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「おや? その格好……もしや、下界へ行かれるのですか? また女将からの無理難題な頼み事ですか?」
「いえ、甘果が残り僅かで、行商人の方もいらしていないみたいなので、下界で買ってこようかと」
「あぁ、甘果ですか。私が琥珀糖を作るのに、少々多く使ってしまったせいかもしれません。あまりにも急ぎだったもので、帳簿にも書かずに、苺へもお伝えするのを忘れていました。申し訳ありません」
「いえいえ! 月下お兄様が謝ることありません。在庫管理を怠っていた苺の責任ですから」
「……そういえば、通行証の行き先は見ましたか? 良ければ、見せて頂けませんか?」
苺は少し疑問に思いつつも、ショルダーバッグから通行証を月下に手渡した。
「最近、字が達筆なんですよね。――お金以外は本当に無頓着ですからね」
「月下お兄様! 女将に聞かれたら、大変なことになりますよ!」
苺は冷や冷やしながら、月下を注意した。月下は口に手を当て、小さく笑った。そして、月下は通行証をチラリと見ると、ニッコリしながら、苺の手を下から掬い上げ、釣り銭を握らせるように苺へ通行証を手渡した。
一瞬、手の間から青白い光がぼんやりと漏れ出したような気がして、苺は思わず二度見した。
「大丈夫みたいですね。何かあったら、助けを呼ぶのですよ。私は心配でたまりません」
「月下お兄様、大丈夫です。逃げ足だけは速いので。何かあれば、助けを求めます」
「ふふっ。苺がいない間は私がなんとかしますので、安心してくださいな」
月下はそう言うと、苺を優しく抱き締めた。苺は月下に頭を下げると、先を急いだ。
「では、行って参ります」
「くれぐれも盗賊には気を付けてよ。お金を盗まれたら、一大事だから」
苺は相変わらずだなと思いながら、茶屋を後にした。
着物姿以外で遊郭の外へ行く事自体、滅多にないのに、これから数年振りに生まれた地へ降り立つと思うと、苺は変に緊張した。
「言った手前、引き返す訳にもいかないし……。――だ、大丈夫! 苺なら大丈夫……だと思う」
苺はフードを深く被り、胸元を強く握り締め、自分の気配を消すように、通行門へ足早に向かった。
通行門で通行証を提示し、大きな門をくぐり抜け、未舗装路を数歩進むと、今まで賑やかだった声がパタリとしなくなった。聞こえるのは風が通る音と鷹の鳴き声だけだった。この先は断崖絶壁で、風に煽られると、下界へ真っ逆さまだ。
苺は不安になり、自分の来た道を振り返るが、あるのは先程くぐり抜けた門が聳え立っているだけだった。
「なんだか門が生きているような……。ただジッと見られてるような。――うわぁっ!」
苺はその不気味さに思わずゴクリと喉を鳴らした。後退りしながら、振り向くと、突如目の前に木製の両開き扉があり、苺はぶつかりそうになり、地面に尻もちをついた。
「いたたたぁ……。さっきまで扉なんて無かったのに。それよりも突然出てくるなんて、なんだか不親切です」
苺は少し頬を膨らませ、不満を漏らしながら、立ち上がり、砂埃を払った。そして、気を取り直して、扉を開け、中へ入った。
扉の先は薄暗く、静まり返った場所だった。苺は辺りを見渡したが、灰白色のレンガで造られた建物の地下だというのは予想出来たが、それ以外は全く分からなかった。
「と、とりあえず壁伝いに進もう。松明は壁の上にかけてあるみたいだけど、火起こしが無いし……。先が見えなくもない感じだから、余計に嫌な感じ。本当に村へ行けるのかな?」
苺は少し怯えながら、壁伝いに進んだ。真っ直ぐ進んだ先に、ロートアイアン両開き門扉があった。
苺は取っ手に手を掛け、扉をゆっくりと開いた。鉄の軋む音が鳴り響き、その先には階段があり、見上げると明るかった。苺は少し胸を撫で下ろし、階段を上がっていった。
「それにしても、苺はただ甘果を買いたいだけなのに、なんで誰の屋敷か分からない地下に通される訳? 通行証にもきちんと『ラッカ村』と書いてあったはずなのに。村の手前に出られるようにしてくれれば良いのに……。ストラス様もメフィスト様も毎回、扉がある場所まで行ったり来たりしてるんでしょうか? そう思うと、下界の方々がいらした時はきちんとおもてなしすべきですね。苺は浅はかでし……た? で、ここって?」
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