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第15話

 まだ本格的な冬が始まる前のこと。  とある三人組の傭兵は、冬籠り前の最後の仕事をこなすべく討伐対象が潜んでいると目された地下洞窟を進んでいた。  ひどく空気が悪い。  苦く、甘ったるい、淀んだ空気が全身に纏わりつき進む足を遅くする。 「ここは前からこんなだったか?」 「地下洞窟だからな、多少の空気の悪さはあったが、ここまででは」 「じゃあ目撃されたっていうトロウグのせいかね」  トロウグは、洞窟などの暗がりに棲む人型の魔物である。  人型と言ってもその体躯は人間よりも遥かに大きく、体表はいびつな鱗に覆われている。知性は低く凶暴で、戦闘能力が高い。棲みかから出ることは殆どないが、一度縄張りを侵されれば相手をどこまでも追う習性を持っているため、穴蔵で出会うなら熊獣の方がまだマシだと言われる程である。  過去に、トロウグの縄張りに入った子供の逃げ帰った村が、一晩の内に壊滅させられたという記録も残っている。街の近くで発見されれば即討伐対象に指定される怪物だ。  今回この付近で目撃されたトロウグは、特に大きな個体で、真昼の地上をうろついていたという話だ。目撃したのは旅商人の一団で、集団幻覚にでもかかったのでなければ、見間違いなどではなかったと全員が主張している。  三人の傭兵が受諾した依頼内容は『目撃されたトロウグの討伐及び調査』である。  主目的が討伐、討伐さえ果たせば報酬は支払われる。そしてそれとは別に、通常とは異なる行動を取る個体としての調査、こちらは出来高制だ。可能な限り詳しく、また正確に調査を行えばその分報酬に上乗せされる。 「縄張りに入った何かを追ってたってのが有力だと思うがねえ」 「そんな様子でもなかったらしいがな。商人たちが言うには、興奮した様子もなくただどこかを目指して歩いていたと」 「でかい個体だってんなら、棲みかを変えてる最中だったのかもな」 「それなら昼間に移動する必要なくねえか?」 「何にせよ、そいつの進路上にこの地下洞窟があった。だとすればここに潜んでいる可能性は高いだろう、調査や推測もいいが、警戒を怠るなよ」 「わかってるって」  実際、気を抜けるような状況ではなかった。進めば進む程、空気が重い。  これは瘴気だ。  強い魔物は、瘴気を発生させる。胸が悪くなるこの重苦しい空気は、トロウグが棲み着いたせいで発生した瘴気が滞留しているのではないかと推測した。  瘴気に晒され続けていては、人間を始めあらゆる動植物は長く生きられない。瘴気の影響を受けず生きられるのは魔物だけだ。  傭兵たちは鼻と口にマスク代わりの布を巻き付け慎重に進む。 「なあ、この洞窟、何度か来たことあるけどよ、こんな道あったか?」  先頭を行くひとりが灯火を掲げた先に、見覚えのない道があった。否、道というにはおざなりな、壁が崩れて出来た空洞がぽっかりと口を開けている。  元より地下洞窟、明かりになるものは手元の灯火のみだ。傭兵たちは空洞を照らすが、泥濘のような暗闇は微かな灯りなど吸い尽くしてしまう。 「足元、殆ど崖だな。降りたら戻れるか?」 「そればっかりは降りてみねえことにはなあ」 「俺が先に行こう。お前らは命綱を持っててくれ。問題がないようなら下から呼ぶ」 「了解」  リーダー格の傭兵が腰に縄を括り付け、暗闇の中に降りていく。残された二人はその縄を握り、固唾を飲んで成り行きを見守った。  やがて暗闇の中から、「おおい」と呼ぶ声が反響する。 「登る時に縄が必要だ、ひとりだけ降りて来てくれ。トロウグの死体がある」 「死体?」  ふたりは顔を見合わせた。  大柄の傭兵が残り、小柄な方が縄を握って暗闇に降りる。