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第51話 気づいていなかった本心

 月のない、冷え冷えとした真っ暗な夜の底を歩く。明かりがなくても蘇芳の目は周囲のものを捉えられるが、目からの情報が弱い分、匂いや音に対する神経が敏感になる。別に罪人でもないのに、足音を殺して町を横切った。  物盗り騒ぎがあってすぐは警備のものを立てたりなどしていたが、喉元を過ぎて今はまた元の平和な町に戻っている。家々が途切れ、町外れまで出たのだと分かる。あとはこの橋を渡れば町の外へ出る。その時、蘇芳の後ろから声がかかった。 「おい」  びくり、と蘇芳は首をすくめた。聞き慣れない低い声には警戒と敵意が滲んでいる。  何も後ろめたいことはないのに、何かを見咎められたかのような焦りに鼓動を早くしながら、蘇芳は振り向いた。屈強な身体つきの壮年の男の手の提灯の灯りが目に刺さり、眩しくて目を細める。 「お前、この町にいた薬売りだな。こんな闇夜にそんな大荷物で、どこへ行く。夜逃げなら、見逃すわけにはいかねえ」  警備を立てなくなっただけで、自警団の見回りはなされていたのだとその言葉で気づいた。予測が甘かったことを後悔したが、もう後には引けない。 「ゆ、友人を訪ねて行こうと……古い友人が頼りをくれて。夜になったのは、その、いろいろ先に済ませなければならない用事があったからで……」  しどろもどろになったが、丸きりの嘘ではない。けれど、自警団のその男は訝しげな顔つきをますますしかめた。 「友人を訪ねるなら、大概は夜が明けてから行くもんじゃないか? 闇に紛れて動かなければいけないわけがある、としか思えねえが」  痛いところを突かれ、蘇芳は急いで頭を巡らせた。  確かに昼の間に町を出たって構わなかった。それをあえて夜に動くことにしたのは、この男の言うとおり、昼では見咎められる危険性が大きく、それを誤魔化し切る自信がなかったからだ。  大勢の町人に囲まれて疑念の目を向けられたら、平静でいられる自信がなかった。かつて自分が生まれ故郷から捨てられることになった、あの時と同じことをしないとは言い切れない。だから、人が寝静まった夜にしか、動けなかった。  今はとにかく怪しまれる前に、何かそれらしいことを言わなければ。蘇芳は焦って、口を開いた。 「友人は、病にふせっています。流行病だから、他のものに知られたくないと、俺だけに頼りをよこしました。だから俺もその者のことは口外できないし、人目につかないように夜のうちに訪ねたい。それだけです。悪巧みをしているわけじゃありません。俺は、彼に害が及ぶのを見たくない。俺の力の及ぶ限り早く、助けたいんです」  言葉が口から転がり出て、蘇芳は気づいた。  ‪—‬—そうか。俺は……晴弥を助けたいんだ。  流行病は口から出まかせだったが、晴弥のことを思い浮かべて出たのは、思いもよらない、しかし間違いなく、自分の本心だった。  晴弥が自分に助けなど求めていないのはよく分かっているし、何から助けようとしているのかもはっきりとは分かっていない。けれど、晴弥をあのままにしておけない。晴弥が抱えている何かを、晴弥を苦しめる何かを蘇芳は知りたかった。そしてできることなら、自分の手でそれを除きたかった。  それは蘇芳が初めて覚える、感情だった。

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