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16 告白
高井の家は、寝室の他にはドーンと広いリビングがあるだけの、シンプルな作りだった。
軽いキャッチボールくらいはできるくらいの広さはあるけど。
大きな黒革のソファーに降ろされると、高井は「部屋着を用意するので待っていて下さい!」とパタパタと小走りに駆け回り始めた。会社も自分のスマホも充電切れで、すでにブラックアウトして久しい。することもないので、ぼんやりと天井で回り始めた木製のシーリングファンをぼんやりと眺めた。……天井、高いなあ。
「お待たせしました!」
駆け足で戻ってきた高井は、先にラフな白のロンTとグレーのスタイリッシュなジャージに着替えている。スーツ以外の姿は新鮮で、こう見ると年相応に見えるよな、なんて高井を見て思う。高井は腕に抱えていた同じような上下を見せて、にこっと笑いかけてきた。
「サイズが僕のだと大きいと思うんですが、今夜だけ我慢してもらっていいです? 明日一緒に買いに行きましょ? ね?」
「え、なら家に」
「一緒に買い物したいんです! 誉さんがどんな服に興味があるのかとか、誉さんのサイズとか、全部知りたいんです!」
「お、おう……」
目をうるうるさせて言われたら、やっぱり大型わんこ系後輩が可愛くて仕方ない俺は頷いてしまう。俺の返事を聞いた途端にパアアッ! と嬉しそうな顔になるあたり……可愛すぎだろ、お前。
「じゃあ、お着替え手伝いますね」
「いや待てちょっと待て」
俺は腰はヤられているが、自分の着替えもできないほどの介護は必要としていない。
高井は言うことを聞かない子供に言い聞かせるような表情と口調で言った。
「誉さん、意地を張らないで大丈夫ですってば。ここには僕と誉さんの二人しかいませんよ?」
「だからって、」
「いい子に着替えができたら、誉さんが大好きな和風パスタを作りましょうね」
にっこりと微笑まれて、俺は。
「……バターときのこは入れろよな?」
「はい!」
早くも高井の作戦に負けてしまったのだった。
◇
俺は「彼シャツの肩がずり落ちるところとか萌え袖とかこれまで意味分からないしって思ってたんですけど、今その尊さを実感してます」と訳の分からないことをほざく高井に、しっかり着替えさせられた。
先輩の威厳? もうそんなものはない。俺は好物の和風パスタに魂を売った男だ。というか俺が好物って言ったことあったか? さすがアルファ、とんでもない観察力だ。
高井お手製の和風パスタは、ネギがたっぷり乗っていて滅茶苦茶美味しかった。ちなみにソファーで「あーん」されながら食べた。もういっそのこと殺してくれ。
お腹が膨れたところで、今度は救急箱を持ってきた高井に首を手当てされる。ガーゼがあると違和感が半端ないけど、暫くこの状態は続くだろう。
更にソファーに座ったまま高井の膝枕で歯まで磨かれて、俺のメンタルは目下どこにどう向かっていいのか迷子になっている最中だった。
どうなってるんだ、高井は。先輩に膝枕で歯磨きをしてあげる後輩ってどういうことだよ。
わざわざ洗面器まで持ってきてソファーでうがいをさせると、鼻歌を歌いながら戻ってきた高井がおもむろに俺を横抱きに抱き上げる。
「――えっ」
あまりにも自然な動きに、俺の反応が遅れた。目を見開いている間に、もう持ち上げられている。
ちゅ、と俺のおでこにキスを落とした高井が、実に嬉しそうな蕩けた表情になった。
「シーツは新品に変えましたから安心して下さいね。とりあえず今夜はゆっくり寝ましょ。またマッサージしますね」
俺はすでに学んでいる。こいつのマッサージしますは、信用ならないということを。だけど同時にこれも学んでいる。高井のマッサージが滅茶苦茶気持ちいいことを。
思い切り警戒してる目を向けながら、確認を取ることにした。
「前立腺マッサージは禁止だぞ」
「……はい」
一瞬だけ高井の目がニヤッとしたのを、俺は見逃さなかったからな。
「前立腺はしません。約束します」
「絶対だぞ! 絶対だからな!」
「分かりましたってば。さ、行きましょうね」
子供をあやすような口調で言われながら、寝室に向かう。寝室は、グレーを基調とした落ち着いた雰囲気の十二畳はありそうな部屋だった。中央に置いてあるダブルベッドの中心に、高井はそっと俺を下ろす。まるで壊れ物を扱うかのような丁寧さに、こそばゆさを覚える。
