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煌めくルビーに魅せられて番外編 吸血鬼の執愛31

***  玲夜さんのあの夜の顔が忘れられなかった。  手首を掴まれたときの強さ。すぐに離してくれた震える手。そして帰り際の、苦しそうな「抑えきれなくなる前に」という言葉。  もともと怖いはずの吸血鬼なのに、あのときの玲夜さんの方がずっと、傷ついた動物みたいで放っておけなかった——見て見ぬふりをするのが、昔からどうしてもできない性分だから。  それで別日、僕は授業が終わるとそのまま研究室へ向かった。ノックをすると、ゆっくり扉が開く。 「……瑞稀くん?」  予想していなかったらしく、玲夜さんは目を見張った。前より少し痩せたようで、顔色も悪い。 「玲夜さんこんにちは。……この前、急に帰ってしまってごめんなさい。体調どうかなって」  俺がそう言うと玲夜さんはほんの一瞬だけ目を伏せ、困ったように笑った。 「優しいね、君は……。そんな顔で来られたら嬉しくて……どうしたらいいのかわからなくなる」  その声に、なぜか胸が締めつけられた。 「無理してませんか?」 「無理……してるよ。君の前だから、特に」  理由を聞こうとしたのに、玲夜さんは俺から目を逸らしてしまう。  机の上には飲みかけの紅茶、研究書類、そして以前採血したときの器具が片付けられずに残っていた。 「もしかして……寝てないんじゃないですか?」 「寝たくても眠れないんだ。頭の中から……瑞稀くんが離れなくて」  胸が一度だけ、強く跳ねた。 「ど、どういう意味ですか……?」  問い返すと、玲夜さんは額に手を当てて苦しげに息を吐いた。 「君の声も、体温も、匂いも……全部、残ってしまって。ダメだってわかってるのに……止められない」  俺は思わず玲夜さんに歩み寄った。怖いというより悲しそう。何かを抱え込みすぎて、壊れそうで手を差し伸べたくなる。 「玲夜さん……」  そっと手を伸ばし、彼の額に触れた。熱い、やっぱり具合が——。  その瞬間、玲夜さんの手が僕の手首を包み込んだ。前回のように強くない。震えて、迷って、縋るような力だった。 「触れられたら……余計に抑えられなくなるよ」 「でも放っておけません」 「優しくしないで……瑞稀くん。僕は……」  そこで言葉が途切れ、玲夜さんはゆっくりと顔を上げた。マサさんに似た赤い瞳が、俺の目をまっすぐ捉える。吸血鬼本来の色なのに、そこには欲望だけじゃなく、痛いほどの切なさを感じた。  玲夜さんは何かを言いかけて、唇を噛みしめた。逃げ場を探すように視線が揺れて、それから——。 「……君に恋をしてしまった」  告げられた言葉に、頭が真っ白になった。 「だめ、ですよ。だって俺には——」 「雅光さんがいる。わかってる。でも、それでも……止まらない」  距離が、いつのまにか指一本ぶんしかなくなっていた。 「ごめん、瑞稀くん」  掠れた声が落ちた瞬間、唇が触れた。ほんの一瞬。柔らかくて震えた必死なキスを、固まったまま受け止める——拒むはずの体がなぜか逃げなかったことに、あとで気づく。  数秒後に自ら離れると、玲夜さんは今にも泣きそうな表情で俺を見た。 「君の恋人に嫉妬して……苦しくて……でも、どうしても一度だけ触れたかった」  息が止まるほど切ない告白だった。  僕は何も返せない。返す言葉が見つからなかった。不意に、マサさんの顔が頭をよぎる。  玲夜さんは僕の肩に額を押し当て、かすかに震えた声で続けた。 「……もうしない。だから、そばにいてほしい。好きだよ、瑞稀くん」  その声が甘く、苦しく、胸の奥に深く沈んでいった。何かを言おうとしても声にならない。胸が早鐘みたいに鳴って、頭の中がぐちゃぐちゃだった。 (……なんで、キス……?)  目の前には、さっきまでずっと優しかった玲夜さんがいる。その唇が僕に触れたばかりで、赤く震えていた。 「……っ……玲夜さん……」  やっと声を絞り出すと、玲夜さんは眉を寄せて目を伏せた。 「ごめん……本当にごめん。君を困らせることをして……」  謝られているのに、胸のどこかが痛い。嫌ではなかったという感情が、罪悪感を倍にしてのしかかってくる。 (マサさん……俺、どうしたら……)  マサさんの笑顔が脳裏に浮かぶ。優しくて、守ってくれる恋人。ずっと支えてくれた、大切な人。それなのに俺の唇には、まだ玲夜さんの温度が残っている。 「……違うんです。嫌とかじゃなくて、ただ……どうしていいのか……」  気づくと、肩が震えていた。涙がこぼれる寸前で、なんとか目を閉じて耐える。玲夜さんはそんな俺を見て、更に苦しげな顔をした。 「泣かないで瑞稀くん。君を追い詰めるつもりじゃなかった」 「でも……だって……俺、マサさんがいるのに……っ」  いけないことをしたのだと頭が叫ぶ。でも胸は、まるで別のことを訴えている。 (どうして苦しいのに、こんなに心が揺れるんだ?)  罪悪感と混乱が絡み合って、呼吸が浅くなっていく。僕はその場から一歩下がろうとしたのに、玲夜さんがそっと俺の肩を掴んだ。  強くはない。ただ、触れたかったという気持ちだけが伝わるような、弱い力が伝わってくる。 「本当に……好きなんだ。初めてなんだよ、こんなふうに誰かを愛おしいと思うのは」  そんな言葉を言われたら、心臓が壊れる。 「でも……瑞稀くんが困るなら僕は距離を置く。嫌われても仕方ない」  玲夜さんの声が震えている。その震えが、俺の胸に深く刺さった。 (やめてよ……そんな声で言わないで……)  そこまで考えた瞬間、俺は頭を強く振った。 「……少し……考えたいんです」  情けないくらいの声しか出なかった。 「わかった。君の気持ちが最優先だから」  とても優しい声だった。それがまた俺を追い詰める。扉に向かう足取りはふらついていた。  出口の前で振り返る勇気もない。ドアノブに手をかけた瞬間、胸の奥で何かがひどく軋んだ。 (マサさん……ごめん。俺、どうしてこんな……)  そしてもう一つ。絶対に考えたくなかった言葉が、胸の奥でうっすら形になる。 (……玲夜さんに触れられるの、怖かったけど……嫌じゃなかった)  その事実がいちばん苦しくて——そして、いちばん罪深かった。

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