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紅の内壁

「牧島さん、今終わりました。佐々木は俺が責任を持ってしとめましたんで。…はい、わかりました、明日そちらへ伺います」  裏口で待っていた児島の車に乗り、佐伯は牧島へ連絡をつけた。  後の席へ布を敷いて、血痕を残さないようにしてあるシートへ佐伯と姫木を座らせ、前には運転の児島と佐藤が乗っている。  佐藤と二人で佐々木組の入り口を死守した戸叶は、佐々木まで乗りつけた別の車で自分たちの事務所へ向かっているはずだ。 「児島」 「はいっ、なんでしょう」 「俺のマンション行ってくれ」  佐伯の隣で窓の外を眺めている姫木を伺いながら、佐伯はそう告げる。 「事務所戻んないんスか?」  バックミラー越しに佐伯を見ながらそういう児島の腕を、佐藤がつついた。 「よけーなこと言わねーでいんだよ。マンション向かえ」  児島は肩を竦めながら『はい』と返事を一つして、ナビを調整する。  窓の外をぼんやりと眺めている姫木は、パッと見何でもなさそうだが、息がわずかに上がっていて顔も少しだけ上気していた。 「姫木…」  そっと触れてきた佐伯の手にさえ、ビクンッと体を震わせて振り向いた姫木の瞳は心なしか潤んでいる。 「もすこしだからな」  シートの上で手を重ねて、宥めるように佐伯が囁いた。その言葉に姫木も頷いて視線をまた窓の外へ戻し小さくため息をつく。そして、重ねられた手を返して、佐伯の手をぎゅっと握りこんだ。 「じゃあな」  そう手を振って、佐伯と姫木はとあるマンションの前で車を降りた。  佐伯と姫木はお互いに部屋を持ってはいるが、大抵姫木は佐伯のところへ転がり込んでいる。もう一緒に住んでいると言っても過言ではない。  姫木のマンションはいまや若手組員の寮のようになってしまい、帰るに帰れない状況なのだ。 「姫木さん大丈夫かな」  運転席の窓から、児島が佐伯たちの後姿を見送りながらそう呟いた。 「なにが?」  佐伯たちが降りて解禁になった煙草を一服つけながら、佐藤がそういいながら児島越しにマンションへ消えてゆく佐伯たちを目で追う。 「なんか様子が変じゃなかったすか?」 「そおか?」  興味なさそうに佐藤は答えると、もう姿の見えない入り口を未だ眺めている児島に『早くだせよ』と肩を叩いて催促。児島はそれでも、『ん~』と呟いてじっと入り口を見つめていた。  鍵を開けてドアをくぐった佐伯は、先に靴を脱ぎかけている姫木の肩を引いて玄関の壁に押し付けると、強引に唇を重ねた。  あまりに急で、普段なら姫木もこんな風にされたらすぐに突き放すのだろうが、今はそれとは逆に姫木の両手は即座に佐伯の背に回り、唇を深く合わせてくる。 「ずっとしたかったんだろ?」  唇を離して姫木の顔を覗くと、返事の代わりに姫木は佐伯の首に噛み付いてきた。 「いてえよ、わかった」  笑いながら、姫木の顔を両頬を掴んで上げさせ、もう一度唇を合わせようとした時… 「佐伯さんっ!」  ドンドンッ とドアを叩く音。声からすると児島だ。 「姫木さんの様子が変だったからどこか悪いのかと思って。大丈夫なんすか?今なら車もありますし」  声を確認した途端、佐伯は姫木の方にグッタリと懐きその言葉にため息を付いた。とにかくやかましいのは事実だ。 「児島かぁ?」 「はいっ俺っす!姫木さんが…」  誰にもこの関係を言ったことは無いが、組の誰もが知っていた。…が、直接はっきり言わないと、わからない人種もこの世には存在するわけで…。まして、児島は腕はいいがまだ若すぎる。  佐伯は、姫木を壁に寄りかからせてドアを開ける。 「なに?」 「姫木さんが具合悪そうだったので、医者に行くなら車が有るうちにと思って…」 「具合?」  