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光の雫 p13
意外な場所で降ろされた。あの高級マンションとは関係のない、寂れた住宅地の一角。
ほんの数歩先には申しわけ程度の畑があって、いくつかに割って貸しだされているのか、狭いそれぞれの区画にはさまざまな種類の野菜が少しずつ植えられている。
その畑を横目に歩道を進み、古そうな軽量鉄骨造りらしき三階建ての白茶けたアパートの外階段を、悟さんはこつこつとのぼりはじめた。
ぼくはおとなしく後についた。
ああ、あのときもそうだったっけ、と思い出す。二年前の初夏の日、彼の職場でぼくはまるでリードがついているみたいにその後についていって、過酷な鞭打ち強姦をされたのだ。
今日、ぼくはここで殺されるのだろう。
なぜかしっくりと予想がついたし、覚悟もできていた。あまり怖くなかった。
二年前にそうなるはずだったのだ。それがいまになっただけ。二年間も宗太と幸せに暮らせたのだからラッキーだった。
多分、ここには鍵のあいた空き部屋があって、それを悟さんはあらかじめ調べていて、そこでぼくは悟さんに最後の強姦をされ、殺されるのだ。まさか、このみすぼらしい古いアパートの一室が自分の死に場所になるとは思いもよらなかった。
武骨な鉄製のドアの鍵を悟さんが開けた。ネームプレートに「宮代」と書かれた厚紙があるのを目にして、ぼくは息をつめて驚く。
「入れ」
まるで目にしているものが信じられない。ここが悟さんの住まいだというのか?
開かれたドアの前で脚をすくませていると、強く背中を押され、それだけで氷嚢を当てられたような冷たい怯えが背筋を貫く。
いずれにしろ、ここが空き部屋であれ悟さんの住まいであれ、入ったら出てこられないのは変わりないと思った。ぼくはこわごわと中へ足を踏み入れた。
ドアの横には台所があり、奥のふすまとの間に、マンションでも使っていたダイニングテーブルが窮屈そうに置かれていた。
ふすまは開いていて、「奥に行け」という悟さんに命じられるまま六畳の和室に入った。
暮れかけた夕陽が窓から真横に差し込んでいる。窓にはカーテンもない。
中央に置かれたローテーブルと、片隅のベッド、パソコン一式で、この部屋はいっぱいだった。畳も壁も薄汚れていていかにも使い古されている。
新築高層マンションの上層階に住み、ベンツを乗り回していた悟さんが、まさかこんな質素な生活をしているとは予想もしていなかったので、ぼくは呆然と立ちつくしてしまう。
「こんな部屋は、びっくりするか」
ぼくの思考を読み取ったみたいに自嘲する。どう答えたらいいか分からずに悟さんの顔を見あげれば、口の端でにやりと笑い、目を眇めてぼくを睥睨している。
――てめえのせいだぞ…。
薄い色のその眼に責めているようで、ぼくは居竦んだ。実際、その口からは、
「お前のせいで仕事をクビになったんだ」
そんな声が続いた。
やはりそうだったのか。ぼくは項垂れた。
世話になっていた悟さんのマンションを抜け出し、あろうことか警察にチクって悟さんを罪人としてつきだした「ぼく」のせいで。彼の人生はいっそうめちゃくちゃになったのだ。
だからぼくは、悟さんから憎まれ、殺されてもしかたがない。生きたいという願望に対する諦念を、ここでまた一段と深めた。
悟さんが小さく笑い声をたてる。
「でもな。こんなところにシケこんでんのは、それだけが理由じゃねえよ。ちょっとした、な。愉しみっていうか…、趣味が、できたんだ。いや……ちがうな。趣味じゃねえ。もう、生甲斐とでも言うべきか」
生甲斐。
突然出てきたポジティブな単語は、悟さんには不釣り合いに感じられた。ぼくの中での悟さんといえば、なにかと狂気じみた、暗澹とした印象があったから。
「そいつにカネがかかるんだ」
弾んだ声になる。なんとなく嬉々とした表情に見えるのは、気のせいだろうか。いったいどういう生甲斐を見つけたというのだろう。
「まあ、座れ」
すぐに殺される感じではなさそうだと少しばかり緊張を解いて、ローテーブルの横に腰をおろした。
一方悟さんは押入れをごそごそしだして、段ボールだらけの場所からなにかを取りだす動作をする。
ぼくはそんな悟さんの横顔や全身をちらちらと傍目に見ながら、悟さんがずいぶん痩せてしまったことにあらためて驚いていた。
目は窪み、頬はこけ、もともと外人のように高い鼻梁は細く軟骨まで浮きあがって不気味にすら見える。灰色のポロシャツにアイボリーのチノパンというくすんだ色の組み合わせの地味な服装にも、派手に暮らしていた過去の面影はない。服の下の肉体の細さも、だぼつく布から察することができた。二年前の悟さんといえば、それこそボクサーのように精悍な体つきをしていたのに。
まもなく、クッキーが入っていたと思われる四角い缶の箱を手に、悟さんが胡坐で座る。
テーブルへと神経質な手つきで大事そうに置くのを見て、なんとなく、悟さんはこれをぼくに見せたくて誘拐したのではないかと思えてきた。
「中身、なんだか分かるか」
こう問うからには、缶の蓋に写真として印刷されているクッキーではないのだろう。
見当もつかないまま、小さく首を振った。
「分かるわけねえか」
それも当然とばかりに喉を鳴らして、悟さんが蓋を開ける。
中身を見て、ぼくは息を呑んだ。
「――――!」
大小さまざまな形をした、大量の真っ赤なドロップ。
そう見えたのは一瞬で、すぐに、たった一種類だけの宝石の集まりだと理解した。
美しい深紅色の石は、指輪やネックレスといったジュエリーになっているものもあれば、見事な球体やハート形までした単体のものも多い。米粒みたいな大きさから、それこそサクマドロップの大きさまであり、百や二百ではない、数えきれない量だった。
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