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第20話

 潮時だな、とダグは思った。  マナクを殺して、十日余り。  マナクのクルトゥが発見されたせいで、想定よりもずっと早く彼女の死が明るみに出てしまった。  春まで、とは言わないが、もう少しのんびり過ごすつもりだったのに、カナンは余計なことをしてくれたものだ。  マナクが殺されたとあれば、普段から折り合いの悪かった自分が疑われるだろう。  現に、ダグの本質を一番近くで見てきたカウルなどは、真っ先に射殺しそうな殺気をぶつけてきた。すぐに隠してしまったが、感情を殺すのはまだ得意ではないらしい。  かわいい奴だ。仕掛ける前に獲物に殺気を悟らせては、狩れるものも狩れないというのに。  その時のことを思い出し、ダグはくくっと喉を鳴らす。  疑われるのは構わない。どうせここの連中は、秩序がどうのと生温いことを言って、証拠もなしに糾弾は出来ないのだから。  マナクの葬儀中、カウルの意識が自分から逸れたことを確認して、ダグはルードを抜け出した。  馬鹿な連中だ。  疑わしいなら、さっさと拘束してしまえばいいものを。秩序だか家族の情だか知らないが、そんな悠長なことを言っているから、こうして罪人に逃げられるのだ。  そのまま去る、という選択肢はなかった。まだやりたいことがある。そのための探し物をしている最中にルードを出る羽目になったのは想定外だが、こうなっては些事だ。  ダグは周囲を警戒しながら、とある洞窟にするりと体を滑り込ませた。暫く進んだ先に、更に深部へと続く入り口がある。一見すると上部から崩れた岩が折り重なっているようにしか見えないその場所は、入り口が簡単には見つからないようダグが整えた。こういった工作は、昔から得意だ。  深部は、源脈に程近いのだろう。流動しているとはいえ精氣が濃いため獣も蟲もあまり近寄らない。魔物にとっては源洞も源脈もいずれ至る己の墓場だ、今向かう理由がない。  奥へ進む程、精氣に磨かれ続けた岩壁が淡く光る空間になる。そこは美しいが、息吹く生命のない、死の世界だ。  この土地に着いて、誰よりも先にここを見つけられたのは運がいい。隠処(こもりど)として、これ程最適な場所はないのだから。  慣れた足取りで更に奥へ向かい、拓けた空間に辿り着いた。その一角。岩場の影に隠すように、それはある。  山と積まれた乳白色の毛皮。  そして魔石。 「さて、最後に一狩りしますかねえ」  ――――  傭兵から魔石を買い取り、ダグが最初に試したのは兎獣の狩りだった。  兎獣の巣穴を見つけ、剥き出しの魔石を差し入れるだけ。後は放っておけば、充満した精氣に驚いた兎獣が別の穴から飛び出してくる。精氣に酔った兎獣は遠くへ逃げることも叶わず、気を失って、おしまいだ。  あまりにも容易い狩りだった。  この方法は精氣の影響を受けない魔物には通用しないが、獣ならばどうとでもなる。  そういえば、この辺りはスムーの生息地ではなかったか。それも、内地では人気の冬毛になる季節だ。この方法で狩るなら毛皮も傷付かない、兎獣などより余程金になるだろう。  それに気付けば、行動は早かった。まずは巣を見つけるところからだ。スムーは危険を感じると木に登る習性があるため、古木の虚やその側の地面に巣を作る。見つけてしまえば、後は兎獣と同じだ。  巣穴に魔石を差し込み、様子を窺う。  やがて巣穴を飛び出してきたスムーは予想通り木を駆け登るが、勢いがよかったのは最初だけ。木の上でよろよろと体勢を崩し、ついには気を失い落下する。  遠くへ走り去ろうとする兎獣よりも、楽に捕えることが出来た。 「こんなんでいいのかよ」  笑いが止まらなかった。  これならいくらでも狩れる。しかも毛皮が傷付かないのだから、最高だ。  武器や罠を使い、神経や時間を磨り減らしながら狩りをするのが馬鹿らしくなる。  