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20 大型系わんこのおねだり

 モニターを通しての社長の新年の挨拶も終わり、ざわついていた執務エリアも徐々に日常の雰囲気を取り戻し始める。  問い合わせや見積もりの電話やメールが入ってくるのは、大体午後からだ。どこの会社も、うちと同じように午前中は新年の挨拶やら溜まっていたメールの処理に追われるものなんだろう。  そんな中、部署の入り口の方で固まって話をしていた社員たちが、何かに驚いたようにざわつき始める。  何気なく目線を向けてみると、第一営業部の方を見て指を差したりしている。会話の内容までは聞こえてこないけど、妙にはしゃいでいるように見えた。 「……どうしたんだ?」  一体彼らはいつになったら仕事を始めるんだろうと心の隅で思いながら呟くと、カチャカチャと素早くキーボードを打ちながら集団に一瞥をくれた朝陽が、興味なさげに返した。 「さあ?」  と、椅子を蹴り俺のすぐ隣まで滑ってやってくると、小声で矢継ぎ早に尋ねてくる。 「それより誉さん、今日のランチも一緒に行きましょうね? 他の人と約束してないですよね? 他の人に誘われても先約があるって断って下さいね? で、どこがいいです? 昨日は親子丼が食べたいって言ってましたよね? そうしたら長寿庵でもどうです?」  まるで遊んで遊んでと玩具を口に加えてキラキラした目で見つめる大型犬にしか見えない。俺を抱く時は肉食獣のような雰囲気を漂わせているのに、普段がこれだもんなあ。 「お前な、まだ仕事始まったばかりだぞ」  俺の肩に肩をくっつけてくる朝陽をわざと軽く睨むと、朝陽が口をツンと尖らせた。……だから、その顔。男前な顔のお前がそれをやると、全然男なんて対象外だった筈の俺の心臓が何故か暴れるんだよ! 「だって、誉さんがいないひとりの部屋は凄く広くて寂しかったんですよ? 寂し過ぎて大して寝られなくて早起きしたし、誉さんはどうせ朝一で出社してくるのは分かってたから合わせて出社したのに、僕に気付かないで先にエレベーターに乗っちゃいますし」 「え? 入り口で待ってたのか? そりゃごめんな」  やけにすぐ後に来たと思ったら、社屋の入り口で待ってたのか。寒くて早く温かい飲み物を飲もうって頭しかなくて、周りを見ていなかったかもしれない。  朝陽が恨めしそうな目で俺の目を覗き込む。 「驚かせようと思って黙って待ち伏せした僕が馬鹿だったんです。そのせいで第一の瀧なんかに絡まれちゃって、悔しくて悔しくて……っ」 「同期なのにそんなに嫌うなよ。可哀想だろ?」  同期でお互いが唯一のアルファなんだから仲良くすればいいと思うんだけど、アルファはアルファと集わないんだろうか。  朝陽が、周りから見えない角度でするりと俺の腿の上に手を置く。指先が内腿に当たり、思わずビクッとして朝陽を見ると。  妙に圧を感じる真顔の朝陽が、瞬きもせず俺をジーッと見つめていた。怖い。せめて瞬きはしてくれ。 「朝陽……? ど、どうした?」  会社じゃ「高井」と呼ぶべきなのに、咄嗟に名前が出てくる。へらりと笑ってみたけど、朝陽の表情は変わらないままだった。  そして、何かを言い始めた。 「今日から、帰りは送りますから」 「は? 送るって、」 「朝はお迎えに伺います。睡眠は大丈夫です、僕アルファなんで体力には自信がありますんで」  言おうとしていたことを先回りされて言われてしまう。 「ちょ、ちょっと待て、お前年上の男の先輩相手に何を、」  朝陽の長い指が、内腿の奥まで伸びていった。うひゃっ、馬鹿! ここは会社だぞ!? と慌てて周囲を確認したら、殆どの人間が入り口に集合していて誰もこっちを見ていなかった。あの人たちは就業時間中に何をやっているんだろうか。 「誰も見てませんよ」  年末年始の濃い情事を彷彿とさせるいい声で囁かれて、ぶるりと震える。 「これまでは我慢してましたけど、だって僕、先輩の恋人じゃないですか。恋人のことを心配して何がいけないんですか?」 「だってお前なあ……」  俺がしゃなりとしたオメガだったならともかく、どこにでもいるベータ、しかも成人した男だぞ。