高井はベッド脇のサイドチェストの前にしゃがみ込むと、大きめな引き出しを開けた。
高井の行動を、何気なく眺める。引き出しの中に、海賊の宝箱みたいな形の、幅十五センチほどの金属の小箱が入っているのが見えた。貴重品でも入れてるのかな。
「あれ、奥に入っちゃったかな」
高井が何やら呟いている。小箱の奥に何かが入り込んだらしく、手を突っ込んでみたりしているけど届かないらしい。小箱を取り出してベッドの端に置くと、「あ、あったあった」と手を突っ込んだ。さっきから何を探してるんだろうか。
目の前に置かれた宝箱に目線を移す。
銀色の、ちょっと古めかしいデザインの小箱だ。鍵穴があるところを見ると、ちゃんと鍵がかかる物らしい。
ちょっとした好奇心で、高井に尋ねた。
「高井、この宝箱ってなにが入ってんの?」
すると、透明の液体が入ったボトルを手に持った高井の動きが、ギギギッと明らかにおかしな具合で止まったじゃないか。ん? なんだこの反応は。
高井の返事を待っている間に、高井の耳から首まで見事に赤くなっていく。んん? どうしたどうした。
横を向いたままの高井が、目線を合わせないまま答えた。
「あっ、あの、それはその……っ、僕の黒歴史と同時にその、宝物でして……っ」
「黒歴史と同時に宝物? なんだそりゃ」
完璧なアルファでミスなんて起こさない高井にも黒歴史があったなんて、意外だった。俺には普通にあるけどな。俺の人生、後悔や失敗だらけだ。だけどそれが同時に宝物って一体どんな物だろう。皆目見当がつかない。
高井の返事を待つも、高井は真っ赤になって俯いたまま何も答えない。ありゃりゃ、本気で聞いちゃ拙いやつだったのかもしれない。
「あー、あのさ、高井」
声をかけると、高井が慌て出した。
「あの、その、これは……っ」
「ああ、悪かった高井。別に無理して言わなくていいから。嫌なんだろ?」
「そっ、そういう訳じゃ!」
バッと振り向いた高井の目が、涙目になっている。必死な表情に、俺の先輩心がキュンとした。俺はこいつのこういうところに弱いんだよ。普段はアルファ然としてるのに急に年下っぽくなるから、可愛くて仕方ない。
さっき聞かれないと分かって寂しがっていたことを思い出し、付け加える。
「あ、別に聞きたくないとかじゃないよ? 無理しないでいいってだけで、」
「ちゃんと!」
高井は肩で息をしながら、俺の目を真っ直ぐ見つめてきた。
「……ちゃんと、僕に言える勇気が出たら、誉さんにはきちんと伝えたいんですっ!」
「へ、」
伝えるって、その黒歴史をか? そんな涙目になるほど嫌なことを言わせるような鬼先輩じゃないぞ、俺は。
だけど高井は決心したような目で続ける。
「ほ、誉さん!」
「は、はい!」
「お願いです! 人が良すぎる誉さんに付け込んでるって自覚はあります!」
「お、おい?」
一体何の話が始まったんだ。目を大きくして見つめていると、高井がギシ、と俺の顔の横に手をついて上から覗き込んできた。
「まだっ、そういう気持ちじゃないのは僕だって分かってます! だから今は、つ、繋ぎ程度に考えてくれてもいいので、ぼ、僕と付き合って下さい……!」
「え、ええと……」
付き合うって、その付き合う? え、マジ?
「ちょっと待て、そういう気持ちってどんな気持ちだ? 繋ぎ程度? え、誰が? あ、高井が好きな人ができるまでの繋ぎに付き合えってことか?」
「違います! どうしてそうなるんですか!」
怒られた。
「あ、悪い」
でも本当に分からないんだよ。だって、俺はしがないベータな先輩で、童貞だし、周りほど要領よくないし、アルファの高井にしてみれば吹けば飛ぶような塵芥な存在だし。
高井が、瞳を潤ませながら顔を近付けてくる。
「僕のことが大嫌いじゃないなら、お願いです! どうか僕と付き合って下さい……!」
――俺は、自他ともに認める波風を立てない穏便派。人との衝突を避けるのが俺だ。
きっと、だからだ。
「は、はい……」
俺がそう答えてしまったのは。
「……高、」
ボタタッと温かい水滴が俺の頬に落ちたと思った直後、俺の口は高井の口によって塞がれていた。
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