ダグはそれから雪が深くなるまで、この一帯のスムーの巣穴を徹底的に調べ上げた。雪が降る前であれば痕跡も見つけやすい、巣穴の場所さえ把握していれば、狩りなどいつでも出来るのだ。  生態系への影響などに興味はなかった。自分が楽な生活をするためにスムーの存在は都合がいい。ダグにとってはそれ以上にも、以下にもならない。  身勝手だと言われれば、その通りだとダグは笑うだろう。  雪が積もり始めれば、本格的に狩りを始めた。  それは呆気ない程順調に進む。スムーの巣を探す過程で見つけた隠処には、日に日に毛皮が積み重ねられていった。 「こんな光景、ルードの連中が見たら怒り狂うだろうな」  それはどうにも、甘美に思えた。  魔石を使った狩りを続ける内に、ふと、ダグは気付く。  己の内の変化。  最初は、軽い酩酊。魔石は慎重に扱っていたが、それでも影響は徐々に表れた。  次は持続的な興奮状態。気が立つことが増えた。暴力性が増した。元から刹那的で快楽主義な面があったが、近頃はそれに拍車がかかっている。  濃い精氣に晒され続けることで、より本能的になっているのだろう。  自覚はしていたが、どうと思うこともなかった。寧ろ酩酊は心地好く、暴かれていく己の性根を、面白いとさえ思っていた。  その日も、狩りを終えた後だった。  隠処へ向かう道中、別の洞窟の近くでピュリエンを狩っている狩人を見かけた。  マナクだ。  ダグより三つ年上の女狩人。真面目なばかりで融通が利かず、何かにつけてダグを見下す不愉快な女だ。アクロに惚れているところも気に食わない。そのアクロにまるで相手にされていないところだけは、惨めで滑稽で、愉快だった。  この時ダグの体の芯を、抗いがたい暴力衝動が駆け抜ける。  雪を踏んで、マナクに近寄った。 「誰だ」 「よおマナク」 「……ダグか。何の用だ」 「別に用はねえよ。狩り場を探してうろついてただけさ」 「狩り場を? お前が? はっ、つくならもっとマシな嘘をつけ」  マナクはダグを視界に入れたくないのか、さっと背中を向けてしまう。その背中に飛び掛かってしまいたい欲望を捩じ伏せ、ダグは大仰に嘆いて見せた。  まだだ。  あの背中は警戒心に満ちている。 「つれねえなあ、折角いいもん見せてやろうと思ったのに」 「いらん。用がないなら早くどこかへ行け」 「まあまあ、そう言わずに見てみろって。これ、なーんだ?」  心底嫌そうに視線を寄越したマナクは、ダグに吊るされた乳白色の獣の姿に目を見開いた。 「スムー!? お前、どういうつもりだ、まさか故意に狩ったのか!?」  にやにやと笑うダグに詰め寄るマナクは、しかしその胸ぐらを掴み上げる前に後方に大きく飛び退く。 「お前……何だ、その臭いは」 「ええ? 傷付くなあ、俺臭い?」 「ふざけるな! これは、精氣の、……いや、ここまできたら、瘴気の……」 「はははっ、わかるもんか? ほら、これが答えだよ」  ダグはマナクに向け、それを投げて渡した。放物線を描いて寄越されたものを、マナクは咄嗟に受け取ってしまう。  手の中に収まったそれの正体に気付いた瞬間、マナクはひゅっと息を吸い込んだ。  ────魔石。  見たこともない程、巨大な。  振り払うように手を離すが、至近距離で浴びた濃い精氣にぐらりと視界が揺れる。 「こん、なもの、一体どこ、で……」  とす、と。  胸に軽い衝撃。マナクは自分の胸元を見下ろし、ダグを見る。その手には弩があり、矢は。  既に放たれた矢は、今。  胸に。 「ダグ……貴様ッ!!」  咆哮は喉から競り上がる血に濁った。  反射的に握ったクルトゥ。擲つ。クルトゥはダグの肩に深く刺さり、しかしダグの接近をとめることは出来なかった。  片膝をついたマナクの顎を、ダグは迷いなく蹴り上げる。仮面が弾け飛び、マナクはなすすべなく、後ろへ倒れた。  矢は、心臓を貫いているのだろう。