それを送迎したいなんて、本末転倒というか何というかじゃないか。  だけど、朝陽にとっては違うらしい。相変わらず表情の読めない顔で、じっと俺を見つめ続けている。マジで怖い。瞬きしてくれってば。 「僕が急いでエレベーターで追いかけた時に他のアルファといるのを見て、どれだけ驚いたか分かります?」 「でも、」  声がどんどん低くなってきていた。これはどうやら……まさか朝陽、怒ってるのか? 「誉さん。アルファはね、自分の恋人に他のアルファが近付くのを本能的に嫌がるものなんですよ」 「あ、そうなの?」  確かに競争意識は激しそうだもんな、アルファって。そっか、怒っていると感じたのはそれが原因か、と納得する。確かに、時折ニュースでも見かけるもんな。愛が重すぎるアルファが番を愛するあまり誰にも会わせたくなくて監禁してちょっとした事件になるとか。あれはアルファの習性なのか、なるほどなるほど。  一瞬、脳裏に「いや待て、俺も監禁される可能性があるってことか?」という考えが過ったけど、そのまま流して忘れることにした。ほら、俺はオメガじゃないし。オメガじゃないからアルファの番にはなれないし、朝陽は温厚なアルファだから、ないない。 「でもなあ、睡眠は大事だぞ」 「だったら、朝は駅前で待ち合わせましょ? それならいいですよね?」 「まあそれくらいなら……」  俺が頷くと、ようやく朝陽に表情が戻ってきた。朗らかに微笑み、ついでにちゃんと瞬きもする。 「でもとりあえず、夜ご飯は一緒に食べましょうね。今夜、何食べたいです?」 「ん? いやでも、外食するとお金が」 「僕、作りますよ! 僕のうちに来ます? 何食べたいですか? 腕を振るっちゃいますよ!」  大型わんこ系恋人の勢いが凄まじい。アルファっていうのはこんなに押しが強いものなのか。というか、こんなに毎日ゴリゴリ来られたら、俺の「朝陽とちゃんと距離感を保っていこう」作戦が初っ端から頓挫してしまうんだが。 「僕、誉さんがいなくて昨日は本当に寂し過ぎて殆ど寝られなかったんです。お願いです、やっぱり今夜は一緒にいてくれませんか……?」  潤んでいるようにも見える瞳で、朝陽が懇願してきた。……指がどんどん股間に近付いてきているんだが? 「え、いやでも、お前んちにはスーツの替えがないし……」  スーツまで置いていったが最後、ズブズブに入り浸ってしまいそうな流されまくる自分しか想像がつかない。だからこそ、昨日は悲しそうなわんこに後ろ髪を引かれながらも必死で帰ったんだ。  ところが、パッと笑顔になると、朝陽がとんでもないことをのたまい始めたのだ。 「あ、それなんですけど! 昨日、誉さんが帰った後があまりにも空虚で寂し過ぎたんですよね! だったら誉さんの姿を想像できる服を部屋に飾っておこうと考えて、誉さんのサイズは完全に把握してるのでネットで探したんですよ! そしたら凄く似合いそうなスーツが一式見つかったので、実は今日着でうちに届くんです! だからちっとも問題ないですね!」 「は?」  待て。待て待て。情報量が多い。俺が口をパクパクして何も言えないでいる間に、朝陽はにこにこして先を続ける。 「誉さんの顔写真を引き伸ばしてハンガーに貼ってスーツを着せて自分を慰めようかと思ってたんですけど、スーツも僕に汚されるより実物に着てもらう方が絶対いいですもんね!」 「え? は?」  ちょっと待とうか。俺の顔を当てはめて、お前は一体何をしてスーツを汚すつもりでいたんだ。  周囲にちらりと一瞥をくれてこちらを誰も見ていないことを素早く確認した朝陽が、指先をグッと押し込み、尻の肉を掻き分け孔に触れる。うおっ!? こ、ここ、職場! 「ばっ」  どことなくエロい雰囲気を漂わせた朝陽が、息を吹きかけるようにして囁いた。 「誉さん、だからお願いです……!」  ――俺は、自他ともに認める波風を立てない穏便派。人との衝突を避けるのが俺だ。  きっと、だからだ。 「は、はい……」  俺がそう答えてしまったのは。

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