佐伯は小首をかしげながら少しだけドアを広めに開けてやり、姫木を児島に確認させてやった。  姫木は壁に寄りかかったまま俯いていたが、ドアが開く感覚に顔を上げ児島を見る。 流し目で、その顔は心なしか上気していて赤い。 「っ…」  そういった顔を、児島とて見たわけが無い訳ではなかった。むしろよく知っている表情…そう、欲情したときの女がそういう表情をする。  しかも、姫木の表情はその辺の女とは比べ物にならないほど色っぽいというかなんと言うか…。 「そう言う訳。心配はいらねーよ。明日は少し遅めに迎えに来てくれな。んじゃ」  佐伯はにっこりと微笑みながら、しかも軽快に手まで振ってドアを閉めた。  残された児島は、しばし呆然とその場に立ち尽くす。 「あ、やっぱここにいた。児島ぁ、ほっとけっていっただろ」  マンションの通路を児島に向かいながら、佐藤はバリバリとばつが悪そうに頭をかく。 「ったく、しょんべんしてる間に何やってんだ。ほれ、かえっぞ」  児島の頭を抱えてつれて帰ろうとする佐藤は勿論知っていた。 「佐藤さん…佐伯さんと姫木さんって…」 「俺らがとやかく言うことじゃねえだろ。とっとと事務所戻らねえと、戸叶にどやされるぞ」  そういって襟首をつかんで大人しくなった猫のように児島を車まで引っ張ってゆく。しかし、車の前まで来て児島は、 「佐藤さん、あの、俺…運転出来そうにないっす」  と、ナビシートへ向かう佐藤へ情け無い声をだした。 「あン?どした?」  車の前を回って、佐藤は少し心配そうに児島を伺う。 「いえ、あの…ちょっと勃っちって…」 「はぁ?」  大通りからは一本入り込んでるから、午後8時過ぎの今頃はそれほど人通りも車どおりも多いところではないが、こんなところでいきなり勃起させている後輩に佐藤は些か呆れ気味。 「なんだってまた、そんなことになってんだよ」 「さっき…俺、姫木さんの顔見たんすよ…すげー、なんていうか…その…」  面目なさそうに泣き笑いしながら、児島は先ほどの姫木の顔を思い出し、前かがみの角度を深くする。 「まじで?お前、姫木さんのそういう顔みちゃったのか?」 「あ、いや俺無理に見たわけじゃないっすよ。俺が姫木さんの心配して行ったもんだから佐伯さんがドア開けてくれて、そしたら…壁に寄りかかって俺を見る姫木さんがなんかこう…んと、メチャ綺麗で…」  最後の方はちょっとうっとりが入って、児島は宙を見つめるような話し方になっていた。  姫木のそういった表情は、戸叶も目撃している。さすがにおっ勃てはしなかったが、ーあんな妖艶なのは女でもいないーと戸叶が言うのを聞いて佐藤は少し羨ましかったのに…後輩に先を越されてしまった。 「んだよちくしょっ、まいいや、さっさと車乗れ」 児島のお尻を軽く蹴ると、佐藤は運転席へ座りエンジンをかけた。  リビングのラグの上で、姫木は佐伯に重なって唇を合わせている。その姫木をしっかりと抱きとめて、佐伯もその唇を貪った。 「姫木さんな…あの人血に興奮するんだよ」  山手通りを南下しながら、佐藤はそう言って煙草を銜えた。 「血…ですか?」  佐藤にジッポで火を差し出しながら、児島が問う。 「そ、今日みてえなカチ込みン時によくなるんだ」  富ヶ谷の交差点は、平日だというのにこの時間混んでいて佐藤は舌を鳴らす。 『よくなる』というほどカチ込みが多いわけでもないが、何度かのこういった仕事の後の姫木の様子にはいつも、妖艶なものを少しは感じていたのだ。  喉が反って、汗が胸を伝う。  半身で佐伯を受け入れている姫木は、佐伯の上で佐伯の立てた膝に寄りかかり、体をより反らせて結合を深めた。 「今日は一段とキてるな…譲」  姫木を名で呼んで、腰を支えている両手を微妙に蠢かせ佐伯は笑う。  