マナクの目は既に虚ろで、唇が震える度にゴポッと血があふれる。 「アッハハ! イイ顔!」  ダグはマナクの腹を踏み、その眉間に弩を突きつけた。 「そんで、イイ気味」  引き金が、引かれ。  びくり、と大きく痙攣した体は。それきり、動かなくなった。 「はははっ、アハハハハッ! 何その面すげえ笑える、白目剥いてみっともねえったら! お前にはお似合いだぜ、アバズレ女!」  人を殺した興奮、爽快感、肩の痛みと、理由のない怒り、ダグの体内でそれらが激しく渦巻き、激突して、嘲笑となり、喉から迸る。  衝動のままマナクを蹴りつけ、無抵抗にぐにゃぐにゃと跳ねる体にまた嗤った。 「ああ、生きてる内に犯してやろうと思ってたのに、忘れてた」  はた、と。嗤うのをやめると、急激に思考が冷えてくる。今からでもそうしてやろうかとも考えたが、死体を相手に勃つ気がしなくてやめた。  肩からクルトゥを引き抜く。血は、思った程出なかった。精氣が傷を修復しているのだ。  ダグは傷に構わずマナクの髪を引っ張り、ピュリエンが潜むだろう洞窟の中に投げ込んだ。ついでにクルトゥもその中に投げ捨てる。  ノマの狩人はその殆どが単独行動だ。都合のいい狩り場選び、罠の設置や待ち伏せなどの理由で、数日帰らないこともざらにある。  つまり、ルードの連中はマナクの不在に暫くは気付かないということだ。  ここはピュリエンの棲む洞窟だ。ルードの連中が気付く間もなく、マナクの死体はピュリエンが片付けてくれるだろう。奴らは獲物が生きていようが死んでいようが気にしない。食えるものを食う。  マナクの、見目だけはいい体が蟲ごときに群がられ貪られる様を想像したら、堪らなく高揚した。 「やっぱ犯しときゃよかったか」  ひひっ、酷薄に笑い、ダグは魔石を拾い上げる。  呆気ない。  実に呆気なく、人を殺した。  とろけるような酩酊感。最高の気分だった。これが魔石の影響か否かなどはどうでもいい。  もっと殺したい。  もっと殺したい奴がいる。  あれだ、あれを殺そう。あれは今、ルードの外で何かをしている。何かを匿っている。見つけてやろう。見つけて、暴いて、奪ってやろう。  ああ、とても楽しみだ。  ――――  ガサガサガサッ。  巣穴の中で獣が暴れる気配がする。いつもなら、既にスムーは飛び出して木を駆け登っている頃合いだ。  ダグは警戒して巣穴に弩を向ける。  ミシミシと生木を裂く音がして、訪れる静寂。  次の瞬間。  ギイイイイイイッ!! 「────は!?」  不快な金切り声を上げて、スムーの巣から飛び出して来たのは、通常のスムーより遥かに巨大な獣だった。  発達した爪と牙でダグに向かい飛び掛かる。後退しつつ弩を放つが、口の中に矢が突き立てられてもそれはとまらなかった。  肩に、衝撃。最初に感じたのは熱で、痛みは後から追ってきた。  肩の肉を、抉り取られている。 「ッ獣風情が!!」  激昂し、矢継ぎ早に弩を撃ち込んだ。初撃の負傷でふらついていた獣に、それらを避ける力は残っていない。  ありったけの矢を撃ち込まれ、針鼠獣のようになった獣がその場に崩れ落ちる。  肩で息をするダグは忌々しげに舌を打った。ここが、事前に調べた最後の巣穴だったのに、こんな外れを引かされるとは。 「クソッタレ!」  こんな毛皮は売れない。売れないなら用はない。ダグは獣の死骸を蹴飛ばし、魔石を拾うとその場を後にした。  後は殺すだけだ。  あれを殺すだけだ。  あれのものを暴いてから、奪ってから、殺してやれば、この程度の苛立ちなんてどうでもよくなる。あの女の時とは比べ物にならない程、きっと最高の気分を味わえるだろう。 「お前は、どんな顔をするだろうなあ」  ひひっ。  その笑声は、闇に潜む魍魎を思わせた。

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