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1-9 お仕事紹介します

 木々が揺れ、葉が擦れ合う音が聞こえる。ウグイスや名もわからない鳥の声も、瑪且の耳に届く。障子戸に遮られて淡くなった日差しに気付き、そっと瞼を開くと目の前に美しい造作の顔が柔らかい表情で己を見ていた。 「おはよう?まお」  葛葉が更に目尻の皺を深めて、瑪且の頬を撫でた。それがとても心地よくて、開いたはずの瞼が再び落ちそうになる。 「よく眠っていたね」  心地よい愛撫に微睡みながら周囲へ視線を向ける。夜は開けて、明るい日差しと庭に来訪する鳥達の声、暖かな温度にすっかり寝こけていたことがわかった。  『瑪且』の仕事は体力も気力もひどく削がれるので、いつも終わった後は回復のために長く寝てしまうことが多い。特に調教部屋を使った時はそれが顕著であった。しかし、歴代の『瑪且』の中には、仕事の度に体調を大きく崩す者もいた中で、今の瑪且はとてもタフだった。 「ん…、今、何時ですか?」 「…、ふふ…さっき12時を過ぎたよ」  瑪且の掠れた声に、葛葉が口元を歪める。叫ぶような喘ぎに、喉がやられてしまったようだ。労るように葛葉の指が、瑪且の喉仏を触った。    調教部屋よりもやや狭い和室の中央、一式の布団の上で瑪且と葛葉は向かい合って横たわっていた。葛葉の服装が洋服から寝巻き用の浴衣に変わっており、瑪且も自分の姿を見ると体は清められて浴衣を着用していた。  おそらく儀式が終わった後、葛葉が瑪且を清め寝巻きに着替えさせて、この布団へ横たわらせたのだと思われた。本来、当主はそこまで『瑪且』の後始末をしなくても良いのだが、葛葉はなぜか嬉々として瑪且の世話を昔からしていた。  年齢が離れているからかなと瑪且は思いつつふと己の胸元に違和感を覚えて、浴衣の前を少しはだけて中を確認した。 「え?」  思わず声を上げる。葛葉が気付いて「ああ、手当てしといたよ」とさらっと告げた。  なんと両乳首に、肘などに貼る四角い絆創膏が貼られていたのだ。 「あまりに赤く腫れ上がっていたからね。薬を塗って、服で擦れないように。一応ね」 「っ、…」  たしかに手当てなのだが、卑猥さを感じるのは自分だけだろうかと葛葉を見るが、いつも通りの笑みで真意が探れなかった。  瑪且が訝しげに葛葉を見ていると、不意に葛葉が「あ、そうだ。まおに聞きたいことがあったんだよね」と思い出したように言って、眉尻を下げて瑪且の顔を覗き込んできた。 「まおはもう…僕のこと嫌いになってしまった?」 「ブッッ」  思わず吹き出す。葛葉が年齢にはそぐわないが、顔面にはそぐう上目遣いで見てくる。 「まお?」 「いや、あのですね…それは…」  もちろん、瑪且も覚えている。怒りに任せて言ってしまった恥ずかしい言動だ。葛葉が本気で心配しているのではなく、からかっているのも分かっていて、いっそ「そうですよ」と言ったらどうなるのかなと脳裏を掠めた。しかし、そんなことを言ったあかつきには、更なる羞恥に襲われることが分かりきっていて、「…嫌いじゃないですよ」と懸命な回答を返す。  だが、その回答では満足しなかったようで、葛葉が更に「それはどういうこと?」と尋ねてきた。 「どういうって…そのままの意味ですよ」 「んー?嫌いじゃないっていうのは、つまりどういう気持ちでいるってことなの?」 「…」  葛葉が何を言わせたいのか、すぐに瑪且は気づいた。幼い頃から葛葉は小さかった瑪且に「まおは僕のこと好き?」と聞いては「くーはしゃん、しゅき!」と言わせていたらしい。  たしかに中学生と幼児のやり取りであったなら可愛らしい内容だが、成人を過ぎた男同士がやるにはあまりに恥ずかしいやり取りだ。 「だから、嫌いじゃ…っ、ンアっっ」  しかし、どうしても言わせたい葛葉の指が、絆創膏の上から乳首を撫でた。 「っっぅ、ぁ…ッ」 「まーお?教えて?」  すっかり開発されたソコは、男性器の先端と同じような快感を拾い、瑪且はビクッビクッと震える。甘い声が漏れぬように口元を咄嗟に押さえた。  