19 / 20

第19話

 移動民族であるノマは、墓を持たない。  死者が出れば、丸一日をかけて火葬する。火葬の際の煙とともに魂は星へと還り、再びよすがを得るその時まで、オルシュアの元で眠るのだ。 「賢く勇敢だったマーナヴェリグ、オルシュアはお前の気高き魂を慈しむだろう」  還る魂が迷わぬよう、精名をもって送り出し、砕いた骨を大地に撒く。  誰もが、彼女の死を悼んでいた。 「ダグがいなくなった?」  マナクの弔いを終えたルード内は、殺伐とした雰囲気に包まれていた。  ノマの民は、弔いの最後に酒宴を張るのが慣わしだ。火を囲んだ子供たちが火の精霊を模した衣装で歌い踊り、普段よりもほんの少し豪華な食事と、普段は飲まない酒を飲む。  賑やかに、快然と。そうすることで還っていった魂が、家族たちを懐かしめるように。次のよすがが、また我らと繋がりますようにと。  ただし、ことが人による殺人の場合、話は別だ。  その場合葬送を済ませたノマが行うのは宴ではなく、罪人の特定、そして報復である。  やられたままでは済まさない。命には命で償いを。例えそれが、家族であっても。  否、家族であればこそ、尚更。 「砕骨までは、姿を確認している」  酋長の元へ駆け込んだカウルは、己の失態を罵る内心を押し殺し事実だけを報告する。  マナクの体には二ヶ所の矢傷があった。  ひとつは頭、眉間から後頭部までを貫いた、恐らく直接の死因となった一撃。これは折れた矢そのものが頭蓋に残されていた。仮面があれば防げていたかもしれないが、マナクの遺体の周辺に仮面は落ちていなかった。  もうひとつは胸に。ピュリエンの溶解液に晒された骨も皮膚も、強く掴めばバラバラと砕けてしまう程脆くなっていたが、それは確かに、ピュリエンに荒らされたものとは違う人工的な穴だった。  丁度、心臓の上。致命の一撃となったのはこちらだろう。  マナクは何らかの隙をつかれて、初撃を食らった。クルトゥで反撃をしたが、初撃の負傷があまりに大きく、撃退には至らなかった。仮面を失う何かがあって、至近距離から頭を撃ち抜かれた──というのが、遺体を検分したカナンの見解だ。  矢は、弓ではなく弩で使用するものだった。  ノマで使用する弓は、魔物の硬い皮膚を貫くための強弓だ。膂力も技量も並以上に必要だが、その分威力は凄まじい。人に当たればその部位は弾け飛ぶだろう。  対して弩にはそれ程の威力はないが、扱い易く技量も差程必要としない。ノマでは膂力の足りない者や、弓の威力への拘りのない者、そして狩人ではない職人たちが護身用に使用している。  弓を使う者が弩を扱えないわけではないが、携帯をするならどちらか一方だ。二種類の矢を持ち歩くのは単純に効率が悪い。更に、普段弓を使う狩人が弩を持ち出していたら、誰かしらの目に止まるだろう。  勿論、密かに持ち出した弩を、予め拠点外のどこかに隠していたという可能性もあるが、マナクに対し、それ程周到な殺意を抱く狩人に心当たりがなかった。  ただひとりを除いて。  弓使いたちではない。ましてや、拠点を離れない職人たちではあり得ない。このルードで弓を使わない狩人は六人。  その内のひとりが、ダグだ。  ダグが弓を使わないのは、修練が必要だからだろう。最低限の狩りさえ出来ればいい、ダグはそう考えている。腕を上げる必要性を感じていないのだ。  そんな怠惰なダグは、真面目なマナクと折り合いが悪かった。  マナクが殺されたと聞いて、カウルは真っ先にダグを疑った。だが同時に、まさか、とも思った。  ダグはとにかく怠惰な男だ。  旅を厭い、狩りを厭い、それよりも街で働くことをより強く厭うため、ノマを嘲笑しながらもルードを出ない怠け者だ。  そんな男が、いざこざの最たるものである殺人を犯す? 違和感しかない。だが他に考えようもなかった。  証拠はない。だから糾弾することも出来ない。証拠もなしに無闇に疑惑を振り撒く行為は、集団の秩序を乱すとしてルードでは厳しく禁じられている。  猜疑心は人の凶暴性を増長させるものだ。  誰かひとりが石を投げれば、必ずそれに続く者が現れる。石を投げられた者が真実、罰を受けるべき者であるかどうかは重要ではなくなり、罰をくだすことそのものが目的になるだろう。  思考をとめてはいけない。  自らの手で、真実を葬ってはいけない。  だからルードでは、ただの疑惑を公然と口にすることは禁忌とされていた。  必要なのは感情ではなく、真実にたどり着くための情報だ。ならばとカウルは、ダグから目を離さないようにしていたのだ。  違うのなら、それでいい。実際、カウルの知るダグならば、面倒事はのらりくらりと避けるだろう。こんな騒動は、決して起こさない。  だがダグは姿を消した。誰にも言わず、逃げるように。  目を離したのは一時。  散骨を見届ける時だけだ。マナクにはよくしてもらっていた。彼女との別れ。これが最後だと思ったら、惜しくなってしまった。 「俺の失態だ。疑っていたのに、目を離すなんて」  酋長は苦く目を伏せる。  カウルはまだ十五だ。成人しているとはいえ、体も心も、完成しているとは言えない年齢だというのに、親しくしていた者の死を悼む時間すら許されないとは。  その上、疑う相手は血を分けた兄ときている。  