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腕いっぱいの花束に、胸いっぱいの恋歌を p44
「趣味で曲、作ってんだよ」
「へえ! お前、作曲できるの」
素っ頓狂な声をあげられてぼくは焦った。
「いや、あんた。そこまで驚くほどのものじゃないよ」
幼いころ音楽教室に通っていたぼくは、小学生になるとそこそこ上位のクラスに入れられて、レッスンの一環で作曲も習ったのだ。
ぜんぜん楽しくなくて嫌々やっていたし、中学入学時に、高校受験のための勉強に専念せよとやめさせられたときには、万歳三唱したくらいだった。
でも、今になってそれが活きているのだから、お母さんには感謝しなくてはならない。
歌詞を書いて曲をつけてゆくというこの作業を、ぼくはかなり楽しんでいる。音によって言葉を彩色してゆく作業は、ぼくのささくれだった精神を少なからず穏やかにしてくれていた。
もともとは宗太のいない寂しさを紛らわそうと始めたことだった。夢中になれるものを見つけて、ぼくは自分で自分を愉しませられるよう、成長しなくてはならないからだ。
ぼくには、これまで趣味というものがなかった。あえていえば勉強だったけれど、それでもなんとなく、宗太との恋愛以外の物事に対してドライに生きてきた。それを変えたいと切実に感じてのことだった。
このまま宗太におんぶに抱っこの状態では、いつまでたってもぼくは自立できない。宗太にも負担をかけてしまうだろう。これからも離れ離れに過ごさなくてはならないときはあるのだから、ぼくはもっと自分の気持ちを統制できないといけない。
「見せてもらってもいいか」
「楽譜からメロディ起こせる?」
「まかせろ。そういうの得意だ」
手渡した楽譜を三上さんは神妙な表情で眺めていた。なんだか検閲でも受けている気分だ。
「たいしたことないでしょ」
「そんなことない。綺麗な、美しいバラードだよ。ジャンルはポップス? ありがと、大事なものを」
丁寧な手つきで返す。
「発表する場はあるのか」
「まさか。あんたたちとは違うよ」
軽音部で定期的にライブを行う彼らとは、ぼくはスタンスが異なる。
「完全に自己満。練習くらいは、してみようと思っているけど」
ピアノは宗太の家にある。調律してあるからいつでも弾いていいと言われていた。
「頼む」
手をテーブルについた三上さんが、突然、頭をさげる。番組の終わりにアナウンサーが深くお辞儀するやつだった。ぼくは思わぬことにぎょっとして、十センチくらい体がのけぞった。
「何よ…」
「それ、一緒に演奏させてくれ」
いきなりのことにうろたえたぼくは疑問の声も発せなかった。
「それ、すごくいい。バンドで使いたい。メンツ用意するから、お前、キーボードとヴォーカル、やってくれ」
懇願に近かった。ぼくは口をあぐあぐさせた。
「冗談じゃねえ…」
いやいや、と三上さんが首を振る。
「真面目に言ってる」
「そういう問題じゃない。バンドとか、ぜったい、ぼく無理。グループであれこれとか、超苦手。見て分かるだろ?」
ぼくのことを良く理解している三上さんは、心底、無念そうな顔をする。それからものすごく譲歩した口調で続けた。
「じゃあ、俺とだけでいい」
「はあ?」
今度こそ、ぼくの口から奇声が出た。
「ピアノを弾くつもりなんだろ? 俺がドラムをつける。二人で演奏しよう。俺だけだから、お前が気兼ねする必要もない」
「そういう問題じゃ、ないってば」
気兼ねなんか、もとからしてない。ただ、想像するだけでいろいろと面倒くさそうだ。
「頼む。その曲に惚れた」
パスタの乗っていた皿に、額がつくほど頭をさげる。いやはやと、ぼくはまいりにまいった。
それよりももっと困ったことには、正直にいえばぼくは、三上さんのドラムが好きだった。いってみれば彼のファンなのだ。三上さんは人間のいろんな感情をドラムスで表現できる。彼の隠し持った繊細な何かがスティックの先から滲み出てくるのだ。
激しいロックもいいけれど、バラードは絶品だった。心が痺れるような、ぴんと張った膜の上で優しく叩いたスティックの先がかすかに余韻を残して鳴くさまに、琴線を弾かれる。
「いいけど、でもあんまり根はつめたくない。マイペースにできる範囲でなら…」
「やった…!」
三上さんのドラムの魅力に負けた、といってよかった。ぼくはしぶしぶながら了承してしまっていた。
「サンキュー、宮代」
三上さんが花の綻んだ顔になる。
「もちろん、無理はしなくていい。部室の開いている時間、チェックして連絡するから。お互いに都合のいいときに合わせよう」
「仕方ないな…」
クリスマスのミニライブにも参加できるかもしれないなどと喜々として話すから、その件は保留させてもらった。
「そういえば、クリスマスイブに田中の部屋で晩飯を食おうって、高橋から誘われたぞ」
「うん、ぼくのアイデアだよ。来れる?」
「デートの予定もない惨めなボッチなんで」
肩を縮ませ、首を竦めて悲惨な表情をつくる。
「あらあら」
慰めのまじった口調で軽く答えた。
宗太から「一緒に夕食を食おう」というメールが入る。ぼくはオーケーの返事を即打ちした。唯輔も一緒だろうけれど、今は我慢の為所《しどころ》だ。
(いつまで続くのか)
そう思うのは、やめにする。
宗太たちのところに向かおうと、ぼくは片付けを始めた。外に出ると十二月間近の、世間じゃクリスマスシーズンに差し掛かった晩秋の夜だった。
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