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自分がわからない

「どうかしたか?」 「いえ。じゃあ、行きましょうか」 「ああ。どんな店に連れて行ってくれるんだ?」 「ここからそんなに離れてないんですよ。でも穴場ですよ」 いたずらっ子のような表情でパチンとウィンクして見せると、ロビーが一瞬騒ついた気がした。 「んっ?」 気になって振り返ると、ロビーに出てこようとしている女性社員たちが透也くんを見て 「みた? 今、ウィンクしてた! イケメンのウィンク破壊力強すぎでしょ」 「あんなイケメン、この支社にいたっけ?」 「えーっ、わかんない。どこの部署だろ?」 「しかも支社長と一緒なんて! ああーっ、目の保養だわ!」 と、キャーキャー騒いでいるのが目に入った。 なんとなく、モヤモヤした気持ちが蠢いているのがわかる。 透也くんのウィンクを見ていいのは俺だけなのに。 そんな気持ちでいっぱいになり、なんとなく面白くない。 「田辺(たなべ)くん、行こう」 「えっ? 大智さんっ」 透也くんの手を取り、さっさと会社から出る。 「どっちに行くんだ?」 「あ、こっちですけど……」 手を取ったまま、言われた方向に向かって歩いている間もずっと心の中がモヤモヤしっぱなしで嫌になる。 「あの、大智さんっ! ちょっと待ってください!」 スタスタと歩いていると、歩道の脇にある小さな休憩スペースに差し掛かった時に足を止められた。 それでハッとして、透也くんに振り返った。 「えっ? あっ、ごめんっ! 手、痛かった?」 「いえ、それは大丈夫です。そんなことより、何か怒ってますか?」 「――っ、別に……怒ってなんか……」 「大智さん。ちゃんと俺の目を見て言ってください。俺、何か怒らせるようなことしましたか?」 いつも自信満々なのに、困った表情で俺の様子を窺う姿がなんとなく大きなワンコみたいに見えて、愛しく思える。 なんか透也くん、可愛いな……。 そう思ったら、急に心の中のモヤモヤがさぁーっと消えて行ったような気がした。 「大智さん?」 「ああ、ごめん。違うんだ。なんか俺もよくわからないんだけど……なんとなく、嫌だったんだ」 「何が、嫌だったんですか?」 「だから、その……さっき、ロビーで……女性社員たちが、その……透也くんのウィンク見て、騒いでるの見て……なんかモヤモヤして……早くあそこから抜け出したくなったんだ」 「――っ、大智さん……」 「ごめん、俺……本当自分でもわからなくて……」 「あの、じゃあ……俺のこと、田辺くんって呼んだのはどうしてですか?」 「あ、あの時は……その、みんなに透也くんの名前知られたくないなって、思っちゃって……」 って、どうしてそんなこと思ったんだろう? あの時の自分の気持ちが自分でもよくわからない。 「ごめん。それも、自分でも意味がわからないんだ。なんでそんなことしちゃったのか……」 「大智さん、本当にわかってないんですか?」 「えっ? どういう意味?」 「後で教えてあげます。とりあえず、お店すぐそこなので、行きましょうか」 さっきまでの不安そうな表情から一変、急に嬉しそうな笑顔を見せながら、俺の手を握ったまま歩き始めた。 透也くんのおすすめの店は本当に近くて、さっきの場所から裏道に入って3分ほど進んだ場所にあった。 「ここですよ」 「ここが、お店?」 パッと見た感じ、何かの会社の倉庫のような外観をしている。 多分、連れてこられなければ、素通りしてしまっているはずだ。 「さぁ、入りましょう」 「あ、ああ」 不思議な店に緊張しつつも、連れられて中に入ると中は思っていたよりもずっと広く、落ち着いた雰囲気だった。 「外観と中身が違いすぎだな」 「ふふっ。そうなんですよ。店のことを知っている人しか来ないので、安心ですよ」 にっこりと微笑む透也くんを見ていると、緊張感が消えてホッとする。 「ああ、来たな。ちょうどいい時間だぞ」 「わっ!」 突然、声をかけられて驚いたけれど、どうやらここの店の人みたいだ。 「兄貴、急に声をかけてくるなよ。驚くだろ」 「悪い、悪い」 「えっ? お兄さん?」 「ええ、実はそうなんです。兄の祥也(しょうや)です。日本で料理を学んで5年ほど前にこっちで店を出したんですよ」 まさか、お兄さんのお店に連れられてくるとは夢にも思わなかった。 「初めまして。田辺祥也です。弟が随分とお世話になっているようでありがとうございます」 お兄さんの突然の出現と挨拶にあまりにも焦った俺はつい、 「は、初めまして。透也くんとおつきあいさせていただいています杉山大智と申します」 と言ってしまった。 「えっ?」 「大智さん……!」 驚きの表情を見せるお兄さんと、嬉しそうに俺を見つめる透也くんの表情で、俺はとんでもないことを言ってしまったことに気づいた。

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