暴力団新法以降、佐伯たちも目立ったことが中々出来ないでいた。  抗争と言っても子供の喧嘩みたいなものだったし、今日ほどの斬りあいは久しぶりだったから、姫木もこういった命のやり取りで流れた血などは最高にクるらしい。  佐伯は姫木に膝を立たせて一旦抜くと、姫木を下に敷いて今度は強く攻めたて始めた。 「あの人達が何年つるんでるかなんて知らねえけどさ、姫木さんのアレは佐伯さんじゃねえとだめみてえなんだ」  女じゃだめなのかという児島の質問に答えた佐藤の答えだった。 「昔っからそうだとは思わねえけど、まあ二人見てっと変じゃねえしいいかなって」 「…っ…」  姫木の爪が、掴んでいる佐伯の腕に食い込んだ。  二人してイきつく最後の瞬間である。 「…ん…っ…あぁ」  反った背中をゆっくりと戻しながら、姫木が深いため息をついた。  佐伯の顎を伝った汗が姫木の鎖骨の窪みにおちて、姫木は目を開ける。 「惜しい」 「なんだよ」 「目ぇつぶってる譲見てたら、もう一回そのままイけそうだったのに」  入ったまま、まだ少し力を維持している自分を揺らして、姫木を軽く突き上げた。 「そんな立て続けにできるか」  佐伯を睨んで腕を突っぱねる姫木の腕を静かに払って、佐伯は姫木を抱きしめる。 「まだ足りないの、譲なんじゃねえのか?」  頬にキスしながら腰に手を這わせると、今度は逆に姫木がその手を掴んで強引に体を離して起き上がった。 「少し落ち着いた。シャワー浴びてくるから、続きはその後だ」  スペイン製だかイタリア製だかの、佐伯は多分騙されたと思っているラグの上に胡座をかいて、風呂場へ向かう姫木の後姿を見送る。 「こーゆー時は、結構かわいいんだよなぁ」  ナイフや刀などの刃物を振うのが大好き、という恐いやつなのだが、こういう特別なところを知っている自分に優越感を感じざるを得ない佐伯だった。 「俺らはあの人達を尊敬してんだ」  それは児島も同じである。 「だから、そういう時の姫木さんの顔ってのは。佐伯さんしか見られねえものなんだと俺は思ってたんだけど…それをお前が余計な事して・・・」  そう言いながら佐藤は、『そういや戸叶も見たんだった』と思い出し、自分だけ見ていない疎外感で憤懣やるかたない。  が、そういわれた児島は先ほどの姫木を思い出しゆっくりと前屈みになってゆく。そんな児島を目の端で見た佐藤は、 「そんなにいい顔だったのかよ?」  と、既に呆れ気味。  恵比寿もとっくに抜けて、目黒に差し掛かった辺りで佐藤は路肩に車を止める。  事務所はもうすぐだったが、そんな後輩をみて佐藤は少々不憫になった。ここなら駅も近い。 「お前女は?いるの?」 「いえ、いません」 「じゃ、今から風俗でも行って来い。今日はもういいから」  財布から5万円を出して、児島に握らせてやる。 「えっ!でもそんな」 「いいっていいって。ま、女で勃てばの話だけどな」  そう不穏なことを言って、佐藤は児島を車から追い出した。 「佐藤さん!それはっ」 「まあまあ、やってみればいいじゃんか。明日はちょっといいもん見られるから、ソレを楽しみにしてお姉ちゃんに可愛がってもらえ」 「ちょっと佐藤さんっ」  数メートルを追ったが、佐藤はそのまままっすぐに走り去ってしまう。児島は手の中の五万円を見つめて不安になった。  姫木さんのアノ顔を見てしまったらもう…駄目なのだろうか…。 「試してやるっ」  ぎゅっっと決意も新たに五万円を握りしめた児島は、鼻息も荒く五反田に向かうためまずは目黒駅を目指していった。  次ぐ日の午後2時ちょっと過ぎ。  牧島のところへ行く時間が4時ということで、姫木は定位置のソファに座って相変わらず耳にイヤホンを突っ込んで寝ているし、佐伯にいたってはここにいない。 「何が面白いことなんです?」  