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裏切り
山手通りを、大崎方面から法定速度を目一杯無視して走ってきた真っ黒のレクサスが、道路沿線のとある雑居ビルの前で止まった。
そのビルの3階から車を降りる人物を確認した佐伯は
「牧島さん来たぞ」
と、ソファで音楽を聞きながら転寝をしている姫木の足を軽くける。
それを聞いた周りの若い衆も、遊んでいたトランプを慌てて片付け始めた。
ドアに双龍会と書かれたここは、全国に構成員5万を誇る高遠組No.2の槇島組の傘下組織である。会長や代表などを特に決めず、何かコトが起こった場合真っ先に命を張る、いわば特攻専門の組だった。
「佐伯居るか」
その高遠組の代貸牧島が、腹心の榊をつれて入ってくる。
「牧島さん、どうしたんすか?御用ならこちらから出向きましたのに」
若い者をどかしてソファに牧島を促すと、座っていた姫木が佐伯の隣に身を移した。
「佐々木(組)のことですか?」
佐伯は近くに立っていた児島にコーヒーをいいつけて、牧島が銜えた煙草に火を差し出す。
「ああ、どうなってるかと思ってな」
牧島は、やはり後に立っていた榊に隣に座るよう命じてソファに深く腰を落ち着けた。自分の行動の一切を、牧島の言葉に従う榊の律儀さに佐伯が微笑む。
もっともそれが優柔不断なんかではないことは周知の事実なのだが。
「で、佐々木は?」
「そのことなんですがね、牧島さん。俺ね腑に落ちないことがあったんすよね」
「ん?どうした」
今高遠組は、組長の高遠が病気で入院中だった。大した病気ではないのだが、そのことを傘下の佐々木組が高遠と敵対している柳井組に情報を流していると聞いたのだ。
街角で、チンピラ同士が出会えばいがみ合うような関係性の中、組長の入院も極秘事項ではあったのだが、それを佐々木は敵対組織に情報を撒き、あまつさえ『組長も長くは無いから、天下取るなら今のうちだ』などとも言っているらしい。
「家の組長 が入院してもう3週間でしょ?遅くないすか?柳井の行動が。柳井だったらこんな話聞いたらオヤジの病院くらいもう行ってる時期です」
佐伯の言葉に牧島もしばし考える。
確かに今の柳井の組長は元々武闘派で、それほど大きくはなかった柳井組を全国2位の組にまでのし上げた人物だ。
ここで高遠の組長が入院で生死の境となれば、組は跡目相続で揺らぎ、そのときこそが付け入るチャンスなのは、この世界の常識なのである。
そんなチャンスをみすみす逃すはずが、柳井に限ってはありえない。
「だからですね、俺たち山形さんに会ってきましたよ」
「…そんな大物に…」
さすがに牧島も呆れた。
山形充。まだ小さかった『柳井』を今の組長とともに大きくした、現柳井組組長の懐刀といわれている、事実上ナンバー2だ。
その一人息子も、いずれ柳井組の2代目となる柳井の長男健二に付いて、『柳井』を支える一員として働いている。
「会ってきたって言っても正式な手段じゃ無いすけどね」
週に一度、山形がゴルフに言っていることをひょんなことから掴んだ、と佐伯はいった。
「ちょっと車にお邪魔しまして、お話を聞いていただいたんス」
この二人の挟まれて車に乗っている心境を、牧島は寒い思いで想像する。
何がどうあれこの二人は殺しのプロだ。苦しんで死ぬのも、苦しまずに死ぬのもこの二人に睨まれたら、あとは自分の行い次第である。
当然周りも手出しは出来なかったのだろう。
「でね、山形さんに佐々木との関係を聞いたんです。そうしたら、佐々木との接触は一切ないってね、はっきりそう言いましたよ。つまりね牧島さん、佐々木が『柳井』にオヤジの病状を流しているという噂は、佐々木組が俺たちにリークしてんですよ」
「あん?なんだ?じゃあ柳井には実際にそういう噂は流れて無いってことか?どういうことだ」
そこで佐伯はポケットからレコーダーをだして、牧島の前においた。
「一ヶ月前に佐々木の経営してる風俗が手入れ受けたのは牧島さんも知ってますよね。その営業停止見逃す条件として、警察は高遠と柳井の壊滅を手伝わせることを目論んだ訳です。警察も手段を選びませんね。わざと抗争を起こさせて一網打尽を狙ってるんですよ」
牧島はテーブルの上の小さなレコーダーを手にする。
「これにその証拠が?」
「はい、山形さんの証言と、俺子飼いの情報屋が佐々木の事務所近くの飲み屋で録ってきた、佐々木の組員の会話です」