降りた先で灯火を掲げ持っていたリーダー格が「見ろ」と背後に顎をしゃくった。  うつ伏せに倒れた、巨大な肉塊。既に腐敗が進行しいびつに歪んだ骨格が露出している。 「……確かに、トロウグに見えるな。けど表で目撃されたのはそんなに前じゃねえだろ? 原型が曖昧になるくらい腐るには早すぎねえか? 虫や獣に食い漁られた形跡もねえ」 「この濃い瘴気が何か関係してるかもしれん。別個体の線もあるが……骨格を見るにかなりでかい個体だし、そんなでかい個体が多数いるとは考えたくないな。取り敢えず周囲を警戒しつつ調査、それと素材及び討伐……はしてないが、対象の死亡証明の採取だ。さっさと済ませて早くここから離れよう」 「瘴気でイカレちまったら元も子もねえしな。やれやれ、金になりそうなもんがあるといいんだがねえ」  二人の傭兵は調査を開始した。  大きさこそ規格外だが、骨格は人間のものと大差ない。殆ど腐って溶け出している臓器もそうだ。表皮の鱗は本体の生命活動が停止すると脆くなる。トロウグは討伐したところで素材としての価値はほぼないに等しかった。 「お、見ろよ、棘鱗がいくつか採れそうだ」 「珍しいな。それじゃ、通例通り親指と、そいつを提出するか」  通常トロウグの討伐証明は切り取った親指だ。今回は親指の骨になるが、骨だけだと認められないこともある。棘鱗はトロウグから稀に採れる高質化した鱗で脆くならずに残るため、証明として都合がよかった。 「にしてもひでえ臭いだ、気分わりぃ」 「そろそろ潮時だな。このまま瘴気に当てられ続けて身動きが取れなくなっちゃ困る」 「だな。────いや、待て」  小柄な傭兵は何かに気付き、泥のような肉塊を掻き分ける。 「こいつは、魔石か?」 「何だと?」  魔石、と呼ばれる物質がある。  正確には石ではない、長く生きた魔物の心臓でのみ生成される、赤黒い石のような物質だ。魔物のみが持つ魔力の結晶なのではないかと推測されているが、稀少性が非常に高く研究が進んでいないため、詳しいことはわかっていない。  ただ魔石は、精氣と呼ばれる大地の生命力を呼ぶという。所持していると怪我や病がたちどころに治るのだと、真偽不明の噂が囁かれていた。  その噂と、希少価値。魔石を欲する者は多いが、胡椒の実一粒程の大きさで庶民の平均的四人家族が二年は暮らしていけるような価格では、なかなか手に出来るものではない。必然的に、世に出回る魔石は貴族の収集品となることが殆どだ。  そのせいで研究が進まずにいるのだが、貴族にとっては魔石を所有することが大事なのであって、魔石の正体や噂の真偽などどうでもいいことなのだろう。  そしてそれは、前線に立つ傭兵にとっても同じことだ。  怪我や病が癒えるなど、真実であれば重宝もするが、多くの傭兵たちは眉唾だと思っている。前線に立つからこそだ。  つまり彼らにとって魔石は、大金を生む石ころに他ならない。 「……でけえよな、これ、いくらになると思う?」 「さあな。俺は装飾品用に加工された小粒の魔石しか見たことがない、これが本当に魔石なのかもわからん」 「同じく」  拾い上げたそれは一般的な成人男性の拳大程の大きさだった。腐肉に埋もれていなければ、珍しい色をしただけの石くれだと思っただろう。 「ひとまず持ち帰って、鑑定して貰えばいい。もう離れよう、俺も気分が悪くなってきた」 「そうすっか」  そうして傭兵たちはいくつかの素材と腐肉のサンプルを持ち現場を後にした。  しかしその帰路のことだ。  瘴気に侵された地下洞窟から脱出したというのに、気分の悪さが治まらない。それどころか、悪化さえしているように思える。長く瘴気に中りすぎたのかもしれない。街まではまだ数時間かかる筈だ。予定外だが、休息をとるべきだと判断する。  