珍しく頼まれて姫木に紅茶を持っていった後、昨夜なんとか上手く欲求をはらせた児島は、窓際の椅子に座る佐藤に耳打ちをした。 「もうすぐ判る」  と答えたのは戸叶である。  戸叶は、昨夜戻って来た佐藤に話を聞いて笑い転げたものだった。  今朝も、児島の顔を見るなり吹き出して、小島を拗ねさせている。 「でも珍しいですよね。姫木さんがここで自分からお茶くれって言うの。いつもは人に勧められて無理矢理飲んでる感じですからね。間食はしないし、甘いもの嫌いだし」 「それがさあ」  佐藤が言いかけたとき、絶妙のタイミングで佐伯が 「ただいまぁ~」  と帰ってきた。 「おかえりなさいやしっ」  その場にいた、姫木を除いた全員が立ち上がって、佐伯へ頭を下げる。  会長や組長の存在しない双龍会において、この佐伯と姫木の存在は、ここにいる全員には絶対の存在なのである。  姫木はチラッと佐伯を確認して、すぐに雑誌へ目を落とした。  袋を二つ手にした佐伯は、大きな方を児島へ渡し、その中から板チョコを3枚抜き取ると、 「みんなで好きに食え。今日は結構もうかった」  うはうはな顔で微笑む佐伯は、煙草の入った袋をもって満足そうだ。スロットで暇つぶしが趣味の佐伯は、かなりの頻度でこうやって差し入れを持ってくる。  儲けが少ないときも、それなりに必ず土産を持ってくるのだ。世話になってるからなぁというのが本人の弁。 「すっげ~コレ全部いんすか?」  コンビニの袋を覗いて、児島がまだあどけない顔を佐伯に向けて破顔する。 「つまみとか菓子とか、なんか適当に貰ってきたから、分け合えよ?」  姫木の座るソファへ腰を下ろし、嬉しそうな児島に佐伯も満足そうだ。 「あ、佐伯さんのお茶入れますね」 「わりいな、コーヒーたのむわ」  そう児島に手を振った佐伯は、背もたれから肩越しに姫木へさっきの板チョコを渡す。  佐藤は、行きかける児島の腕を掴んで佐伯と姫木へと顎をしゃくる。 「へ?」  示されてる方向をみると、ソファに座る姫木の脇から佐伯が雑誌を覗きこんでる姿。 「あれが姫木さんの茶の原因だぜ」  何がだろう、とよくよく見ると、姫木が佐伯から渡されたチョコを丸齧りしているのだ。  いつも穏やか…というか物静かで、ものを食べる姿などは食事以外見たことない姫木が、モグモグとチョコを頬張っているのだ。 「うわ…なんかすげー光景…」 「な?おもしれーだろ。かわいんだよなーあれ。姫木さんて、俺らと大して年かわらねえんだよなぁ…。ああやってる姿みると、納得行くんだけど」 「え?佐藤さんていくつなんすか?」 「俺?19」 「戸叶さんは?」 「俺も19だよ」 「じゃ姫木さんは…」 「21.2じゃねえかな」 「俺と5個程度ちがうんだ・・・」  そんなやり取りを事務所の片隅でこそこそやってるところへ、佐伯が面白そうに近寄ってきた。 「なになに?何の話?」 「うわあっ!」  三人は立ち上がって、佐伯の前に並んだ。 「そんな驚かなくたって〜。なに楽しそうにこそこそしてんだよ」 ー俺にも教えろよぉーと擦り寄ってくる佐伯を見て、この人は、カチ込みの時とのギャップが大きすぎ(汗)くらいなことをこの三人は絶対に考えている。 「あ、姫木さんがチョコ食ってるの、俺初めてみたんで珍しいなあってお二人に話してたんすよ」  一番端に並んだ児島が、愛想笑いでそう告げる。 「ああ、姫木か。そうだなぁ、あいつカチ込んだとき一気にアドレナリン使っちまうから、体力消耗すんだろ」 「そっすよね。毎度姫木さんの粛清現場、見惚れます…。それなんで、それを児島に教えてたとこなんすよ」  佐藤がそう続けて、へらっと笑った。 「まあ…確かに、かち込んだ時の姫木(あいつ)はすげえよな。