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第46話 意地と、努力と
何度目になるか分からない家移りを経て、もう一度町で暮らし始めた蘇芳は、あることを試そうとしていた。
——草木、か……それだけじゃ、範囲があまりに広いけど。
あやかしは人のようにその身に起こることに意図的に抗おうとはしない。たとえば病に苦しんだとして、獣たちが本能的に自分の身体の欲するものを知っているように、その時々で人で言うところの薬に近い役割のものを摂取することもあるのだろうが、どこかで命尽きるならばそれが摂理だと考える。だからミソラはいい顔をしなかったのだろうし、それ以上聞き出すこともできなかった。
草木というだけでは無数にある。けれど蘇芳はその中から一つの仮説を立てていた。
発情が子を孕む癸という性に由来するものなら、女性の病に効く薬草の組み合わせを応用したら発情を鎮めることもできるのではないか、と思ったのだ。
そうなると、対象となるものは限られてくる。
「あとはこれをひと匙混ぜて……今度はどうかな」
薬の効き目とともに発情の周期、期間、症状も記録に残すことにし、およそ月が三度満ち欠けを繰り返すごとに訪れることも分かった。
周期がわかれば、いきなり町中で身体に変化が出てしまうことも防げる。その前後は山に籠り、試作した薬の効果を確かめる時間にした。
目の前に明確な目標があることで、あてもなくただ待っていた頃と違い、もしかして次に出会う人には受け入れてもらえるのでは、といった甘えに逃げることもなくなった。
最初のうちは、効果どころか全く何の変化もなかったり、本来と違う飲み合わせを無理にしたために酷い目眩や幻覚に襲われたこともあった。しかし、蘇芳は自分でも意外に思うほど、粘り強く試行錯誤した。それはミソラの言葉で効果があるものが必ず存在するという確証があったからでもあるし、初めて逃げるためではなく何かを掴むために自分から行動を起こしたことに、今までとは違う自分を感じていたからかもしれない。
——俺って、こんなに諦めが悪いところ、あったんだなあ。
元々、何かを調べたり、覚えたりするのが好きだったとは思う。だからこそ、厳しい文吉の元でも、知りたいこと、不思議に思うことはどれだけでも教えてもらえることにやりがいを感じて、できることが増えていくのが楽しかった。
それに加えて、晴弥と言葉を交わしたあの日、今でも思い出すだけでうずくまりたくなる、あの身体に残る強烈な感覚と同じくらい、あの諦めたような投げやりな表情が気にかかって仕方なかった。今ここで自分ができるかもしれないことを諦めたら、晴弥のことも諦めるのと同じになるように思えて、ここで踏ん張るしかないとも思った。
文吉のところで得た知識をもとに、薬を売り歩く先々で仕入れた情報を組み合わせて何種類もの組み合わせを試し、その度に記録をつけ、改良と工夫を重ねた。発情が来るたびに絶望に襲われていた日々は、少しずつ、前に進んで行った。
気の遠くなるような繰り返しの果てに、とうとう実を結ぶ兆しが見え始めた。わずかではあるが、これまでと違う変化が身体に感じられたのである。干した稲藁の中から針を探し出すような果てしないことに思われたこの試みも、蘇芳の立てた仮説が大きくは間違ってはいないことを示していた。
ぞく、と悪寒にも似た熱っぽさが身体の奥に生まれるのが、発情の最初の兆候だ。
「……来た」
今度こそ、と苦い粉末をなんとか飲み下す。山で過ごす間の仮住まいにしている小さな洞窟の壁にもたれ、蘇芳は祈るような気持ちで目を閉じた。
「……あれ」
蘇芳は夕闇の迫る薄明かりの中で目を開けた。いつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。
身じろぎをして最初に気づいたのは、身体の変化、というより〝変化していない〟という変化だった。ここに来た時からまるで時間が止まったように、軽い熱っぽさは消えていないがそれ以上の発情による変化が現れていない。
「!!」
蘇芳はハッと身体を起こし、結っていた髪を解いてその色を確かめた。
——黒のままだ……!
もつれるように洞窟を駆け出し、湧き水が小さな池を作っている場所まで走る。
「変わってない……!」
そこに写っていたのは黒い目、瞳孔も丸いままの、町に紛れればあっという間に見失うようなごく普通の青年だった。
ようやく、本当にようやく、一歩前に進めた。生きようと思って、諦めなくて、よかった。
その目から、静かに雫が一つ、また一つと盛り上がり、頬を濡らした。
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