だがそれでも、事態は好転しなかった。  小柄な傭兵は嘔吐し、泡を吹いて倒れてしまう。顔は土気色で危険な状態だったが、残った二人も意識こそ保ってはいるものの状況は差程変わらなかった。  このままではまずい、そう感じた時、場にそぐわない間延びした声が聞こえた。 「おやまあ、随分と濃厚な精氣を纏ってらっしゃる」  朦朧としながらも、傭兵は声の主を警戒する。 「あぁ、あぁ、武器から手を離してくださいよ、私はただの狩人です。あんたらに危害を加えたりしませんよ」  鳶色の目の男だ。よく日に焼けた顔に軽薄な笑みを浮かべている。自ら狩人と名乗った通り、腰の後ろに弩を携えていた。 「あんたら、そのままじゃ死にますけど、助けが要りますか?」 「何だと……」 「親切心ですよ、そう殺気立つことないでしょう。ほら、そこの彼、早く対処しないとまずい」  泡を吹いて倒れた小柄な傭兵は白目を剥いて痙攣を起こしている。一刻を争う状況であることは疑いようもない。リーダー格の傭兵は武器から手を離し、男に対して目礼をした。 「すまない、知っていることがあれば教えて欲しい」 「ええ、勿論。あんたたち、魔石を持っていますね?」  それは疑問ではなく、確信している口調だった。傭兵は逡巡したが、それも一瞬。命には変えられまい。リーダー格は倒れた傭兵の荷物から黒い石を取り出し、男に見せる。 「これのことか」 「いやでっか!! マジか、ちょっと、あんた、そんなもん生身で持つとか正気か!? 一旦離せ、すぐに!」  男は敬語も忘れ慌てて手を振った。言葉通り、すぐに手を離せという意味なのだろう。傭兵は困惑しながらも、確かに洞窟で見た時より禍々しい気配を放つ魔石を地面に置く。  その魔石に、男は荷物から引っ張り出した布をぐるぐると巻き付けて大きく息を吐いた。 「魔石は、魔物素材の布や皮で包んでおかなきゃあ。豆粒みてえにちっさいのならともかく、こんなでけえブツ、あっという間にこの一帯が瘴気まみれになっちまいます」 「瘴気……? 魔石が呼ぶのは精氣じゃないのか?」  男が魔石に巻いたものは、魔物の毛で織った布なのだろう。幾重にも厳重に巻き付けたためか、禍々しさが緩和されている。 「おんなじですよ。濃すぎる精氣を瘴気って呼ぶだけです。強い魔物が瘴気を纏ってるってのも、体内のコイツが強烈に精氣を引き寄せてるに過ぎません。魔石がでかけりゃ、当然呼び込む精氣も多い。つまりそういうことです。取り敢えずこれ、その人に噛ませてやんなさい。旦那らも、どうぞ」 「恩に着る。いくらか支払わせてくれ」  受け取ったのは気付けになる薬草だった。今の季節この付近では手に入らないものだ。貴重なものだろうに、男は首を振る。 「コイツはあくまで気付けにしかなりません。中和じゃない。その人が助かるかどうかは運次第だ、金なんて貰えませんよ」 「……いや、それでも、俺たちは助けて貰った」 「うーん、義理堅い人だなあ。あぁそうだ、それじゃあ、この魔石を売っちゃくれませんかね。今私が持ってる全財産でどうです?」  男が渡してきた袋には硬貨がぎっしりと詰まっていた。目算するに、決して安くはないトロウグの討伐報酬よりもずっと多い。 「こんな大金」 「この大きさの魔石にしたら、それでも全然少ないくらいです。何だったらそれと同額を後日傭兵ギルドに持って行きますよ」 「いや、十分だ。俺たちは魔石に対して無知だ。こんな危険なものであることすら知らなかったんだ。扱い方もわからず自滅するくらいなら、早く手放してしまいたい」  しかし命を救って貰ったのに金を取るのは、と躊躇する傭兵に、男はケラケラと笑った。もうひとりに介抱されている小柄な傭兵を示して、「その人医者にも連れて行かなきゃでしょ」と言う。尤もだ。 