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第14話 月のない夜の闇へ

「次の新月、一晩留守にするよ」  何でもないことのようにミソラが告げた内容に、蘇芳は一瞬きょとんとした。  蘇芳はミソラと並んで縁側に座り、次第に秋も深まって美しく澄んだ夜空の三日月を見上げていた。  振り返って微笑むミソラは、月光を背負ってこの世のものと思えぬ美しさだ。 「お前を連れて行きたいのは、山々なんだけれどね」  ミソラは悪戯っぽく言ってくれたけれど、どこに行くにしたって半端者の自分を連れていけないことくらい、蘇芳にも分かっていた。 「どちらへ、お出かけになるのですか」  聞いていいのか分からなかったが、何か言わなければいけない気がして、蘇芳はやっとのことで言葉を紡いだ。  ミソラが晩に屋敷を空けるのは、蘇芳が来てから初めてのことだ。  蘇芳の問いに、ミソラは再び月を見上げて言った。 「私と同じように、土地を治める役割を負うものたちの集まりがある。心配いらないよ、ここにはわたしとお前以外は入れないようになっている」  蘇芳が不安に思わないようにと言ってくれたのだろうが、蘇芳には不安よりも緊張が優っていた。  ごくり、と唾を飲み込んだのは、気づかれていなかっただろうか。  ——そこしか、ない。  唐突な思いつきに、気が昂る。それを悟られないよう、蘇芳はそっと息を整えた。  心の準備なんかできていない。けれど、この機はぐずぐずと落ち込むばかりで何もできていない自分に進むべき道を示しているような気がしていた。  しかし、新月の晩までの数日間、蘇芳はずっと決めかねていた。その瞬間は今までにない出来事に気持ちが高揚したものの、次第に自分の思いつきはあまりに大胆不遜で、恐ろしいような気もしていたのだ。  新月の晩が、とうとう明日に迫った。  蘇芳はいつまでたっても目が冴えて、布団の上掛けを握り締めながら、考えていた。  ——明日の夕方から、ミソラさまはお出かけになる。家にいろとは、言われなかった。  この屋敷の中にはミソラと蘇芳以外は入れないようになっているなら、夜寝ている間に襲われたりする心配はないし、屋敷の中にいる間は気を張っていなくてもよいということなのだろう。  けれど、外に出るなとまでは言われていない。考えがまとまらなくて、浅い呼吸を繰り返す。  自分で、決めなくてはならなかった。  そして迎えた新月の晩。  月のない、真っ暗な夜。星の光が、いつもよりはっきりと見える。  夕日が山の向こうに沈む頃、蘇芳はミソラを見送った。  やがて空が藍色に覆われ、静かに夜の帷が降りる。虫たちの合唱が響く中、蘇芳はあたりがすっかり暗くなるのを落ち着かない気持ちで待っていた。  ——今日しかない。やるなら、今、……  飛び出した先に何も当てがあるわけでもなく、ただ、明日も明後日もその先もここにいることを思った時、ここから逃げ出したい、という衝動に駆られた。  生きる、ということ。それは、ここではただ守られ、綿に包まれるように全てから遠ざけられて、ミソラの元でこの命を全うするということだ。そこに自分が自分でいることの必要も、意味もない。  自分が何者であるかも全てが曖昧なまま、永遠の子どものようにいることに、蘇芳は耐えられなかった。  僅かな着物、持ち運べるだけの食べ物を膝掛けがわりに与えられていた織物に包んで背負うと、蘇芳は一人、屋敷を抜け出し夜の闇に溶けていった。

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