鬼みてえだし」  そう言いながら悪くない、と言った顔で薄く笑う佐伯のことも、この3人は好きだった。 「チョコ食ってるのさ、毎回面白えよな。普段すかしてやがるくせにさ」  もぐもぐと3枚目に手を出した姫木は、部屋の片隅で噂になっているのにも気づかず、膝の上の雑誌に目を落としている。  ずっとつるんでいる佐伯でさえそう思うのだから、他のものが可愛いと( そ    う)思ったって仕方がない。  自分の後輩たちも、よくみてるな、と思いながら姫木の傍に戻ろうとして、 「あ、そうだ」  と戸叶に振り返る。 「戸叶、牧島さんから連絡あったか?」   佐伯が去ってゆくのに、自分たちもやることやらなきゃ…と動き出した途端振り返られた戸叶は、体勢を崩しかけ近場の椅子の背もたれにしがみつく。 「あ、いえ、今日はまだ」 「そか、じゃあ予定通り3時にここ出るから、運転頼むな」 「判りました」  そう告げて、今度こそ佐伯は姫木の居るソファへと戻っていった。  佐伯も姫木も運転が出来ないわけではなかったが、双龍会の『佐伯と姫木』は良しにつけ悪しにつけ色々問題が多すぎる。  本当は自分たちで出歩きたいのだが、牧島が必ず最低一人はつれて歩けというので、運転を誰かに任せているのだ。  佐伯は姫木の隣にどっかり腰を下ろすと、リモコンでテレビを付ける。  この時間ではワイドショーくらいしかやってなく、芸能人の誰と誰が密会とか、別れたとかの画面を佐伯は見るともなしに見つめていた。  暫くすると、ただいま入ったニュースと称して、ニュース番組でよく見るキャスターが画面に映し出される。 『昨夜起こりました、暴力団事務所襲撃事件の続報が入りましたのでお伝えします。』  その言葉に佐伯は座りなおし、姫木も雑誌から顔を上げた。 『今朝からお伝えしております、高遠組系暴力団佐々木組襲撃事件を調べている豊島署の発表によりますと、本日午後12時25分頃豊島署に出頭してきた男を重要参考人として取り調べているということです。詳しいことは判っておりませんが、血の付いた日本刀と、拳銃を所持していたということで、襲撃犯と断定してほぼ間違いはないだろうということが当局の見解です。動機やその他についてはいまだ取調べ中ということで、はっきりしたことは判っていない模様です。繰り返します、昨夜…』 「牧島さんか」  姫木がボソッと呟く。 「だろうな。しかし仕事速いな、あの刀と銃って…」 「俺が昨夜のうちに、牧島さん所へ届けておきました」  後に立っていた戸叶が、腰を折って佐伯へ告げた。  刀はいずれにしろ銃は佐伯の個人所有のものだったので、その辺の適当なものを綿に包んで一度発砲して硝煙反応をつけてから持っていったと説明する。 「そうだったのか。おつかれさん」  右手を上げて、戸叶の腕をポンポンと叩く。  銃に関しては、よくよく調べれば弾丸の種類や銃痕が全く違うだろうが、容疑者が出頭さえしてくれば警察はそこで仕事は終わり、と片付けてしまうからそこを追求されることはないだろう。あったところで揉み消すだけなのだが。  テレビでは、犯人が確定してないということでまだ名前は出ないが、出頭したのは高遠本家の若い者に違いない。   昔は服役がハクになったりしたものだから、組で中間の人間が肩書きを目的にはいったりしたが、今ではそういうことがハクにならない時代だ。  だから服役するのも、大抵が下っ端の組員が入ることが多い。 「こりゃあ、早めに出向いて牧島さんに礼いわねえとだな」  ちょうどコーヒーを持って現れた児島からコーヒーを受け取った佐伯は 「少し時間を早めますか?」  の戸叶の問いに、『そうだなぁ』と、コーヒーを口にしながら隣の姫木の足を軽く蹴る。 「俺はかまわねえけど」  時計を見ると、ちょうど二時半。 「おし、じゃあ準備でき次第出るぞ。児島車回しとけ。