牧島は小さなそれを耳にあてしばし聞き入った。確かに内容は、山形の証言と、ざわついた音もうるさい中での男たちの会話が入っていた。自分の利益が守れれば、他がどうなろうとみたいなことは確かに言っていた。
「佐々木は、高遠 を売ったことになりますね」
佐伯の言葉に、牧島は苦々しい顔で腕を組む。
佐々木と言えば、末席とはいえ幹部会にも顔を出す組だ。なまじ内情に通じてるだけに、放っておくわけにも行かなかった。
「佐伯、その情報をお前らが知ってることを佐々木は?」
「知らないはずです。それと、山形さんも、もしそんな話を聞いてる下部組織があったら探して釘を刺しておくと言ってくださいましたので、仮に佐々木が本当に柳井の末端組織に情報を流してたとしてもそこはもう大丈夫です。警察の思惑も崩れたわけですね。今の佐々木は何処へも逃げ場の無い宙吊り状態ですよ」
「だから」
今まで黙って話しを聞いていた姫木が身を起こした。
「俺等まってるんす。上の判断を…」
牧島の顔を正面から見つめ、姫木は薄く微笑んだ。上というのは勿論高遠の幹部の判断。その笑みに牧島苦笑する。
「飢えてんだろ、姫木は」
その言葉に佐伯も苦笑した。
「ここんところ平和でしたからね」
「飢えてる姫木が潤う事態には、どうやらなっちまいそうだな」
牧島も姫木を見つめて口の端を微妙に吊り上げる笑みを浮かべる。
「それじゃあ…」
佐伯が確認するように身を起こす。
「この一件は…」
佐々木にはいずれにしろ制裁を受けてもらわなければならないのだ。組を潰そうとしたのだから、その制裁は普通ではすまない。
そして、この二人に任せるということは、その方法は一つであった。
「お前たちに任せる。後のことは気にせずやってこい」
「有難うございます」
頭を下げる二人に
「入用なものがあったら言え。何でも用意する」
そう言いながら立ち上がり、牧島は榊をつれて事務所を出て行った。
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「早いほうがいいよなあ」
牧島と榊が帰った後、佐伯はベルトの左脇に刺しておいた拳銃を取りだした。S&W M15。海外経由でどうしても欲しくて手に入れたものだ。主流のマカロフなどは手軽に手に入りはしたが、やはりこだわりのものを持ちたかった。
「そうだな」
姫木は、胸のホルダーからナイフを取り出してその光沢を確かめながら頷く。
佐伯神楽と姫木譲 は、高遠組へ入って6年目だった。
高校生のときに押しかけ、一仕事見事にやり遂げて牧島に預けられたのだ。そして5年目で正式な組ではないにせよ、一つの事務所を任されるにはこの二人、かなりの場数を踏んでいた。
ついさっき、牧島がこの二人に挟まれた山形の心境を心配していたが、この世界に身を置く幹部クラスの人間であれば、この二人の名前は知らないものはいないほど有名で、且つ恐れられていたのだ。容赦ない責めと、容赦ない執行。
普段が何でもなさそうなおにーさんに見えるギャップがまた、この二人を恐れさせる要因でもあった。
「いまんとこ、佐々木は武器になるようなもん一切ないだろうしなぁ」
早いほうがいいというのは、その辺りであった。警察の取締りを受けた事務所からは、武器その他それに順ずるもの一切が没収されているはずなのだ。山形が動いて色々調べたときに、仮に交友のあった柳井下部組織が佐々木に話をしないとも限らない。そうしたら、高遠からの襲撃を予想して武装をしかねないのだ。
「武器調達される前に、やっちまうか?」
佐伯の言葉に姫木は薄く微笑んで、
「じゃぁ、今夜辺りにでも…」
とぼそっと呟く。長年の付き合いでも、こういった流血沙汰の前の高揚した姫木の顔は、佐伯も毎回背筋を寒くさせられる。
「今夜か…まぁ、そのくらい早ぇ方がいいかもな。児島居るか?」
「はいーっなんでしょう兄貴っ」
根本が黒くなり始めた金髪を揺らして、児島がパーテーションから顔を出した。
「今から夜まで、佐々木の事務所の見張り交代だ。何か動きがあったらすぐに連絡しろ。それと、後でこっちからも連絡入れるが、その後一仕事有るからなるべく人目の付かない場所の確保もしとけな」
「はいっ判りました」
携帯を確認して、少年は事務所を飛び出した。
「それじゃあ、ちょっと作戦会議でもすっか。佐藤、戸叶ちょっとこい」
隣の部屋へ、信頼できる二人を引き連れて佐伯と姫木は消えてゆく。作戦会議は大抵、30分もかからないものだった。
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