仕事中はともかく、素面の時に自分の甘い声を聞くのは耐え難い。    これはさっさと負けた方が良いと、両乳首を引っ掛かれながら指の隙間から喘ぎと共に「んッぁ、す…好きっ、好きで、すっっ」と答えた。  その瞬間、非常に満足そうに葛葉が微笑んだかと思うとゴトンッと何かが落ちる音が、葛葉の背中側から聞こえた。葛葉が後ろを振り返り、瑪且もその視線の先を見る。  開かれた障子戸の先に、朱紀が立っていた。片手には丸い漆塗りのお盆があるが、何も乗っていない。朱紀の足元にペットボトルの水が転がっており、おそらく瑪且用の飲料水として乙人から渡されたものだった。  目頭をピクピクさせ、顔を歪めた朱紀と視線が合う。つくづくタイミングの悪い男だなと瑪且が思っていると、いつもなら罵倒するはずの声もなく朱紀はお盆を床に叩きつけて走り去っていった。  きょとんと瑪且が目を丸くしていると葛葉がクスクス笑う。 「まおは覚えてるか分からないけど、調教の時に勃っちゃってね?後で一人で処理したみたいだよ?」 「…、そう…ですか」  そういえば、気絶するように眠る直前、そんなやり取りがあったなと思い出す。しかし、自分をズリネタに処理をされたのかと思うとすごく気まずい思いになり、できれば聞きたくなかったと瑪且が苦い顔をする。そんな瑪且の胸中を分かっているのかどうか、葛葉はいつもの涼しい顔で起き上がりながら「さ、お腹空いただろう?ご飯を食べに行こう」と手を差しのべた。  その後、居間の透かし彫りの入った天然木材の座卓の前に座り食事をしていると、更に瑪且の顔が苦く歪むことになる。  大型インチのテレビからはニュースが流れていた。   『今朝、腕を切られる事件が都内の各地で、ほぼ同時刻に発生しました。被害者は皆男性の模様です。目撃者によると、急にどこからか強い風が吹いたかと思うと悲鳴が聞こえ、男性の腕がなにか鋭利な物で切られたかのようになっていたとの話です。更に警察が調査をしたところ、被害男性達はSNSにて「痴漢同盟」というグループのメンバーであることが判明しております』  結構活きが良かったのは、1人の生き霊でなかったからかと納得しつつ目の前で優雅に焼き鮭を解している葛葉へ困ったような視線を瑪且が向ける。 「葛葉さん…?これは…?」 葛葉はにっこりと破顔した。 「生き霊は、残念だけど抹消してはいけないからね」 「いや…そういうことじゃなくて…」 「腕が使えなくなる程度、命がなくなるよりやすいだろう?」 「そうですけど…そうじゃなくてですね…」  瑪且は眉間に寄せた皺を、箸を持った指で押さえる。 (だから、やりすぎなんだってば…っ)  科学の発展したこの社会で、色情霊に限らず霊退治などという非科学的なものはとても異質なのだ。そのため、できるだけこっそりと対処するというのが、陰陽師達の中で通例となっている。  真っ昼間からこんなニュースになることなんて、御法度だ。  相変わらずすることが激しいと頭を痛めていると、乙人も葛葉と瑪且用に茶を入れながら「あまり目立ったやり方をすると、また表から色々言われますよ」と瑪且の言いたいことを汲んで告げてくれた。 『表』とは『表安倍』のことである。  また会合の時に面倒だなと辟易しつつ葛葉を見やる。葛葉は首を小さく傾げて、悪いことをしたと寸分も思っていない様子で微笑んだ。  『安倍野葛葉』。ーーー『一条瑪且』の仕えるべき主。  美しく聡明で、歴代の中でも力が強く完璧な男だが、悪戯好きで唯我独尊、身内には甘いが外には容赦がない。そんな主のために、瑪且は文字通り身を捧げて色情霊を払う。それが瑪且の仕事。一生の役目だ。  心身共にきついし、色々思うところは正直ある。しかし、産まれた時から決まっており、自分ではどうにもできないし、なんだかんだ言って主に大切に扱われているのも分かるので、まぁとりあえず良しとしようと思っている。  でも、やっぱり面倒事はなるべく起こして欲しくないとも思い、楽しげに笑っている主を見ながら瑪且は深いため息をついた。   1.お仕事紹介します 終

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