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第16話 町での暮らし

 もう十五にもなっていれば、村ならば何かしらの仕事をするのが当然となる。まして身寄りのない蘇芳だ。人の里に出たはいいけれど、早いうちに住む場所と働き口を確保しなければならなかった。  特別薬師になりたいとはっきり思っていたわけではない。ただ、十から十五までをミソラの元で過ごした蘇芳には、読み書きやそろばんはあまり得意とは言えず、人より優れていそうなものといえば両親に褒められた嗅覚くらいのものだった。懐かしい匂いに惹かれて足がふらりと引き寄せられた、それがたまたま薬屋だったのだ。  薬屋の主人である文吉(ぶんきち)は、もう自分がいくつかさえ記憶があやしい、かなりの高齢だった。それでも薬の知識だけはしっかりしていて、簡単な病気ならば医師に頼らず自分で診てしまうし、常連客を何人も抱えている。もう俺の代でこんな店なんぞなくなってもいいんだ、と口では言うが、単に捻くれ者で自分の気に入る若者が見つからないからそう言っているだけだと少しして蘇芳にもわかってきた。  蘇芳がこの老店主の元で見習いの真似事を始められたのは、単なる文吉の気まぐれか、子宝にも恵まれず連れ合いも早くに亡くしたという文吉が身寄りのない蘇芳に何かを感じたからかは分からない。  厳しい人だが、冷酷ではない。ミソラに比べれば、文吉の言葉はしばしば誤解しそうになるほど足りないし、蘇芳が不慣れだろうが何だろうが一切の容赦もない。けれど、蘇芳が学びたい、役に立ちたい、一人前になりたいという気持ちを見せれば、それを無碍にすることはしなかった。  そこに言葉はなくても、伝わってくるものがあった。自分を一人前として扱ってくれること、それが、蘇芳には何より嬉しかった。  見よう見まねに始まって、蘇芳が文吉の元で働くようになってから、飛ぶように季節が過ぎていった。矢継ぎ早に飛んでくる文吉の指示にも、この頃はだいぶ慣れた動作で応じられるようになってきている。  文吉の家を間借りさせてもらっての暮らしは、ミソラの屋敷でのそれと比べればだいぶ質素ではあっても、文吉や常連客に頼られ、成長し、認められていく実感があった。この前までできなかったことができる。わからなかったこと、覚えられなかったことを覚え、それが誰かの役に立って、感謝をされる。ミソラの元にいた頃の蘇芳には、想像もできない生活だった。  そうしてようやく町にも人にも馴染んできた頃、蘇芳にこれまで経験したことのない、一つの出来事が訪れようとしていた。 「こんにちは! 蘇芳、いる?」 「なんじゃ、またお前か。手伝いなら足りとる。邪魔をするなら、親方に言ってつまみ出してもらうぞ」 「そんな、殺生な〜!」  文吉の冷たいあしらいにも全く怯むことなく明るい声で笑う青年。名を鉄郎(てつろう)と言い、同じ町内で鍛冶屋の見習いをしている。以前、鉄郎の親方が高熱を出した際、往診に蘇芳が付き添ったのがきっかけで顔見知りになった。  歳の頃も近く、身寄りのない蘇芳を何かと気にかけてくれる鉄郎に、蘇芳も次第に打ち解けていき、近頃は鉄郎に誘われるままに茶屋へ行ったり少し遠出をしたりするようにもなっている。  蘇芳にとって、友達のようで兄弟のようで、でもそのどれとも違う不思議な感情の呼び起こされる、鉄郎はそんな存在になっていた。  毎日が目まぐるしく、あっという間に月日が経つ。思ったよりもずっと早く、蘇芳はかつてのあやかしと共にあった暮らしの記憶を、遠い過去に置いてきたように感じ始めていた。

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