「金はあって困るもんでもなし、どうぞ受け取ってくださいや。そんで、交渉成立ってことで」 「わかった。重ね重ね、感謝する」  ところで、と傭兵は軽く下げていた顔をあげる。恩人の名を聞いていなかった。 「あぁ、ダグって言います。なあに、すぐ忘れて構いません。どこにでもいる、しがない狩人ですよ」  ◇ ◇ ◇  こんな幸運はなかなかない。  傭兵たちと別れた後、ダグは手に入れた魔石を布越しに弄び、ニタニタと笑う。  少し親切にされただけで、こんな貴重なものを端金で手放すとは、馬鹿な連中だ。殺して奪ってもよかったが、あのリーダー格は腕が立ちそうだった。面倒は避けるに限る。  幸い、獲物と旅の最中に溜め込んだ素材を街に売りに行った帰りだった。手持ちの金は少額ではなかったが、この魔石の対価としては安すぎるくらいだ。  ルードに獲物を持ち帰ればそれはルードの財産になる。ならば馬鹿正直にルードに持ち帰るだけ損だろう。直接街に持ち込めば金銭は個人の懐に納められるし、その金を使って手に入れたものも同様だ。  仮面を付けず、外套も着ない、服装も街に馴染むものを選んで着ているダグは一目でノマだとは気付かれない。旅の狩人など珍しくもない街では口端に上ることもないし、ルードの連中に伝わることもないだろう。何故みなこうしないのか不思議でならなかった。  さて、これをどう利用しようか。  これ程の大きさであればこの魔石が呼び寄せる精氣は相当なものだろう。  傭兵たちの話では、地下洞窟の中でトロウグの死骸から採取したらしい。その場にも瘴気は満ちていたものの、体調が悪化したのは地下洞窟から出てからだと言う。 「その地下洞窟、多分源脈の上にあったんだろうなあ」  大地の生命力である精氣を生む源洞という存在があり、その精氣を運ぶのが、源脈だ。これらは大地の各所に点在し、張り巡らされ、精氣を循環させている。  魔石を持つ魔物は、己の死期を悟るとこの循環の中に還ろうとするのだ。恐らく件のトロウグは源洞を目指し、そして力尽きたのだろう。  源脈上にあれば呼び寄せた精氣はすぐさま循環され、精々空気が淀む程度だったろうに、源脈を離れたことにより流れる先を失った精氣が魔石の周囲に滞留し、傭兵たちに精氣酔いを起こさせたのだ。  魔物と近く関わることの多いノマには周知の仕組みだが、内地の人間はそこまで把握していないのだろう。魔物や魔石、魔力、或いは魔素、そして精氣に関する研究は進んでいないと聞いたことがあるが、精氣と瘴気が同じものであるという認識すらないとは思わなかった。 「まあ、国の中枢に近付く程魔物との関わりは薄いし、脅威と認識してなければその程度かね」  各国のお偉方は実物の魔物を見たことすらないのだろう。ノマの民として魔物を狩り歩いている身からすれば、まるで別世界の話だ。 「いいねえ、平穏で」  ダグは楽に生きたかった。旅も狩りもしなくていいなら、そんな面倒なことはしたくない。とは言え資源も食料も共有するルードを出るなら、それらを自ら揃えるために働かなくてはならないだろう。街の仕事なんて、狩りをするより面倒だ。  もっと楽に稼いで、怠惰に、緩慢に、柵なく過ごしたかった。 「コイツがあれば、それも叶うな」  ただ売ってしまうだけでは物足りない。金の卵を産む鳥獣も、殺してしまえばそれまでだ。折角転がり込んできた幸運を安易に消費してしまうのは愚者の選択というもの。  もう間もなく、この土地は雪に閉ざされる。その間に準備を整えれば、春にはあのルードともおさらばだ。  ぽん、と高く放り投げた魔石。落ちてきたそれを受け止めて、ダグは機嫌よく口笛を吹いて歩いた。

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