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第12話

 翌朝のこと。  吹雪は変わらず続いていた。  少年の寝床のすぐ側で、座ったまま眠ったアクロは凝り固まった体をぐっ、と伸ばして血流を巡らせる。  もぞ、と衣擦れの音に目をやれば、少年の目がまさに今開こうとしているところだった。  昨夜しっかり冷やした目元は、腫れは引いてはいるものの普段より重たげだ。 「おはよう」  目元にかかる赤い髪を払い声をかければ、少年はきゅっと目を細め不快を露にする。  彼は今、息苦しさを感じているのだろうか。  そうだといい。  早く慣れさせて、それは決して不快な感情ではないのだと覚えて貰わなければ。  アクロは前髪を払った少年の額に、ぴたりと手のひらを当てた。 「まだ熱いか?」 「……わからない。熱、慣れちゃったし……」 「起き上がれるか? 目眩や、気分の悪さは?」  手を貸して上体を起こさせ、もう一度確認すると「少し、ぼうっとする」という答えが返ってくる。  アクロは少年の平熱がどの程度なのかを知らない。熱いようにも感じるが、子供は体温が高いものだ。ぼんやりするのも、眠っている時間が多いせいかもしれない。  判断材料が少なすぎた。 「火傷の痛みは?」 「急に動かすと、痛い」  肩の火傷は、順調に快方に向かっている。  雪洞に移る前、一度ひどく膿み、薬も効かない程の熱が続いた時はいても立ってもいられない思いをしたが、数日で落ち着いて本当によかった。  とは言え、痛みは残っているようだし、完治にはまだ、時間を要するのだろう。  ……ぴっ。 「…………」 「……え、今の……」  思考を中断した音の発生源は、間違いなく少年だ。  その少年は無言のまま、もぞもぞと毛皮の中に引きこもってしまう。 「すまなかった、寒いよな。すぐ火をつける。まずは食事にしよう」  アクロは自分が使っていた毛皮を少年に──というより、丸い毛玉に──被せ、かまどに向かった。  火を焚き、食事の準備を進めるが、先程の音が気になって仕方がない。  極々小さな破裂音だった。  あれは、あれは多分。 「……笑えば」 「ぐっ……ふっ、す、すまん、小鳥が、鳴いたのかと、さっきの、くしゃみ、だよな」 「…………」 「ふ、ふふ、こっちへおいで、少年。火に当たるといい」  手招き。毛玉の中からアクロをじっとりと見ていた少年は、少しの間の後毛皮を被ったままかまどの側に寄って来た。  アクロから、ひとり分程の間を空けて。 「そこじゃ火から遠いだろうに。怒ってるのか? 笑って悪かったよ」  ずり、と引き寄せると、抵抗なく隣に収まる。  されるがままの様子がまた可笑しくて、愛らしくて、アクロはその小さな毛玉を抱き締めた。  毛玉の中からは不満げな声が上がったが、やはり、抵抗はなかった。  食事と服薬、包帯の交換を終えると、少年はいつものように寝床に戻ろうとする。  アクロはそれを引き留め、ひとつ、提案をした。 「もし、体がきつくないようなら、起きている時間を増やしてみようか」 「……起きてていいの」 「つらくない範囲でな」  少年は嬉しそうだった。  生来快活な質なのだろう。弱った体を回復させるためとは言え、横になっているだけというのは性に合わなかったのかもしれない。  何かをしたそうにしていたので、雪で洗った食器と布を渡したら念入りに磨き出して面白かった。 「目眩は?」 「……ちょっと。でも平気」  何かをしている方が落ち着くのだと、少年は言う。  あまり無理はさせたくないが、何もしていないと不安なことばかり考えてしまうと俯きがちに呟かれると、どうにも弱い。 「加護飾りを編んでみるか?」 「加護飾り?」 「私が付けている、飾り輪の類いだ」  アクロの手首に、(まじな)いものの飾り輪が何本も巻かれているのは、少年も知っていた。 「ノマでは子供たちや、冬の間狩りに出られない狩人たちは皆、革紐で編んだ装飾品を作るんだ」  腕や足、首に巻く飾り輪は初心者向けで、上級者になる程複雑な模様を編み上げた加護飾りを作る。  自分たちで身に付けることもあれば、街に卸すこともあり、革紐だけではなく宝石や魔物の素材をあしらった加護飾りはそれなりに人気があるらしい。 「手慰みとしては丁度いいと思うんだが、どうだ?」 「でもおれ、まじないなんて出来ないけど」 「ああ、私のこれらは、皆が私を思って作ってくれたものだから、謂わば特別製だ。