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腕いっぱいの花束に、胸いっぱいの恋歌を p49

   ***  日が暮れて、刻々と紺色に染まる大気をさらに夜闇が包もうとしている時間は、ぼくをちょっと物悲しい気分にさせる。  体育館わきのベンチに向かうと唯輔がいた。ベンチの上で膝を抱え、俯き気味に座っている。  グレーのジーンズに、黒の洒落たボア付きジャケットを羽織り、見事なプラチナの髪が人目を引いている。こう見ると普通にかっこいい男だ。ぼくに気付いて人懐こく笑顔を向けてくる。ぼくは片手をあげて挨拶をした。 「宗太?」  唯輔が口を開く。宗太に用?という意味だ。 「うん。元気かなと思って」  今日の昼休みは難しい課題の提出間際だったので、宗太に会えなかった。寂しくて水泳部まで会いにきてしまったのだった。唯輔がしみじみといった感じで続ける。 「仲がいいな…。似たような境遇なのに、同じ兄弟でも俺んとことはだいぶ違う」 「あんた、兄弟いるんだ?」 「うん」  ぼくは、ほんの少し意地悪な気分になった。もともとが、最近のぼくは機嫌が悪い。それもこれも唯輔が宗太を好きだと知ってしまったからだった。 「ちょっと訊いていいかな? あんた、なんで一人だと眠れないの」  思わず喉からすり抜けた質問だったが、ぼくの言い方には隠しきれない棘があったろう。  唯輔は呆気にとられたようにぼくを見つめ、戸惑いがちに目を白黒させる。ぼくは急に反省して、取り繕うように続けた。 「いや。宗太があんたんとこに泊まる理由ね、詳しくは話してくれなくて。でも、家族としてぼくも聞く権利があるだろ? ま、ぼくに話すのは嫌だってんなら、話さなくていいけどさ」  なんでここまでむきになって唯輔のつらいところを聞き出そうとしているのだろうと、最後のほうは自分でも嫌気がさしてきて、少々やけっぱちな気分で言葉を切った。 苛立ち紛れにベンチの背へと乱暴に凭れてみる。そもそも宗太がぼくに伝えないくらいなのだから、そんな事情は、ぼくは知らないほうがいいのだ。  唯輔がコンクリにことんと視線を落とす。寂しげに見えるのは気のせいだろうか。 「どこから話せばいいのかな」 「だから。嫌なら話さなくていいよ」 「家庭の事情というやつなんだ」  弱々しい声に「ああ」とぼくは愛想なく相槌を打った。 「ぼくも、相当ひどい家庭環境だった」 「そうなの?」  視線をよこして唯輔が訊く。 「もう、最悪」 「そう言われると逆に気が楽になるな。義理の兄が、俺のこと、大嫌いでさ。憎くて仕方ないみたい」  そんな独白に、ぼくのほうが少し面食らう。こんなにおっとりした唯輔を嫌う人間なんて、そういないと思うのだが。 「兄は母の連れ子なんだけど、ことあるごとに死ねとか出ていけとか、俺に言ってたんだ。兄は小さい頃から優等生でさ、いい学校にも通っていて。母はそんな彼を溺愛してて。逆に俺は頭悪くて。俺のせいで、彼の気性が荒くなったって、お父さんに泣き尽くんだ。再婚前は優しい子だったのにって」  なかなか闇深い家族だなと、ぼくは察した。  それからの話はもっとひどかった。唯輔の継母は夜中に唯輔の部屋に入っては、寝ている唯輔の首に手をかけるのだという。  本気で殺そうとしてるわけじゃない。けれど充分苦しいくらいには、彼女の力は強かった。しかも本人は覚えていないと言い張るのだから手に負えない。嘘に決まっているとぼくは思った。 「部屋に鍵をとりつけたんだけど、今度はガチャガチャガチャガチャ、ドアを鳴らされてさ。俺、気がおかしくなって…。見かねたお父さんが、アパートを借りてくれたんだ。でも、もう一人では寝られなくなってた。限界が来るとどこかにふらっと出かけて、ぱたりと倒れてしまうんだ。ほとんど無意識でね。周りが騒いで、パトカーとか救急車とか来たりして。そのたびにアパートを追い出されて。たくさんの人に迷惑をかけてきた。それで今に至ってる」  さすがに予想外の悲惨な状況に、ぼくは衝撃を受けた。 「そりゃ、つらかったな。あんた…」 「三上ってやつと宗太が部屋まで送ってくれたとき、あったろ?」  ぼくは無言で頷いた。忘れもしない。それは宗太が唯輔の部屋で暮らすと決めた日だった。唯輔のアパートから帰ってきた宗太は、ぼくの部屋にやってきてそう告げたのだ。  あの夜、唯輔が目覚めたときにはもう三上さんはいなくて、宗太と唯輔のお父さんの二人がいたという。うちの大学職員が、唯輔の倒れている間に家族に連絡してしまったのだ。 「さすがに父も困り果てて、あの時、伝手があるから入院しろって言われた。でも俺は嫌だった。父の借りてくれるあの部屋に住むことだけが俺と父とを繋ぎとめてくれている、たった一つの絆なんだ。もう俺には父しかいない。だからあの時、泣きながら宗太に頼んだんだ。しばらく一緒に暮らしてくれないかって。治るように頑張るから、それまでどうかお願いだと、泣きついたんだ」  頑張って治るようなものなのかという正論は、この際なんの役にも立たない。  宗太が放っておけないはずだ。唯輔がこんなにつらい事情を抱えているのを知った彼は、深く同情して、なんとかして助けたかったのだろう。 「俺の面倒な頼みを、宗太は嫌な顔一つせずに受け入れてくれたよ」  そうだ。宗太はそういう人だ。 「宗太は、やさしいから」 「うん。ほんとに」 「あんた、宗太を好きでしょ」  ぼくの突然の質問に、唯輔がついと顔をあげた。驚いた顔でぼくを見つめる。 「うん」  その返答は無垢すぎて、ぼくは絶望のどん底に落ちた。  こんな美形、恋のライバルにするには荷が重い。しかも、唯輔は宗太の初恋の相手なのだ。

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