戸叶ちょっと」  児島は、いいつけられて速攻事務所を飛び出し、佐伯はカップを置いて、戸叶を呼びつけ事務所の奥へ行く。佐藤は姫木と佐伯のコートを取りに入り口へ走り、他の者も二人の外出に、それぞれ立ち上がった。 「早かったな」  本家の客間に通された二人は、牧島の登場に正座の向きを変えて頭を下げた。 「今度の一件では、大変お世話になりまして…」  頭を下げたままの二人に顔を上げさせ、牧島は正面に腰を下ろす。 「お前らも随分と早く行動を起こしたもんだな」  『覇』と見事な筆で書かれた額が飾られた床の間を背に、牧島が笑った。  その床の間には豪華に飾られた生け花もあり、その中の花がいい香りで部屋を満たしている。 「まさかあの日のうちにカチ込むとは、俺も予想つかなかったぜ」 「早いほうがいいと思いましてね、佐々木のほうに準備期間やっちまうと面倒でしたから」  そう言いながら佐伯は、牧島へ厚みのある封筒を差し出した。  中身は勿論金である。戸叶を呼びつけたときに用意させたものだった。 「少ないですが、今回の礼金ということで収めてやってください。大事な組の若い者を俺らのために出して戴きまして、本当に申し訳ありませんでした」  100万ほど入っている封筒を目にした牧島は、その封筒を佐伯へと押し戻した。 「コレはいらねえよ。今回の件は、組のためにしたことだ。お前ら都合の喧嘩じゃねえだろ、しまえよ。それより話があるんだ」  しまえと言われて、はい、それではというわけにも行かず、佐伯は封筒をそのまま牧島の話に耳を傾ける。 「なんでしょう」 「今度オヤジに会ってみねえか」 「牧島さん、それは…」  姫木も驚いて牧島を見た。  会うということは、直々に一つの部屋で相対して、ということだ。高遠の組長を見たことが無いわけではないか、それはかなり恐れ多いことである。 「それでな、双龍会を俺の直轄にして、お前らに舎弟頭の肩書きやろうと思ってるんだが、どうだ」  本家の最高幹部に位置している牧島の真下に付くということは、そのまま双龍会が高遠直系の中でも上位の組になることを意味している。だから、どうだと急に言われても…。  あまりな話に、二人は黙ってしまう。  牧島の下に付くのは全くかまわない。むしろ歓迎すべきことではあるが、二人は『肩書き』というものがいやなのだ。 「暫く、考えさせてもらっていいですか」  佐伯の申し出に、牧島の眉があがる。 「こんないい話に、何を考えるっていうんだ」  最初に組に現れたときから、何か違った空気をしている二人だとは思ったが、ここまで欲のないやつらとは…と牧島は内心で呆れるやら感心するやらだった。 「ま、肩書きの件はいずれにしてもだ、オヤジには会うんだな。今回の件はオヤジもお前らに感謝してるってよ。会うだけでも会ってやってくれ」  殆どお願いのような雰囲気に、二人も首を縦に振らざるを得ない。組長が退院してから一緒に食事の席を設けるということを約束して、その日二人は本家を後にした。 その一ヵ月後。  双龍会は会長に牧島を据えて、高遠で一番の立場を持つ下部組織となった。  一番とは言っても、やはり会の性格上特効専門なので、組というよりは牧島の元に集まった集団といった色の濃いところである。  肩書きの件は、結局断った。偉くなりたくてこの道に入ったわけじゃ無い。一番性に合ってるからここにいるだけだ。  しかし今回高遠組組長から認められた二人は、今でこそこの世界の人間に名前しか知られていないが、二人の存在感をありありと見せつけ、それをこの世界全体へ知らしめる事件が起こることなどは、今の時点で知る由もないことであった。

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