普段作っているものにそこまでの思いは込めていないさ。問題ない」 「とくべつ……」 「どうしても気になるなら、それを身に付けた誰かが健やかであるようにと念じながら作るといい。一般的な(まじな)いなんてその程度の、」 「やる。教えて」 「あ、ああ、わかった」  食い気味なくらい意欲的な少年に驚いたが、無気力に俯かれるよりはずっといい。  自分用に持ち込んでいた革紐を少年に分け、基本の編み方を教えた。  まずは均一の力で編むことを覚えるまで同じ革紐を編んではほどきを繰り返す。飽きっぽい子供はこの基本に躓き上達が遅れるが、少年にその様子はなかった。  三度編み上げた紐をほどく頃、顔色が悪くなってきたのを見て止めたが、アクロが止めなければまだ続けていただろう。 「君は集中力があるな。私が加護飾りを始めた当初は二度編み上げたところで放り出してしまった」 「意外。真面目そうなのに」 「狩りに関しては、真面目だったと自負しているんだがな。大人しくしているのがとにかく苦手だったんだ」  そう苦笑しながらアクロが編み上げた加護飾り。あしらった装飾はムルムドの骨細工と、明るい色合いの琥珀石。長さを調節出来る細工をして、完成だ。  少年の左手を取り、手首に通す。  革紐は赤墨色と錆色に染められたものを二色、琥珀は、少年の目の色に近いものを選んだ。 「君に幸運があるように」 「……また、そうやって、返せないものを……」 「気にしなくていいと言っているのに……いや、それなら、君が作る最初の加護飾りを私にくれないか」  寝床の中の少年は居心地が悪そうに身動いで、毛皮に顔を半分程埋めてしまった。 「特別、なもの、なんて作れないし」 「君が、私を思い、私のために作ってくれるなら、それは既に特別だ」 「…………」  少年はほどきかけの革紐を握り締めたまま、自分の手首に巻かれた飾り輪をじっと見つめる。 「……おれも、石、使っていいの」 「勿論。基礎を習得したら装飾を組み込んだ編み方も教えよう。装飾も、私が持ち込んだものを好きに使ったらいい」  言えば少年は上体を起こして、こちらの顔をじっと覗き込んできた。  珍しい。彼は多分、人と目を合わせるのが苦手だ。顔を覗き込んでも、視線はいつも外される。そもそも人と相対することに苦手意識があるのかもしれない。  彼の目を真正面から見られるのは、彼がこちらを睨む時だけだ。  その少年が、仮面に触れそうな距離でアクロを見ている。アクロもそれならばと、遠慮なく蜂蜜色の目を見つめ返した。  しかしやがて「やっぱりわからない」と言って眉を下げてしまう。 「アンタの目、いつも仮面の影になってるから、何色なのかわからない。黒? 灰色?」  ああなるほど、と納得した。  少年は、アクロが渡した加護飾りの石が、自分の目の色に合わせたものだと気付いたのだ。  それと同じように、アクロの目の色の石を使いたいと。 「────ふ、仮面を外せと言えばいいのに」 「……言っていいものなの」 「本来は、駄目だな」  ノマはノマ以外の人前で仮面を外してはいけない。勿論、外すことを要求するのも礼儀に反する行為だ。それは家族を守るためであり、自分を守るための掟である。  特にアクロは、他の家族たちより強く、この掟を守る必要があった。  だが、それが何だと言うのか。  このこどもが、アクロを知りたいと言ったのに。  躊躇はなかった。アクロは外套の頭巾を背に下ろし、仮面の留め具を外す。 「私の目は君のように華やかな色ではないから、目に楽しいものではないと思うが……それでよければ、好きなだけ見てくれ」  目の前の少年はぽかんと口を開けていた。  素顔で人と向かい合うのは随分久し振りだった。少々、気恥ずかしさもある。しかし少年が、おずおずと手を伸ばすのなら応えねばなるまい。  目を合わせたまま、その手にそっと頬を寄せた。  びくりと一瞬強張った幼い指先が、頬に触れて、目元を撫でる。  気付けば、息が触れ合うような距離で見つめ合っていた。 「……灰色? でも、ちょっと青い」 「青鈍色、と言われる。ノマでは鳶色が一般的だから、少し珍しいかな」 「うん、きれい」 「……そうか」  そんなにまっすぐに褒められるとは思っていなくて、思わず苦笑してしまう。アクロの目は、色よりも明確に人と違うところがあるのだ。 「何か、真ん中、縦に長い」  採光窓から入ってくる明かり。作業をする手元を照らす明かり。