う声が、ちょっと淋しそうに聞こえた。
高井が続ける。
「アルファって、何でもできて当たり前って突き放されることが多くって。そりゃ応用は普通よりは得意かもしれませんけど、ゼロからイチはまた違うんですけどね」
「……あー、うん。言いたいことは分かる」
俺がOJTになって高井に細かく教え込んだのは、正にそれが理由だった。高井はこれまで何も言わなかったけど、やっぱりそこの部分は不安だったんだろうな。
「だけど、安田先輩は部長から名指しで僕を押し付けられたっていうのに、ひとつひとつ全部丁寧に教えてくれて」
思わずギクッとして振り返った。なんでこいつが俺が部長から押し付けられたって知ってるんだ? 俺は一度だってそんなことを言った覚えはないぞ。
「え、お前、どうして知って……」
「そりゃ知ってますよ!」
高井はあははと笑うと、今度は俺の腕を洗い始める。大きな手だなあ。
「最初の頃は、沢山色んな人から嫌味を言われました。どうせお前もすぐヘッドハンティングされて辞めるんだろうとか、第三営業部に来たのは自分たちを追い出すつもりだろうとか」
「マジで?」
どいつだ、そんな酷い言葉を投げつけたのは。第三営業部のメンバーを脳内で思い浮かべた結果、割と誰でも言いそうだなという結論に達し、唖然とした。ろくな会社じゃない。
高井の声は、達観したそれに聞こえた。
「マジです。心ない言葉を、それはもう沢山言われました」
「……知らなくてごめんなあ」
俺の右手を取ると、次は手のひらで指の間まで細かく丁寧に洗い始める。う、うひゃっ、ヌメヌメしてくすぐったい!
「僕、こんなに誰かに親切に教えてもらったのって、安田先輩が初めてだったんです」
「そうだったのか……」
俺のやってきたことは、ちゃんと高井に伝わってたんだ。嬉しくなって、後ろを振り返りつつ小さく微笑む。俺の手をじっと見ていた高井が、視線に気付いて笑い返してくれた。
「はい。――あ、前は自分で洗います?」
両方の手を洗い終えると、高井が泡だらけの両手を俺の肩に乗せる。
「ばっ、当たり前だろ!」
「あは」
前を洗わせる先輩なんて、どう考えてもセクハラにしかならない。でも基本生真面目なこいつもこんな冗談を言うんだと思うと、俺には気を許してくれているんだと思えてやっぱり嬉しくなった。
高井がシャワーで手についていた泡と俺の背中を流すと、嬉しそうに続ける。
「じゃあシャンプーの支度しますねー」
「は? シャンプーもするつもりか?」
「当然です」
即答だった。え、いや、それはちょっといくらなんでもやらせ過ぎじゃ。
すると、高井が俺の耳元で囁く。
「頭皮マッサージ、気持ちいいですよ。眼精疲労に効くそうです」
「頭皮……マッサージ……」
「はい!」
俺が完落ちした瞬間だった。
◇
自分の前と下半身以外全てマッサージ付きで高井に洗われた俺は、あまりの気持ちよさにとろとろと半眼になりながらジャグジーを楽しんでいた。
「安田先輩、すぐに行きますからそこで寝ないで下さいね!」
「んー」
「あー! 目を閉じないで!」
ようやく自分を洗い始めた高井は、俺の時とは違って随分と雑に洗っている。
ジャグジーの縁に両腕を乗せて高井をぼんやりと眺めていると、時折チラチラとこちらを心配そうに見る高井と目が合った。ふは、俺が寝て溺れないか心配してるんだ。やっぱりうちの大型わんこ系後輩は可愛いな。
「お待たせしました!」
「肩に泡付いてるぞ」
指摘した途端、高井はジャッとシャワーで流して大急ぎでジャグジーに入ってきた。濡れたタオルが股間に貼り付いて、でかいブツの存在を見せつけている。普通に羨ましい。俺もでかいモノを持っていて、それを自慢せず心の中でそっと誇りに思っていたかった人生だった。
そんな俺のサイズは、多分並だ。コンドームは付けた経験がないので分からないけど、多分Mサイズだと思ってる。Sサイズではないと信じたい。
胸の高さまで浸かった高井が、俺の横に寄ってきた。
「安田先輩、寝ないで」
「寝てないよ」
「目が半分になってるんですよ」
「酒はお陰様で大分抜けたけど、お前のマッサージが気持ちよかったから」
と、高井が顔を近付けてくる。
「……先輩、いつも僕のOJTで疲れてるんですよ。さっき自販でローションを見つけたので、上がったら僕のマッサージで疲れを取って下さい」
「え、いいの?」
「はい。そのまま寝ちゃってもいいですよ。どっちにしろもう終電の時間は過ぎてますし」
「え」
いつの間に。
でも、これで「マッサージされながら寝られる年末」というご褒美みたいな提案に乗ってもいいかな、という気持ちになり。
「……悪いな、高井」
「いえ! さっきも言いましたけど、僕は嬉しいので!」
高井の言葉に、じんと胸が熱くなった俺だった。
ともだちにシェアしよう!