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腕いっぱいの花束に、胸いっぱいの恋歌を p50
唯輔が静かに続ける。
「一度だけ兄に、なんで俺が嫌いなのかって訊いたことがある。見た目が気持ち悪いんだって言ったよ」
「そんな」
怒りが全身を貫いた。
「人を嫌いになるのなんて、それだけで充分みたいね。母の場合はもしかしたら、俺が父の連れ子ってのもあったのかもしれないけれど。俺は見た目もなにも、実母の血が濃いから」
ぼくは武者震いを止められなかった。
「許せねえな」
「何が?」
「そりゃ、あんたの兄とママハハを、だよ」
「まあね…」
弱々しく苦笑する。
唯輔だって、なぜ自分ばかりがこんな目に遭うのかと怒りを感じないわけではないだろう。でも被害も繰り返されれば感覚は変わる。悪いのは自分だと思えてくる。
こうされても仕方ないのだと。
こんなことをされている自分悪いのだと。
そう諦めなければ生きているのがつらいからだ。その感覚はぼく自身、悟さんとの経験でいやというほど味わった。
ベンチの上で唯輔がさらに身を小さくしてうずくまる。顔だけをぼくに向けて、クスっと喉を鳴らした。
「最近読んだ童話でね、こんなのがあった」
話題が変わってうろたえたけれど、ぼくはまばたきして続きを促した。
「ある国にとても美しいお姫様がいたんだ。それがとんでもなく虫嫌いのお姫様でね。どんなに小さな虫を見つけても、下僕に頼んで殺させる。特に蜘蛛には容赦がなかった。大嫌いだったんだ。ある日、一匹の蜘蛛がお姫様に恋をしてしまうんだ。蜘蛛たちの国ではさ、もうお姫様はすっかり有名で、あのお姫様に見つかれば殺されるからけして姿を見せるなというお触れさえあった。なのに、その蜘蛛は美しいお姫様の姿が見たいばかりに、うっかり姿を見せてしまったんだ。もちろん、見つけたお姫様はすぐに下僕に言いつけてその蜘蛛を殺させたよ」
「ひでえお姫様だ」
ぼくはぷんぷんした。
「そう? でも、俺は考えたよ。この物語の中で悪いのは、いったい誰なんだろう。殺せと命じたお姫様? それとも、実際に蜘蛛を手にかけた下僕? それとも、嫌われると知っていて、お姫様の前に姿を見せてしまった、蜘蛛?」
その顔をぼくはじっと見つめた。ぼくを試すかのように唯輔もぼくを見て、口角をあげる。
「宮代、どう思う?」
どうって、言われても。
法律的なことを訊かれていないのは確かだろう。誰でも虫くらい殺すよという世間一般の常識を訊ねられているわけでもない。
明らかに、ここでの「蜘蛛」は「唯輔」で、「お姫様」は「唯輔の兄」で、「下僕」は「継母」だ。この関係性について、どう感じるかを訊ねられているのだ。
「殺せと命じたお姫様だろ」
どんなことがあっても殺すことは許されない。そんな当たり前のこと、ぼくにだって理解できる。
殺人に「やっていい理由」なんてものは存在しない。
(だから――――)
ここで、ぼくははたと気付く。
ああ、そうだ。だからぼくは。
だからこそ、ぼくは、ずっと苦しんできた。
あの事件では、「蜘蛛」である「お父さん」を殺した「お母さん」は「お姫様」であり「下僕」だった。お母さんはけして許される立場ではなかった。だからこそ、お母さんは刑務所に入れられ、今なお、断罪され続けている。そしてその血を受け継いだぼくは、叔父である悟さんから容赦ない仕打ちを受けていた。
唯輔が弱々しく首を振る。
「そうかな。俺には、どうしてもそうは思えない。もちろんお姫様は悪い。下僕だって冷酷だ。でも、蜘蛛だって悪いとは思わないか? いくらお姫様が好きだからって、自らが嫌われていると知っていて、どうしてのこのこと出向いたりするんだ。嫌われているなら嫌われているものらしく、我慢して隠れていればいい。だから悪いのは三人だよ。みんなが少しずつ悪くて、みんなが少しずつ馬鹿で、みんなが少しずつ弱かった。俺は、そう思う」
ぼくは、穴が開いてしまうのではないかと思うくらいに唯輔の顔を見つめていた。
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