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第13話
「君は、クモは嫌いだろうか」
朝食後。
加護編みの練習をしていた少年は手をとめて、アクロを見上げる。
外から帰ったばかりの彼は、やけに神妙な雰囲気だった。
アクロは例の、吹雪の切れ間の狩りに出ていた。
少年をひとりにすることをひどく案じていたが、もう体調も安定してきているし、アクロもルードを空けすぎるのはよくないだろう。
適宜火を使うこと、食事を抜かないことを約束して、渋るアクロを漸く送り出したのが、前日の昼過ぎ。
ほぼ丸一日振りだ。
彼に匿われてから、こんなに長い時間彼の顔を見ずにいたのは初めてで、何だか妙な感覚だった。
そのアクロが戻って早々、挨拶もそこそこに口にしたのが冒頭の台詞である。
クモ。蜘蛛? 何故、唐突に蜘蛛の話を。
真意はわからないが、少年はこれまでに見たことがある八本足の生物の姿を思い浮かべ、小首を傾げた。
「噛み付いて来なければ、別に」
「それはよかった」
少年の返答に、アクロはあからさまな安堵を見せる。
「いや実は、昨日はルード全体で成果が多くてな、一部をそのままこちらに持って来たんだ。しかし、ノマの中にもアレの見た目が苦手な者がいることを失念していて……君がそうだったら申し訳ないと思ったんだが、よかった。平気なら、一緒に解体をしてみるか?」
「解体……?」
成果。狩りの成果。が、蜘蛛。狩りの成果が蜘蛛? それを、解体? あんなに小さな生き物を?
意味はわかるのに意味がわからない。
少年の頭には疑問符だらけだ。
「おれに出来ることなら、するけど……」
「よし、ならナイフを持ってついておいで、毛皮はしっかり羽織ってな。解体は流石に雪洞の中でやるには向かない」
困惑している少年を手招き、アクロは通路に消えてしまった。
自分に出来ることはする。
それだけは決めていることだ。少年は加護編みを中断し、言われた通りナイフを持ってアクロの後を追った。
そしてその通路の先で目にした光景に、そのまま引き返したくなった。
「…………」
「うん? どうした?」
通路から出て来ず、警戒露にソレらを見る。
貯蔵庫には入りきらず、雪の降りしきる中にゴロゴロと転がる白いソレら。
「おもったより、でかくて、びっくりした……」
そう、でかかった。
想像より大分でかかった。
蜘蛛なんてでかくても精々手のひら大くらいだと思っていたが、そこにいたのは頭胸部だけでアクロの手のひらよりも大きな怪物だった。
「ああ、そうか、そうだった、蜘蛛は普通小さいよな……あー……どうする? 無理はしなくていいが」
「……や、やる」
「わかった。気分が悪くなったら、すぐ休むように」
「うん」
驚きはしたし、流石にここまででかいと気持ち悪いとも思うが、ソレらは足を丸めてぴくりとも動かない。間違いなく死んでいるのだろう。
少年は恐る恐る通路から出て、アクロと同じようにソレらの前にしゃがみ込む。
「ピュリエンという魔物だ。足は保存食、内臓は薬、爪と牙は装飾用の素材になる」
「……足、食べるんだ……」
「中身をな。長期保存が出来るから、私たちにはありがたい存在だ。さて、では君の体が冷えきってしまう前に、手早く済ませてしまおう。まずは根元から足を……」
確かに、この貯蔵庫は外気が直に入り込む。入り口側にいるアクロの体が壁になり、少年の元に届く風は少ないが、主室に比べれば段違いに寒い。アクロはもっと寒いだろう。
アクロの言う通り、手早く済ませた方がよさそうだった。
「足は胴に一番近い節を、布越しで掴むんだ。足先に向かう程、毛が硬く鋭くなっているから、気を付けて」