それらは、仮面を外したアクロの瞳には十分過ぎる光源だった。 「瞳孔のことだろう?」  ふ、とその目を細めて笑う。 「怖いか?」 「怖い?」 「通常の人間の瞳孔は、君と同じように丸いものだ。縦に長い瞳孔は、人ではない生物しか持ち得ない」 「……アンタは、人じゃないの?」 「何をもってして人とするか、その答えを、私は持たない。大多数と違うものを人は異端と呼ぶ。この目は、その対象足り得るものだ」  内地の人間が、ノマの民をどう噂しているのかは知っている。  曰く、ノマこそが魔物の集団であると。  あれは真実を知らない者が面白可笑しく吹聴した戯れ言ではあるが、すべてが間違いというわけでもない。  ノマには確かに、異端の子供が生まれ易いのだ。  古くから魔物と密接に関わってきた部族だ。これは決して口外は出来ないが、魔物との間の子を育てたという逸話も、口伝により多く残っている。それが単なるお伽噺などではなく真実なのだとしたら、現存するノマの民の多くが、魔物の血を引いていることになるのだろう。 「ノマは異端を拒絶しない」  それは、己にも同じ異端の血が流れているのだと、本能で察しているからではないか。 「だが内地の人間はそうでないことも知っている。だから隠す。ノマが仮面を被るのは、こうした異端を紛れさせるためだ。君はどう思う? 私は人に見えるか?」 「……わからない。だって、目とか関係なく、アンタは変なやつだし」 「変か」 「普通のやつは、おれみたいなガキ、見なかった振りするんだ」 「私は自分が、君の言う“普通”の枠に当てはまらなくてよかったと思うよ」  いまだ頬に添えられたままの小さな手に自分の手を重ねれば、少年ははたと目を見開いて、その目元をじわじわと染めていく。  自分がアクロの顔に触れていたことを、漸く認識したらしい。さっと顔を背けて、唇を尖らせた。 「ところでさっきの、おれみたいな部外者が聞いたら、まずい話なんじゃないの」 「そうだな、万が一この話が広まったら、各国でノマの討伐隊を組まれかねん。そうなっては困るな。各地に散ったノマを結集しなければならなくなる」 「……何でちょっと楽しそうなんだ」 「狩猟は嫌いではない。その対象が人であっても、私は特に何も思わない」  人と獣、そして魔物の命、それらにどれ程の差があるのか、アクロにはわからなかった。  少年は背けていた顔を戻し、ぱちりぱちりと目を瞬かせアクロの顔を凝視する。 「アンタは、人間が好きなんだと思ってた」 「君を助けたから?」 「……うん」 「命は等しく、みな尊い。そこに好きも嫌いもない。君が人間だから助けたのではなく、助かる可能性のある子供だったから助けた」  例えば彼が大人であったなら、多少の慈悲を与えたとしても放逐後まで構いはしなかっただろう。  例えば彼が、助からない命であったなら、アクロは胸を痛めながらも早々にその首を折っていただろう。  そして少し重たくなった心を引き摺り、日常に戻る。その重たさも、きっと翌日には残らない。 「私の基準は家族か、それ以外か。家族は特別だ。他のルードのノマたちにも、同族であるという認識はある。それ以外は、みな等しい命だ」 「…………」 「さて、以上を踏まえてもう一度問おう。私を、異端と恐れるか?」 「……考え方が、ちょっと怖いのは、わかった」 「ふむ」 「でも、考えてみれば、おれ、人間きらいだし。アンタがもし、人間じゃなくても、別にいいや。どっちでもいい」 「……そうか」  命は、尊い。  側にいれば、愛おしくなるのも必然だ。  ましてやこんな風に、受け入れられては。  彼はもうとっくに、アクロの“特別”になっている。  アクロは少年の手のひらに頬をすり寄せた。  驚いた少年は手を引こうとするが、それが叶わないと悟ると諦めたように溜め息を落とす。 「……おれは、“それ以外”じゃないの」 「言い忘れていたが、この考え方は多分、君が思っている以上に情が湧きやすい」 「はぁ」 「私の態度で察して欲しいが、最近私の家族の枠組みに、迷子の小鳥が入ってきた」 「……ことり……」 「とても可愛いんだ。なかなか懐いてくれないんだが、こちらを伺う様子がまたいじらしくて」 「…………」 「もっと素直に甘えてくれたらいいと思わないか、少年」 「────しらないっ」  朱く色づいた頬に齧りついたら、やはり彼は怒るだろうか。

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