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『私』と『俺』

「すみません、お待たせしました」 そう言って出てきた透也くんは、ほんのり頬を染めていてドキッとした。 やっぱりあのお風呂場で……。 せっかく水を飲んで冷ましたはずの顔がまた一気に火照ってくる。 「あ、あの……」 「ふふっ。短パン穿いてくれてよかったです。じゃあ、朝食にしましょうか。あ、魚が冷たくなっちゃいましたね」 キッチンの調理台の上に綺麗に焼かれたままの魚がある。 そういえば、俺がキッチンに戻ってきた時にちょうど焼けてたな。 「悪いっ! 私のせいだな」 「いいえ。気にしないでください。じゃあ、今日はおにぎりにしましょう」 「えっ? おにぎり?」 「はい。その方が朝食っぽいでしょう?」 透也くんはそういうが早いか、魚の身をサッとほぐして、炊き立てのご飯と一緒にボウルに入れ混ぜ込んだ。 「わぁ! 美味しそう!」 「ふふっ。美味しいですよ」 手慣れた様子でそれをおにぎりにしてお皿に乗せていく。 具沢山の味噌汁もちょうど温まったところで、 「私も手伝うよ」 と置かれていたお椀に味噌汁を装った。 「ありがとうございます」 俺が味噌汁を装っている間に、おにぎりに焼き海苔を巻きつけて、きゅうりとなすの浅漬けを冷蔵庫から取り出し、お箸もお茶もあっという間に用意されていく。 本当に手際が良くて、手伝えているのかもわからないくらいだ。 お椀もささっと運ばれてしまって、本当に装っただけになってしまったけれど、 「大智さんのおかげで準備が早くできましたね」 と褒めてくれる。 全然役に立っていない気がしないでもないが、褒めてくれるのは嬉しい。 美味しい焼き魚入りの贅沢なおにぎりと具沢山の味噌汁で大満足の朝食を食べさせてもらった。 ああ、透也くんと会ってから、俺の食生活が一気に変わって身体もすこぶる調子がいい。 やっぱり食生活って大事なんだな。 寝室に行き、部屋から持ってきてもらったスーツに着替え、ネクタイを締めようと思ったら、入っていないことに気づいた。 一緒のところに置いてあったからわかると思ったんだけど……と思いながら、リビングにいた透也くんに尋ねると 「ああ、これ使って欲しくて持ってこなかったんです」 と差し出されたのは、今日着ようとしていたスーツに似合いそうな色のネクタイ。 「これ……」 「私のネクタイなんですけど大智さんに使って欲しくて……」 あ、私に戻った……。 私より、俺の方が心地よかったんだけどな……。 こういうのもやっぱり言った方がいいんだろうか? なんでも正直に伝えようって決めたからな。 「じゃあ、透也くんの借りようかな」 「わっ、ありがとうございます!」 「その代わり……」 「えっ?」 「私じゃなくて『俺』にしてくれないか? 『俺』って言ってくれて距離が縮まったような気がしてたのにさっき『私』って言われて、ちょっと寂しかったから……えっと、だから……」 「――っ!! ああ、もうっ! 本当に大智さん! どうしてそんなに可愛いことばっかり言うんですか?」 「か、わいい?」 透也くんは 「はぁーーっ」 と大きなため息を吐きながら、俺を抱きしめた。 「寂しがらせてすみません。じゃあ、二人っきりでいるときは『俺』にします。大智さんも、『俺』でいいですよ。俺の方が年下なので」 「あ、ああ。そうだな。じゃあそうしようかな」 「ふふっ。じゃあ、ネクタイ締めてあげますね」 「えっ、あっ、ありがとう」 嬉しそうに俺のネクタイを締めてくれる間、どこを見ていいのかわからなくてキョロキョロしてしまっていたけど、気づかれたかな? 人に締めてもらうなんて初めてだから緊張する。 「さぁ、できましたよ。ああ、やっぱり似合いますね」 鏡を見せられて俺も確認したけれど、なんかすごく良いものっぽい気がする。 このネクタイのおかげでスーツもいつも以上に良く見えるような……。 透也くんのネクタイ効果、すごいな! そのあと交代して、透也くんもスーツに着替え一気に仕事モードになった。 「仕事の時の髪型だと、年下には見えないな」 「いえ、俺より大智さんの方が変わりますよ。これだと年相応に見えます」 「まぁ大学生には見られないな」 「うぅ……っ、すみません」 「ふふっ。冗談だって。まぁ営業だと少しでも年上に見られた方がやりやすいからな。この髪型も一生懸命研究したんだ」 ちょっと得意げに言ってしまったけれど、透也くんは 「さすが大智さんですね」 と褒めてくれる。 こういうところが心地いいんだよな。 「じゃあ、行きましょうか」 なんだか久しぶりに透也くん家から出る気がする。 一緒にスーツを着て出社するなんてこと、初めてだから不思議な感じだ。 『おはようございます。Mr.スギヤマ。Mr.タナベ』 『あ、ああ。おはよう。ジャック』 ジャックの爽やかな朝の挨拶に、悪いことをしているわけでもないのになんとなくドキドキしてしまうのは、ジャックと会ってから今日までの間に透也くんとの関係が変わってしまったからかもしれない。 ジャックに気づかれてるだろうか……。 いや、それよりも別会社とはいえ、こっちにきて早々年下に手を出したと思われたりしてないだろうか……。 俺は別に構わないけれど、透也くんに迷惑がかかるのは避けたい。 けれど、そう思っていた俺とは対照的に、透也くんは 『ジャック。良い朝だね』 と嬉しそうに声をかけている。 『Mr.タナベ。何かいいことでもありましたか?』 『ああ。とびっきりの良いことがね。この世で一番欲しいものが手に入ったんだ。ねぇ、大智さん』 「――っ!! と、とうやくん!!」 『ああーっ、それは素晴らしい! これで私も安心ですよ』 『ふふっ。だろう?』 焦る俺を横目に透也くんとジャックは楽しそうに会話を続けている。 なんだかひとりで焦っている俺がバカみたいだ。 『どうぞ楽しい一日を!』 嬉しそうに見送られながら、キースの車で支社へ向かう。 「仕事場はどこなんだ?」 「大智さんの支社と目と鼻の先ですよ。ですから、昼食時間にはお昼誘いにきますね」 「えっ? でも……」 「近くに美味しい料理出す店があるんですよ。知っておいた方がいいでしょう?」 「それは……そうかな」 「じゃあ、決まりですね。あ、週の半分はお弁当作りますから楽しみにしていてください」 「えっ? お弁当も? 大変じゃないか?」 「いいえ。朝食作りの傍らで作りますから楽勝ですよ。任せてください」 そう自信満々に言われたら断る理由なんてなかった。 気づけば、自分の口から 「じゃあ、頼むよ。楽しみにしてる」 という言葉が溢れ落ちていた。

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