足を取り外すのは、棘のような毛に気を付けさえすれば難しい作業ではなかった。問題は頭胸部と腹を開いて内臓を取り出す作業だ。
「これが毒腺、こっちが糸腺だ。この二ヶ所は傷付けないように取り出して欲しい。と言っても初めは難しいだろうから、失敗しても気にせず……大丈夫か?」
「だ、だい、じょうぶ」
「……じゃ、なさそうだが。気分が悪いなら休んでいいんだぞ」
「大丈夫、初めて見たから、頭が、ついていけてないだけ。大丈夫……」
心配そうなアクロに見守られながらどうにか頭胸部と腹を開き、いざピュリエンの体内に震える手を差し込んだ時、少年は込み上げてきた吐き気を堪えることが出来なかった。
アクロの脇をすり抜けて外に飛び出し、吐瀉物をぶちまけてしまう。
「大丈夫か」
「ご、めん……」
「謝ることはない。初めて解体作業をする者にはよくあることだ。それに、慣れない者はずっと慣れない作業だからな。その場合は出来る者がやればいい。何度でも言うが、無理をする必要はない」
風上に移動したアクロは、吹雪を背中に受けながら少年の背をやわらかくさすった。
「解体は私がやっておくから、君は足を持って先に中で、」
「いや、やだ、もう一回、やる」
「……君、さては負けず嫌いか」
結局、少年は時間をかけて一匹を捌ききったが、毒腺を傷付けてしまい毒腺そのものと内臓の一部が使い物にならなくなってしまった。
しかし少年は諦めず、もう一度手本を見せて欲しいと頼み、快諾したアクロの手元を凝視する。
そして自分でもう一匹。
捌くのは先程よりずっと速かったが、やはり毒腺を傷付けてしまった。
「トドメを刺す時はどうしても頭胸部を狙うからな、破壊されてる内部から臓器だけを綺麗に抜き出すのには慣れが必要だ」
「もう一匹やってもいい?」
「どうぞ。何なら、残りの三匹を全部任せよう」
「……全部失敗するかも」
「構わない。最初に言った通り、例年よりずっと多く狩れてるんだ。ルードでも子供たちがこぞって練習していたよ」
アクロがピュリエンの足を主室に運び込み、処理の準備をしている間に、また一匹、失敗した。
そろそろ悴んだ手の感触がなくなってきた。急がなければならないが、焦れば余計に手元が狂うだろう。
(慎重に……慎重に……)
深呼吸をひとつ。
脳裏にアクロの手元を思い浮かべながら、少年はナイフを持つ手に力を込めた。
◇ ◇ ◇
たっぷりの水と塩を入れた鍋を火にかけ、沸騰するのを待つ間に、ピュリエンの足を関節ごとにぶつ切りにしていく。
保存食にするための下拵えだ。
ルードであれば大鍋で丸ごと煮てしまうが、ここにそんな大きな鍋はない。足の量を考えれば、すべて煮るのにも三、四回は必要だろう。
なかなか時間がかかりそうだ。
昼食はどうするか。夕食は。ノマは元々昼食は軽いもので簡単に済ませる習慣ではあるが、一度嘔吐してしまった少年は腹が減っているのでは。それとも食欲はないだろうか。
折角体調も整ってきたところだというのに嘔吐させてしまうなんて、かわいそうなことをした。
ついルードの子供たちと同じように扱ってしまうが、あの子はノマではないのだし、無理に解体などさせなくてもよかったのでは。
ぐるぐると考え込んでいた男の耳に、
「────アクロ!」
鋭い声が突き刺さる。
手にしていたピュリエンの足を放り出し、アクロはナイフを握ったまま通路に飛び込んだ。
何か。
何か、不測の事態でも起きたのか。
短い筈の通路が、長く感じる程の焦燥。
獣のように駆け抜け、そして。
「少年っ、どうし、」
通路の先で、アクロを出迎えたのは。
「できた!」
綺麗に抜き取られたピュリエンの臓器を手に、金色の目をきらきらと輝かせている少年だった。
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