例えいがみ合う相手だとしても、その心中は複雑だろう。 「みなの同行に目を光らせていなければならなかったのは私だ。お前が責任を感じる必要はない」  群の長は、すべての家族に平等でなければならない。  人間であるがゆえに当然、感情もあれば思うところもある。それでも己の中の個を切り捨て、全の秩序を優先することが出来なければ、集団の未来には自滅しかない。  だがそのせいで、消極的になりすぎてはいないか。  そのせいで、家族たちの心から目を逸らしてはいないか。  少なくとも、家族との別れを惜しんだだけの若者に謝罪をさせるような現状は、誰も望んではいない筈だ。 「急ぎ、狩人らを呼んでくれ」  若者の肩を叩く。  先導者は、選択した。 「ダグを捕える」  ◇ ◇ ◇  酋長の指示の元、狩人たちが二人組、或いは三人組となりダグの捜索を開始して、三日目。  集会用の雪洞に集った狩人たちが、情報を開示し合う。  ダグの行方に関する目ぼしい手掛かりはなかったが、一組の狩人が気になることを言い出した。 「ダグは、強力な魔石を所持しているかもしれない」  冬籠り中の街まで捜索の足を伸ばした狩人だ。  眠りについた街の中でも、問題が起これば対処をする機関が必要だ。その街では街主館と自警団、傭兵ギルドが機能している。街門を守る自警団に話を聞き、冬の間に保護をした旅人の顔も確認したが、そこにダグはいなかった。  街には来ていないのだろう。だが念のためだと、狩人たちは傭兵ギルドを訪れた。 「受付と話をしている最中に、一人の傭兵が口を挟んできた」  併設された宿泊施設から降りてきた傭兵は、受付で話される男の特徴に心当たりがあるようだった。  初めの内は「彼はノマだったのか」と驚きながらも穏やかな様子だったが、その人物が問題を起こして逃亡中であり、それを捜索しているところだと話すと顔を強張らせた。  曰く、彼に命を救われた、何かの間違いでは、と。 「話を聞くと、冬籠りの前にダグと遭遇し、魔石で精氣酔いを起こしていたところを助けられたようだ。その後ダグに魔石を売り渡したらしい」  ダグが人助けなど、そちらの方が何かの間違いではと思ったが、魔石が目当てだとしたら寧ろ納得が出来る。 「精氣酔いを引き起こす程、大きな魔石だったのか」 「誇張されていなければ、拳大はあったそうだ」  その場にいる者が一斉に息を飲んだ。  魔物を相手取るノマは当然、内地の人間よりも魔石に触れる機会は多い。そのノマであっても、それ程大きな魔石は見たことがなかった。 「数百を生きた魔樹が有していた魔石でも、胡桃程度の大きさだったが……」 「あれでさえ呼び込む精氣は凄まじかった」 「ダグは何を考えている」  ノマは魔石を不吉なものとして扱っている。  元々はそうではなかった。精氣を呼び、それが瘴気となることも、時に人の肉体を蝕むことも、留意し警戒すべきことではあっても、不吉とは捉えない。  ノマにとって魔石が不吉となったのは、内地で破格の値がつけられるようになってからだ。  金は、人の心を狂わせる。  内地の人間も、ノマであっても例外ではない。過去には魔石を巡った争いで人死にが出たこともあるという。  そのためノマが魔石を入手した場合、持ち出しを固く禁じ、源洞を探すのだ。  精氣の源である源洞に存在する泉。正確には、泉そのものが、洞だ。死期を悟った魔物が、還ろうとする場所だ。泉に沈めた魔石はたちどころに分解され、循環にとける。  争いの種になるのならば、手放してしまった方がいい。元より循環に還りたがる存在だ。あるべきものを、あるべき場所へ。それがノマのやり方だった。 「そのように巨大な魔石、下手に扱えば国一つ……いや、大陸全土が傾くぞ」  それは大金が動く、というだけの話ではない。  例えばその魔石を街中の目立たない場所に安置すれば、ほんの数日で街は瘴気に覆われることになるだろう。住民は死に絶える。そして瘴気は拡大し、徐々にだが、確実に、大陸を蝕んでいくのだ。  魔石は、どんな武器よりも強力で無差別な兵器になり得る。傭兵の話が本当であれば、マナクの件とは別に、一刻も早くダグを捕えなければならない。 「しかし、もうこの辺りにはいないのではないか」 「……私は、そうは思わない」  アクロだった。 「何故そう思う」  問われ、一瞬の躊躇。しかしアクロは諦めたように声を絞り出す。 「マナクを殺した罪人が、ダグではないなら、わからない。だが本当にダグの所業なら、きっと、マナクだけでは終わらない。彼が一番憎んでいるのは…………私だろうから」  アクロは、家族みなを大切に思っていた。ダグに対しても、同じだ。多少の問題があったとしても、家族は家族だ。大事な弟だ。  だが、ダグにとってはそうではないことも、わかっていた。それでも構わなかったが、ことは最早、アクロだけの問題ではなくなってしまった。 「ダグなら、私を殺したいと思う筈だ。どこか近くで、機を窺っているだろう」  捜索は続けられた。  狙いがアクロであるという想定の元、範囲をルードの周辺に絞った精到な捜索。  およそ半日後に見つかったのは、瘴気に近い精氣の残り香と、歪に変容した、スムーの死骸だった。

ともだちにシェアしよう!