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十六夜 p3

 そんなわけで、ぼくは新宿のオネエバーにいる。  うん。だから確認するべきだったんだよ。あのときの直感に間違いはなかった。  二丁目のドンピシャかは分からないけれど、おそらくその周辺であることには間違いない。  夏の夕暮れ時。傾いた太陽の熾烈な日差しとは別の、ただならぬ熱気に装われたこの繁華街は文字通り饗乱の体を帯び始めていた。この店に来るまでも、何人かの客寄せにしつこく声をかけられた。  ともかくオネエバー、だ。  オネエバー・愉快。  うん。だって扉にそう書いてあるのだもの。  ああ。いよいよぼくもこの世界に一歩踏み入れるのかしらん。妙にしんみりした気分になる。  確かに男を好きになっちゃったときから無縁ではないかもと心のどこかで思ってはいたけど、実際こうやって来てみるとなかなかに感慨深いものがある。  オネエバー・愉快は、いかにも新宿二丁目といった物見客で賑わっている感じの派手な店じゃない。ドアは黒いシックな木製。ごく小さめの雑居ビルの中にあって、知る人ぞ知る系のこじんまりした店のようだった。  未成年が入って大丈夫なのだろうかという心配もおこったけれど、正面には「CLOSED」のプレートが掛けられている。もしや開店前をお邪魔するのだろうか。だとしたらかなりご迷惑な話だろう。 「はぁい、いらっしゃーい。ひっさしぶりぃ、やっちゃん!」  入り口すぐから始まっているカウンターから豪快に挨拶された。  派手な化粧と黒の和装に包まれたその人は、目の覚めるような金髪を頭のてっぺんで団子にまとめ、魂が抜かれてしまうんじゃないかと思われるくらいインパクトのある巨体だった。ぼくをまじまじと見おろす。 「ほう、このちぃちぇえのが電話で言っていた問題のぼうや? 見るからにネコだけど、ウチに売り飛ばしにきたっての? いよいよ看護婦クビになって、女衒にでもなったってぇの?」  おっと。しょっぱなから期待にたがわない勢いでくる。 「もう、相変わらず口が悪いわね、ママは。ちゃんと看護婦してるわよ」  ピンクが唇を尖らせて言い返す。いや、この人にはちゃんと河野という名前がある。河野やよいさん、だ。 「佳樹君、この三奈ママも以前、ウチの病院に入院してたのよ」  なるほど。そういう知り合いか。  確かにこの人だったらぼくの悩みも難なく聞いてくれそうだけども、なにぶん玄人過ぎて腰が引けてしかたない。 「よ…ろしく、お願いします」  ぺこんと頭をさげると「あいよ」と慣れた感じの返事が来る。 「いやだぁ、この子かーわーいーいー」  やよいさんの後ろに体半分隠す形でどぎまぎとしていると、ロングの茶髪を長く垂らした背の高いオネエ様が奥から出てきて、近付いてきた。  ボディコンシャスな赤いミニスカートのワンピースを纏っているけど、この誇張された胸は本物だろうか。あまりに馴染みのない視界に頭がくらくらして、身がさらに硬直する。長い付け爪を真っ赤にした両手でぼくの頬を包むと、ぐっと上に向かせて、顔を近づけてきた。口と口の間が三センチになる。 「もお。ヨダレ出そ」  突然、低い男の声になる。 「やあだぁ、目ぇ丸くしてるー! かーわーいーいー」  また女性の声になってハートマークがいくつも付いているような言いかたをする。  ううっ。どう対処したらいいか分からない。家に置いてきたタカハシに助けを呼びたくなる。 「食うんじゃないよ、マキ。今日はこの坊やの相談を受けるために早く来たんでしょが」  えっ。そうなのか。  ぼくのしょうもない相談のためにご迷惑をかけているのも申し訳なかったし、ただで帰してくれるのだろうかとの不安も過った。  勧められたカウンター席にやよいさんと並んで腰をおろした。  十席ほどのカウンターには大ぶりの高価そうな白い胡蝶蘭があり、その手前にはたくさんの酒瓶が所狭しと並んでいる。黒を基調にしたシックな内装で、席はこのカウンターと背後に大きなテーブル席が三つあるだけ。せいぜい三十人も入れば満員になるだろう。 「そんなに怯えなくていいから」  緊張して顔を強張らせていると、三奈ママが「グレープフルーツジュースだよ」とグラスを差し出してくれる。お礼を言ってから口をつけようとしたものの、この一杯はいくらだろうと思ってためらってしまった。見かねたように「おごり」と付け足してくれる。  どうせ今回はこの方々の厚意を多かれ少なかれ頂くことになるのだからと、これもありがたく頂戴する。  マキさんがぼくの隣りに腰掛けてきた。えもいわれぬ情熱的な視線にうろたえてしまう。 「ほーんとカワユイねぇ。女優の誰かに似てない、ママ? ああーっ、こういうの見てると、むしょうに化粧したくなる! ねえ、させてさせて! きっとさいっこーにいいオンナになるってっっ」  最後は歌うみたいになって絶叫している。こういうノリってテレビの中のオカマさんだけだと思っていたけれど、この世界じゃ普通にあるものなのだな。 「マキさん。この子にはラブラブの彼氏がいるんだから、勝手なことしちゃだめよ。あたしが恨まれちゃう」  やよいさんがけっこう本気で窘める。それでマキさんが不貞腐れた。 「あーあー。つまんねえ。ガキのくせに彼氏とかって、クソ生意気なんだよ」  気を悪くさせたようで、ぼくはいっそう身を縮めた。 「まあ、こんだけ可愛いツラしてりゃあね。そんでも最近じゃスケベがご無沙汰だってんだから分からないもんだね」 「ただの倦怠期なんじゃないの? だいたいアタシなんか、一回ポッキリでハイさよなら、だって別に珍しくないよ。付き合うとかって羨ましすぎ」 「アンタの場合はガツガツしすぎて男のナニがもたずに萎えちまうんだよ」 「え~だって、そのナニが好物なんだからしょうがないでしょお?」  怒涛のような会話が進む。さすがに本気でクラクラしてきたぞ、うん。 「で? スケベは何回したのさ?」  三奈ママからのストレートフックにのけぞった。

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